第5回 アッシュラムでまた不思議体験、本当なの!

 その日、何故かお婆ちゃんは機嫌が悪い。朝から「わたしゃ、今日はダルシャンに行かないよ。」と言った。仕方がない私は一人で行き、いつものように列に並ぶ。そしてその日、なんと前列の人が引いた入場順番番号は「3番目」だった。私達は「わぁーッ!」と飛び上がって喜んだ。広いマンディールの中へ入ると予想どおり前から2-3番目の所に座った。暫くするとまたセバダル(ボランティア)が来て、「この列とこの列は向かい合って座り、通路用スペースを作れ」という。私は右隣の人と向き合った。

 驚いた!目の前に座った右側列の人達総勢10数人は「バンクーバー サイ センター」と書かれたスカーフを肩にかけているのだ。「ああ、バンクーバーにもサイセンターがあった!」と知らされたのだ。出発前の情報入手の不十分でとても不安な思いで出発した時の事を思い出した。知っていれば、サイセンターにバンクーバーで行き、現地の情報を得られたのだ。

 暫くすると、沢山の布を手に持った女性のボラティアとサイババが、其の通路にやって来た。そして、床に座る私達一人一人にインドの女性が着るサリーを、セバダルからサイババが受け取っては、1枚ずつ私達に下さり始めた。私の膝の上にも1枚置いて下さった。その時、私は夢中でスワミ(先生)の御足を触っていた。彼の「御足を触る」その意味は、今世が終わって来生に行ってももう「来生」がない。つまり成仏できるという意味だそうだ。その時から随分後になっての事だが、私はインドのアガスティアの葉に行き占ってもらったら[You have no next life]と言われたことがある。つまり私は来生がないのだ。

 サリーを頂いた後、ふっと「ああ、今日はお婆ぁちゃんが来なかったから、このサリーはお婆ちゃんに上げよう」と私は思いながら部屋へ帰った。

 部屋へ戻りお婆ぁちゃんに会った途端「私、貰ったよ。」と言った。これは奇跡としか言いようがない。まずサリーをもらった列は、あの数千人の居る数えきれない列の中でたった1列だ。そして、その1列には100人以上の人が並んでいた。このお婆ぁちゃん一人、どうして、その列に並べたか?私には奇跡としか思えなかった。其れに数100枚ものサリーを、サイババについて歩いていたボランティアは持っていなかったと思う。でも彼女はサリーをもらったという。

 正確にはアッシュラムに私達は12日間滞在し、一人も友達が出来なかった。あえて言えば私にはサイババと言う「心の友」が一人出来、サリーを手に帰国したのだ。

 1回目の訪問から20数年間に私はアッシュラムを5回訪ねた。そこへ行く度に、「LOVE ALL, SERVE ALL | HELP EVER, HURT NEVER」の精神の大切さを感じさせてくれる場所なのだ。それは唯々、心の平和を言葉なしに、そこに滞在する間中、全身に感じさせてくれるアッシュラムなのだ。「サイババ」は優しい不思議な聖者だった。
「サイラム」

セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。

許 澄子
2016年からバンクーバー新報紙でコラム「老婆のひとりごと」を執筆。2020年7月から2022年12月まで、当サイトで「グランマのひとりごと」として、コラムを継続。2023年1月より「『セレンディピティ』幸運をつかむ」を執筆中。
「グランマのひとりごと」はこちらからすべてご覧いただけます。https://www.japancanadatoday.ca/category/column/senior-lady/