第20回 何もできない私とセレンディピティ(1)

 家に一人でいる。老齢のせいだろうか?それがとても淋しくて解決策を考えた。結局、此処バンクーバにある色々な集まりに参加してみることにした。このバンクーバ―在住46年。
 以前はあまり気付かなかったが、今、色々なアクティヴィティに参加し、出会う人、出会う人、皆が何か特技を持ちステキな人がばかりなのだ。櫻楓会、敬子パーカーさんの音楽の会、ジェーン・オ―スチェンの会、女性企業家の会、高木月子さんのブッククラブ、隣組、アイフォンの会、歌声喫茶、コーラス(私は聴くだけ)等々色々だ。ハワイアンダンスをステキに踊る70歳、80歳を過ぎて美声で歌うコーラスグループの人、又毎月、自分で描いた絵を会誌に紹介する人、手芸、美しい物を作り、販売したり、展示したり。色々出来る人の多い事、私は堪らなくうらやましい!何もできないのは私だけかなぁ?

 小学生の時、先生が「学芸会の遊戯、6人でやるけど貴方もやりなさい」と言った。喜び勇んで「小鹿のバンビ」を踊った。今でも『小鹿のバンビは 可愛いなぁ…』と歌いながら踊れるほど好きだった。
 又、ある時、先生がクラスへ一匹の生魚「アジ」を持ってきて、その絵を描けと言った。皆が「わぁ!いやぁー」と叫んだ。私は大変興味を持ち、その魚を描いた。絵は生き生き描かれ、自分でもよく描けたと思った。そして、その絵はクラスの後壁に飾られ、やがて教員室近くの特別絵飾り場所に移されそこに飾られた。中学入学と同時に「バレエ」を習い始めた。初めての発表会の時、白い衣裳を着て仲間と踊った。帰宅後、観に来てくれた母に、「お母さん、どうだった?」と聞いた。母は「うーん ジャガイモが転がっているみたいだった。ハハッハ」

 私はバレエを止めた。でも小学校以来、絵は好きで描いていた。映画俳優の似顔絵も得意で色々な人に「似顔絵描いて?」と頼まれ、うれしくて一生懸命描いた。高校生になって油絵も描いた。やがて大学進学の時だ、絵の先生が「貴方、もし美大に行きたければ美大推薦してあげるよ」と言った。嬉しかった。そして、美術の先生が母を説得に、我が家まで来てくれた。
 家まで来て下さった美術の先生に、母は玄関先で彼を入り口に立たせたまま「先生、私は夫亡き後、女手一つ、4人の子供と老人1人抱え生きています。娘を‘看板描き′にするお金はありません」と言って先生を追い返した。

 私の好きな「歌」、これは自分の「悪声」と完全な「音痴」で「好きの横好」。結婚し、家事、料理は長い間、香港在住時は常に手伝人がいた。そして、来加後は、なんと夫が料理好き、私が手伝うと彼が「触るな!」と厳しく言う。だから料理も出来ない。彼は60歳でさっさと次の世へ行ってしまった。淋しい。でも料理の上手な息子がいてくれる。

 やがて、我が人生振り返って「貴方、本当にどうやって生きてきたの?」と問いかけてみる。すると答えが返ってきた。なんとその答えは「自分で出来ない事、全てを楽しみなさい」。「天の声」は励ましてくれた。いつの間にか、「自分に出来ない」素晴しいオペラやコンサート、世界の美術館を訪ね回り、絵も彫刻も楽しむ。結局、それが私の「『セレンディピティ』幸運をつかむ」だったのだ。

セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。

許 澄子
2016年からバンクーバー新報紙でコラム「老婆のひとりごと」を執筆。2020年7月から2022年12月まで、当サイトで「グランマのひとりごと」として、コラムを継続。2023年1月より「『セレンディピティ』幸運をつかむ」を執筆中。
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