日本語教師 矢野修三
日本語上級者との新年会ではいつも「干支(えと)」の話をしているが、今年は「星座」もちょこっと話題にした。実はこの星座だが、ナント、干支と同じように、中国から奈良時代ごろに伝わってきたとのこと。さらに、17世紀の江戸時代に、中国の星座を手本に、日本独自の星座を作った天文学者がいたことを最近知って、びっくり仰天。
星座はてっきり古代ギリシャ神話が始まりだと思い込んでおり、ほとんど知識も興味もなかった。でも星座に関して、日本にそんな歴史があったとは全く知らず、学校で学んだ記憶もなく、いと不思議。
こんな星座の話をしたら、ある上級者から、私は「魚座」ですが、なぜ「さかな」ではなく「うお」ですか、の質問を受けた。うーん、確かに星座では「うお座」である。でも生徒にすれば「さかな」のほうがはるかに親しい。これは「魚」の訓読みに、なぜ「さかな」と「うお」と二つあるのか、の疑問であり、ときどき上級者から受ける怖い質問である。
これを説明するには、「酒の肴」に登場してもらわなければならない。この肴(さかな)の語源は「酒の菜」。昔からお酒には、いわゆる「酒のつまみ」が大事で、平安朝のころから野菜が主役だった。そこで「酒の菜」という言葉が生まれ、この「さけのな」が変化して「さかな」となり、中国語ですごい料理を表わす「肴」を日本式に「さかな」と読み、「酒の肴(さかな)」という言葉が出来上がったとのこと。うーん、なるほど。
江戸時代になって、酒の肴は野菜ではなく、魚(うお)が大人気、肴といえば魚が主役になり、肴=魚 となって、魚(うお)を「さかな」と読むようになったとのこと。えー、ホント、びっくり、そして納得。
確かに、「うお」は母音の重なりで発音しにくく、丁寧の「お」を付けると「おうお」。漁業が盛んになり、「魚」を日常会話でよく使うようになった江戸後期において、魚(うお)が発音しやすい「さかな」に変わったのも頷ける。でも、上方のほうでは広まらなかったようで、この「さかな」は当時のいわゆる江戸っ子若者言葉だったのかも・・・。
そして明治以降、この「さかな」の読み方はどんどん全国に広まった。でも昭和21年の当用漢字表には、「うお」だけで、まだ載っていない。でも会話にはよく使われるようになり、ようやく昭和48年(1973年)に「さかな」を正式に認めたとのこと。えー、「さかな」の歴史はそんなに浅かったの・・・、日本語教師としても超驚きであった。
それ以降、「魚」の訓読みは「うお」か「さかな」か、どっちにしようか、複雑になった。「昔から(うお)があるのに、何で(さかな)など認めたのよ、ややこしいわよ」。そんな魚ちゃんのぼやきが聞こえてきそうである。
実際、地域や年齢差、さらに言いやすさなども絡んでややこしい。「魚釣り」や「魚屋」などは「さかな」だが、「魚市場」や「魚河岸」などは「うお」のほうが落ち着く感じが・・・。
そして、星座だが、いろいろな国の星座をまとめるべく、1920年代に国際天文学連合が設立され、ラテン語を訳してそれぞれ名前を決めたとのこと。そのころ日本はまだ「さかな」の読み方は正式ではなく、当然、Pisces(パイシーズ)を「うお」と訳したのであろう。
さらに、「行く春や 鳥啼き魚の 目は泪」、これは「奥の細道」の旅立ちの句とされているが、もしもこの時代に「魚」に「さかな」の読み方があったら、芭蕉は字余りを心配して、この句を作らなかったのでは・・・、そんな余計な思いを巡らせてしまった。
昨今では、当然「さかな」が優勢であり、「魚」に関する古い慣用句なども「うお」から「さかな」に変わってしまう傾向に。年寄り教師としては寂しい限りだが、言葉は世につれ変わりゆく・・・。It is what it is!
「魚料理じゃなくて、先生の陰口を肴に一杯飲もう」。こんな生徒が現れないことを、そして、いつまでも水を得た魚のように生き生きと元気に過ごせることを、さらに読み方「うお」の踏ん張りを祈りつつ。
「ことばの交差点」
日本語を楽しく深掘りする矢野修三さんのコラム。日常の何気ない言葉遣いをカナダから考察。日本語を学ぶ外国人の視点に日本語教師として感心しながら日本語を共に学びます。第1回からのコラムはこちら。
矢野修三(やの・しゅうぞう)
1994年 バンクーバーに家族で移住(50歳)
YANO Academy(日本語学校)開校
2020年 教室を閉じる(26年間)
現在はオンライン講座を開講中(日本からも可)
・日本語教師養成講座(卒業生2900名)
・外から見る日本語講座(目からうろこの日本語)
メール:yano@yanoacademy.ca
ホームページ:https://yanoacademy.ca