「イェーデン・イジク=ドズルコ」 音楽の楽園〜もう一つのカナダ 第30回

はじめに

 日加関係を応援頂いている皆さま、音楽ファンの皆さま、こんにちは。

 12月に入り、オタワの冬が本格化してきました。雪が積もり見事な雪景色です。世界で最も寒い首都の1つであることを証明しているかのようです。地球温暖化の時代ですから、オタワの冬も数十年前と比べるとマイルドだと言われていますが、長崎出身の私にとって雪に囲まれた生活は憧れでもあり、圧巻です。

 実は、健康のために8月から毎朝ウォーキングをしており、雪の中でもスノーブーツを履いて毎朝5キロ程度歩いておりました。ところが先日フリージング・レインで道が完全に凍結し、スノーブーツにスティックで武装しておりましたが、不覚にも転倒し右上腕部を骨折してしまいました。

 従って、今回のコラムは音声入力と左手だけで書いております。右手が使えなくなり、日常生活のごく普通のことも難しくなってしまい、健康の大切さを実感しながら書いています。そして、難しい日常に、改めて、音楽のチカラを思い知りました。

 そこで、今回の音楽の楽園は、カナダが世界に誇る若手ピアニスト、イェーデン・イジク=ドズルコです。実際のところ、イェーデンは、未だ知名度と言う意味では高くありません。しかし、2024年の2つの国際的な音楽コンクールを制しました。5月のモントリオール国際コンクール、そして9月のリーズ国際ピアノコンクールです。将来が非常に楽しみなピアニストです。

2024年〜コンクール・キラーの面目躍如

 これまでの「音楽の楽園」で何人ものカナダ人音楽家を取り上げています。特に、ピアニストと言う意味では、クラシックのグレン・グールド、ジャズのオスカー・ピーターソンを筆頭にカナダは天才・鬼才・異才の宝庫です。第23回の本コラムでは新世代の若き巨匠ヤン・リシエツキを取り上げました。カルガリー出身のヤンは、若くして頭角を現し、「コンクールに出る必要のなかったピアニスト」と言われています。一方、今回取り上げるイェーデンは、その対極にあって、まさに「コンクール・キラー」のピアニストと呼ぶべきでしょう。

 イェーデンの名前を一気に高めた2024年の活躍ぶりを見てみましょう。

 第21回モントリオール国際コンクール・ピアノ部門は、5月5日〜16日、モントリオールで開催されました。イェーデンは、ファイナルでブラームスのピアノ協奏曲第2番を演奏し、優勝しました。実は、カナダで開催されるコンクールではあるものの、これまでカナダ人の優勝者はいませんでした。イェーデンこそカナダ人として初めての優勝でした。

Photo from Concours musical international de Montréal (CMIM) Facebook
Photo from Concours musical international de Montréal (CMIM) Facebook

 モントリオール国際コンクールは2002年に設立された比較的新しいコンクールですが、優勝賞金と副賞として与えられるリサイタル、さらには録音の機会等を換算すると優勝の総額は140,000加ドルです。また、イェーデンは、今回ベスト・カナダ人賞(5,000加ドル)、セミファイナルの段階でのベスト・ソナタ演奏賞(3,000加ドル)、カナダ人作曲家、新曲課題賞(2,500加ドル)も獲得しています。音楽が賞金で計れるわけではありませんが、モントリオール国際コンクールの賞金総額は、現在、数多ある国際コンクールの中でも最上位にあります。名門オーケストラとして知られるモントリオール交響楽団及びカナダ放送協会などが協賛しています。新しい国際コンクールとしての存在感を高めている所以でもあります。

 実は、イェーデンは、この段階でリーズ国際の第1ラウンド通過が確定していて、9月のリーズ国際ピアノコンクールの本戦への出場が決まっていました。クラシックのピアノコンクールは、陸上競技のマラソンと似た面があって、普通は大きな大会に連続して出場することはありません。何故ならば、一つのコンクールだけでも予選から決勝まで、長期間にわたって多数の課題曲について審査を受けなければなりません。強靭な精神力と集中力が求められます。世界最高峰の競争を制するためには、多数のレパートリーを仕上げ、コンディションを整えることが不可欠です。しかも、掛け持ちした片方で優勝したとして、もう一つで結果を出せなければ、評価やキャリアに悪影響を及ぼしかねません。ですから、モントリオールとリーズを掛け持ちするということは、イェーデンの自信の現れでもあります。自信の裏には、入念な準備があるということです。

 イェーデンは、モントリオールを制した後、英国は北イングランドの都市リーズへ赴きます。第21回リーズ国際ピアノコンクール本戦は、9月11日から第2ラウンドが始まりました。第2ラウンドを通過し、15日から17日までのセミファイナルに臨みます。そこを突破した5人のファイナリストが決勝に進みました。決勝は、9月20日(金)と21日(土)の2日間でした。イェーデンは、モントリオールのファイナルでも弾いたブラームスのピアノ協奏曲第2番で勝負。そして、優勝しました。モントリオールから連続で伝統のリーズでも優勝し、イェーデンの評価は一気に高まりました。

 リーズ国際ピアノコンクールは1961年の創設。63年からは3年ごとの開催です。5年に1度のショパンコンクールに匹敵するほどの権威のあるピアノコンクールと言って良いでしょう。毎回の出場者は極めて優秀にして厳しい競争です。著名なところでは、1969年はルプー、72年はペライアが優勝しています。75年は日本の誇る内田光子が2位、アンドラース・シフが3位と言う結果でした。リーズの優勝者の将来は極めて明るいのです。

サーモン・アームの神童

 イェーデン・イズク=ドズルコは、1999年にブリティッシュ・コロンビア州サーモン・アームに誕生しました。バンクーバーから北東にフレーザー渓谷を超えて約470km、オカナガン地域の入り口で森と湖に囲まれた人口約1万7000人の美しい街です。両親ともにピアノ弾きで、イェーデンが5歳の頃から父親が手解きします。13歳の頃には、BC州内の様々な音楽イベントに参加するようになります。たまたま少年イェーデンの演奏を聴いた聴衆は、彼の驚異的な技量に驚く訳です。そして、2014年、故郷サーモン・アームに近い地域の中核都市カムループスでの音楽コンクールに出場し、ピアノ部門で見事に優勝。カムループス交響楽団と共演して、15歳にしてオーケストラ・デビューを飾ります。人口2万人足らずの地方の神童が世に出る機会を得る上で、コンクールに勝つことは、将来に向けて極めて戦略的、かつ地に足の着いた現実的な手段です。逆に、コンクールの主催者からすれば、知られざる逸材の発掘こそが最重要な使命です。

 そして、イェーデン少年は、2017年、ニューヨークはジュリアード音楽院に進学。頭角を顕します。

コンクール・キラーの登場

 イェーデンの、ジュリアード入学後の主なコンクール記録だけ記します。

 知名度の高くない若手が国際的な活躍の場を求めて、己れの技量だけを頼りに果敢に挑戦する姿が目に浮かびます。

 2019年、ジュリアード・ジーナ・ベイチェイン・コンペティション優勝。
 2020年、ポーランドはワルシャワのコクラン国際ピアノコンクール優勝。

 2022年は次の3つのコンクールで優勝しています。
・スペインはカンタブリア州で開催されるサタンデール・パロマ・オシェア国際ピアノコンクール。
・スペインはバルセロナで開催される若手音楽家のためのマリア・カナルス・バルセロナ国際音楽家演奏コンクール。
・米国サウスカロライナ州ヒルトンヘッド島で開催されるヒルトンヘッド国際ピアノコンクール。

 これらの22年のコンクール3連勝は、イェーデンの覚悟と自信と野心、そして巨大な楽才を示して余りあります。凄いです。これが24年の快挙に繋がりますが、23年には初来日を果たしています。

2023年〜来日

 イェーデンは、2023年11月、横浜みなとみらいホールで開催された「第41回横浜市招待国際ピアノ演奏会」に出演しています。スクリャービンのピアノ・ソナタ第4番、ラヴェルの「鏡」、ショパン「スケルツォ」等のピアノ独奏曲を披露しました。

 そして、ピアノを学ぶ地元の小中学生との交流会にも参加しています。NHK横浜放送局がその模様を報じています(https://www.nhk.or.jp/shutoken/yokohama/article/016/98/)。この段階では、イェーデンはCDリリースも無くてほぼ無名です。将来の巨人の素顔が垣間見えて、大変に興味深いです。

 「ピアノは大好きだけど、コンクールの練習になると、あまり好きではなくなってしまいます。どうしたら好きになれますか?」という中学生ピアニストからのませた質問に対するイェーデンの次の回答が非常に誠実だと思います。

 「私も同じような経験があります。コンクールのことは忘れて、音楽そのものがどれだけ好きか、ということを考えるのが大事だと思います」

2024年11月20日〜オタワ国立芸術センター

 私は、イェーデンの公演を鑑賞する機会に恵まれました。

 実は、この時まで、イェーデン・イジク=ドズルコというピアニストの事は知りませんでした。Jaeden Izik-Dzurkoというパンフレットにある名前も何と発音するのか分かりませんでした。この夜の公演は、元々は、グラミー賞も受賞している米国人ヴァイオリン奏者ヒラリー・ハンがブラームスのヴァイオリン協奏曲を演奏する予定でした。

 ところが、1週間前になって怪我のために彼女は公演をキャンセルせざるを得なくなったのです。クラシック音楽と云えども、ショービジネスです。Show must go onです。この夜の公演の主催者である国立芸術センターは、急遽代役を探した訳です。著名なヒラリーに劣らぬ高水準の演奏家で、演目は変更したくありません。公演まで1週間、リハーサル、スケジュール調整は困難を極めたに違いありません。

 結果、イェーデンの公演が決まりました。演目は、ブラームスのピアニスト協奏曲第2番。元々の予定のブラームスのヴァイオリン協奏曲からの変更ですが、同じブラームスですし、彼にとっては、モントリオールとリーズを制した十八番です。しかも、彼にとって首都オタワ・デビューとなりました。

 この協奏曲は、第1楽章の冒頭、ホルンの導入でピアノが登場し、オーケストラと対話するドラマチックな展開です。ここから直ぐにイェーデンの強靭なピアノが楽曲を牽引します。圧倒的な求心力で、オーケストラ団員を率い、聴衆を魅了します。

 このピアノ協奏曲は、ブラームスが初めてイタリアを訪れた時の印象が音に刻まれています。構想から完成まで3年を要したブラームス48歳の成熟期の代表作です。交響曲のような4楽章の確固たる構成。自らピアノを弾いて初演した程の自信作だったのです。しかも、古今東西数多あるピアノ協奏曲の中でも最難曲・最高峰の曲です。急遽代役となった25歳の俊英にとって、この曲以上に己の実力を示す曲はありません。成熟したブラームスが紡いだピアノを正に勇躍羽ばたく若き才能が再生する。クラシック音楽の醍醐味です。

 第4楽章が大団円を迎えた瞬間の聴衆の興奮は凄まじかったです。スタンディング・オベーションで何度も呼び出されました。新星誕生の瞬間です。

 公演終了後、楽屋を訪ねる機会があり、短時間ですが言葉を交わしました。舞台上の冷利に引き締まった表情とは真逆の人懐っこい笑顔と大変に謙虚な姿勢が印象的な好青年でした。子供たちとの交流を含め日本公演が大変に良い経験になった旨を語ってくれました。最後に綺麗な日本語で、「ありがとうございました」と言ってくれました。

結語

 クラシック音楽を聴く時は、特にCD等の録音では、功成り名を遂げた巨匠を聴く機会が多いと思います。しかし、未来の巨匠の飛び立つ瞬間を味わえるのは貴重です。カナダはBC州の小さな街が生んだ俊英の将来が本当に楽しみです。

(了)

山野内勘二・在カナダ日本国大使館特命全権大使が届ける、カナダ音楽の連載コラム「音楽の楽園~もう一つのカナダ」は、第1回から以下よりご覧いただけます。

音楽の楽園~もう一つのカナダ

山野内勘二(やまのうち・かんじ)
2022年5月より第31代在カナダ日本国大使館特命全権大使
1984年外務省入省、総理大臣秘書官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、外務省経済局長、在ニューヨーク日本国総領事館総領事・大使などを歴任。1958年4月8日生まれ、長崎県出身