イーストリルエット(ブリッジリバー/ミント/マックギリブレイ・フォールズ):日系カナダ人物語

 ブリティッシュ・コロンビア(BC)州山間部に位置するイーストリルエット、ブリッジリバー、ミント、マックギリブレイ・フォールズは、強制移動させられた日系カナダ人の収容地としては政府からの補助がない「自活収容地」として指定された地域である。

 これらの収容地では、収容地外への移動は厳しく制限された。また、山間部での生活環境のため、資源不足や厳しい寒さと戦いながら自給自足の生活を送らなければならなかった。

イーストリルエット

East Lillooet

 イーストリルエットは1942年に設立された。リルエット周辺にあった数カ所の自活収容地で最大、バンクーバーから北東に約250キロにあった。この地域の収容所はフレーザー川の上流に位置し、300人以上が生活した。

 生活環境は非常に過酷で、家も自分たちの手で建て、電気もなく、冬には厳しい寒さの中で生活を強いられた。また、水は初めはフレーザー川から運んでタンクに貯めてからろ過して使用するという不便な状況で、日系カナダ人たちはわずかな資源を活用し、農作業などを中心とした生活を送った。

ブリッジリバー

 ブリッジリバー収容所は、かつての金鉱採掘と水力発電プロジェクトの廃墟に設置された自活収容地。日系人は、長く使われていなかった労働者が使用していたバラックでの生活を強いられた。農業を中心とした自給自足の生活を送った。

ミント

 ミントは、かつて鉱業で栄えた地域だが戦時中には多くの鉱山が廃坑となり、ほとんど廃墟と化していた孤立地である。他の収容地と比べても特に人里離れた環境だったため、生活するには困難な場所だった。

マックギリブレイ・フォールズ

 マックギリブレイ・フォールズは、100マイル(160キロ)「制限区域」のすぐ外に位置し、日系カナダ人は規制区域内のダーシー近くにあった製材所で雇用されていた。

***

***