「自分らしく生きるとは?」小説家・西加奈子さんインタビュー(前編)

西加奈子さん。バンクーバー市内で。2024年8月。撮影 斉藤光一
西加奈子さん。バンクーバー市内で。2024年8月。撮影 斉藤光一

 小説家として活躍する西加奈子さん。2004年「あおい」でデビューし、以降次々と作品を発表している。2019年12月からはカナダ・バンクーバーに滞在。その時に乳がんが見つかり、バンクーバーで治療を受ける。その闘病記を自身初のノンフィクションとして発表した「くもをさがす」も話題を呼んだ。

 2024年8月、バンクーバーに滞在していた西さんに話を聞いた。

バンクーバーに語学留学

 西さんは2019年12月から、夫と子どもとバンクーバーに滞在。翌年には新型コロナウイルスが発生したため、新型コロナ禍で3年間の滞在となった。

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-バンクーバーの滞在は語学留学が目的ということですが、なぜ語学留学をしようと思ったのですか?

 「夫と2人でよく旅行に行っていて、いつか海外に住んでみたいねって話をしていました。夫が会社を2年間休めることになったので、当時は子どもも小さかったのですが、せっかくだからどっかに行こうかとなって。最初はアメリカも考えましたが、一度1週間くらい旅行に来たバンクーバーが本当にすばらしい街だったので、ここにしようって決めました。ただ私たちが滞在できるのは語学留学しかなかったので、それぞれで違う学校に行くビザを取って2年の予定で来ました」

-バンクーバーに長期滞在して何か驚いたことはありましたか?

 「まず旅行に来た時に子どもがまだ1歳でヨチヨチ歩きだったんですけど、もう本当にみんなが子どもに優しくて。ベビーカーでバスに乗ってもみんなすぐ席を譲ってくれますし。こっち(バンクーバー)に来てからも子どもが2歳になって結構やんちゃな盛りで。でも、例えば公園で泣こうがいたずらしようが、私がSorryって言ったら、みんながDon’t be sorryって。子どもなんだからって言ってくれて。それは本当に感動しました」

-海外に移住という選択は自身の執筆活動に影響があると思っての決断だったのですか?

 「最初はそんなに考えてなくて。ただただ家族で海外に住めることにワクワクしていました。英語を学びたいというのもすごくあったので、それがメインでした」

-3年間住んでみて、執筆活動にいい影響はありましたか?

 「日本を離れて見られたのは大きかったです。それから、『くもをさがす』がそうですけど、(新型)コロナもあったし、乳がんにもなって、それを海外で経験するっていうのはスペシャルな経験だったなぁってすごい思います」

-バンクーバーに来る前と来た後で、見方が変わったことなどありますか?

 「私が母親っていうこともあって、子どもがどんな風に育つかっていうのが全然違いました。あとは(私は)40歳過ぎで来たのですが、中年女性が元気だということですね。年齢に関係なく好きな服を着てるし、好きなことをしているし。一方で日本は、良いところはいっぱいあるのですが、私たちの年齢だと年齢に見合った服を着なければいけない圧力があったり、何事も始めるのに適正な年齢があったり、そういうことをすごく感じました」

-バンクーバーで3年暮らした後に東京に帰って、どう感じましたか?

 「そうですね、やっぱり(バンクーバーは)とにかく女性が元気ですね。いわゆるマイノリティと言われている方たちが当たり前のように尊重されているし、安心して暮らせる街だなって改めて思います。日本がそうでないとは言いたくないですし、もちろん自分が全く気にせずにいれば自由に暮らせるはずなんですけど、でも町自体の寛容さとか、町自体が何を許容しているかっていうのが、日本とバンクーバーでは違う気がします」

-日本に帰って窮屈だなぁっていう思いはしますか?

 「窮屈というか、特に東京は物理的に人が多いんですよね。子どもがバンクーバーにいた時は自由に木に登ったり走ったりできてたんですけど、それが一切できない、物理的にできないんです。人の目がどうっていう以前に、危ないし、車も多いし、だから子どもが子どもらしくいれるかなっていうのはすごく考えました。あとは人が多い分、パーソナルスペースも狭いから、あまりカナダにいた時みたいに自由には振る舞えないんじゃないかなとは思います」

語学留学でバンクーバーに滞在していた頃を楽しそうに話す西さん。2024年8月。撮影 斉藤光一
語学留学でバンクーバーに滞在していた頃を楽しそうに話す西さん。2024年8月。撮影 斉藤光一

-バンクーバーでの生活は解放感がありましたか?

 「そうですね、すごくありました。ほんとボロボロの下着みたいな服で外を歩いていましたし(笑)。あとはなんか走りたいなと思ったら毛玉の付いたヒートテック上下でバーッてランニングしたりとか。日本でもやればいいんでしょうし、これは私個人の問題なのですが、やっぱりそれができるような雰囲気ではないかなと感じてしまって。(バンクーバー市)キツラノに住んでいたのでビーチの近くだったんですけど、ビーチで私よりうんと年上の女性がワンピースでフラッと来て服を脱いで上半身裸でバーッと泳いで、バーッて(服を)かぶって帰っちゃったりとか。それをだれも何も言わないとか、それはほんとになんというか、いてて心地よかったです」

-バンクーバーで生活するにあたりカナダの制度面で思ったことはありますか?

 「自分は日本にいて日本人だったのでその土地にいたいと思うことに障害を感じたことはなかったんです。例えば、引っ越しをしたかったらお金の問題はあるけれども引っ越しできるし。

 でも(バンクーバーでは)自分がいたいという場所にいれないっていうことがあるんだなと。(カナダ滞在用の)ビザの問題もそうですし、ビザを取るためにこれだけのことをしなければいけないんだとか、言語の問題もありましたし。あとは自分の母国以外で暮らさざるを得なくなった人たちのこと、難民の方とか、そういうことをすごく考えるようになりました。

 制度でいうと医療制度は、私も無料でがんを治してもらったので、ほんとに感謝しています。でも、同時に無料だからこそエマージェンシー(救急)で9時間待たされるとか、すぐに専門医にいけないとか。あとはすごくクリティカルなことなのに子どもが熱を出しても正確に伝えられないとか、そういうもどかしさはすごく感じました。もちろん自分の語学の問題もあるんですけど、異国で暮らすというのはこういうことなんだなとすごく思い知った感じです。

 だからほんとにむちゃくちゃ良い所もあれば、やっぱりこれは日本が絶対にいいなと思うこともあるし、それは本当に一長一短っていう感じでした」

-外国にいるから日本のことが見えることもあって、外国に住んでみての日本を見る目というのは変わりましたか?

 「そうですね、とにかく日本はお一人おひとりの努力がすごいと思います。ほんとに国の制度が破綻していたとしても、個人個人の努力で自分の時間外労働をしたりしてなんとかやっています。例えば、看護師さんたちもそうですよね、ほんとに給料をもっともらうべきだと思います。さっきパーソナルスペースが狭いと言いましたけど、日本は狭い国で譲り合わないといけないから、譲り合う時の優しさは深いし、そういうところで良い部分があります。

 カナダの方はすごく優しいですけど、どんなにこっちが苦しんでても5時になったらパチッと帰るし。だからすごくほかで優しくいられるんだろうなって思うけど、日本だったらそうではないし、ほんとにそれぞれだなって。どっちも良い所があって」

-日本の良いところでカナダの人に伝えたいことってありますか?

 「有言実行ですね。カナダの方はほんとに素敵なことをたくさん言ってくれるけど、それに伴った行動をしない場合もあるというか(笑)。日本人は例えばシャイだったりして愛情を口に出して言わないけど、でもすごい実はやってくれますね。助けるよって言ったら本当に助けてくれるし、そういう有言実行なところとか。あとは約束を守るところですね。例えば自分が遅れたことによって相手がどれだけ困るかっていう想像力を日本人は強く持っているように思うので、そういうのはいいかなぁと思います。

 こっちはたぶん約束に遅れても平気な社会だから成り立っているんでしょうね。工事の人が来るって言って全然来ないとか、そういうことがあるんやぁっていうのはビックリしました(笑)」

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後編に続く。

西加奈子(にし・かなこ)

小説家。イラン・テヘラン生まれ。小学生の時にはエジプト・カイロで過ごしたが、帰国後は大阪に。2004年「あおい」でデビュー。2007年「通天閣」で織田作之助賞、2013年「ふくわらい」で第一回河合隼雄物語賞、2015年「サラバ!」で第152回直木三十五賞を受賞した。映像化された作品には2013年に映画化された「きいろいゾウ」(2006年)、劇場アニメ映画化され、バンクーバー国際映画祭でも上映された「漁港の肉子ちゃん」(2011年)がある。「くもをさがす」は第75回読売文学賞 随筆・紀行賞を受賞した。

(取材 三島直美/写真 斉藤光一)

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