~認知症と二人三脚 ~
ガーリック康子
多分、母の老後は、本人が思い描いていたものとは違ったと思います 。
父が定年退職した後に念願のマイホームが建ち、夫婦とも、それまで命に関わるような病気で入院や手術をしたこともなく、結婚はしないだろうと思っていた娘が結婚し、その後、孫も生まれました。周囲からは、理想の老後に見えたかもしれません。ところが、父が進行性の脳神経系の病気と診断されてから、思い描いていたものと違う老後が待っていました。この病気の予後の平均寿命は、全体の平均とほとんど変わらないと考えられていますが、肺炎が原因の副症状で、父はあっけなく逝ってしまいました。
父が突然亡くなったことは、母にとって大きな環境の変化でした。私が生まれた後、結婚後も続けていた仕事には復職することはなく、専業主婦として父を支えてきました。転勤族の父に辞令が出ると、父は先に転勤先に移動します。引越しの荷造りや手続きから子どもたちの転校手続きまで、すべてを母が行い、小さい子どもふたりを連れて引っ越す。父が単身赴任で移動するようになるまで、これが2、3年のサイクルで続きます。単身赴任になってからも、荷物を荷造りして送るのは母で、父の赴任先まで、折を見て身の回りの世話をしに行っていました。その合間を縫って、介護施設に入所していた母方の祖母のお見舞いにも行っていました。私も何度か一緒に行きましたが、祖母は寝たきりで、言葉は出なくなっていました。
父の病気がわかってから、母は、父の通院に必ず付き添い、少し症状が進んでからは、一緒に散歩にも出かけていました。父の症状はまだまだ寝たきりになるほどではなく、自分の身の回りのことは問題なくできましたが、母の手伝いなしでは生活は回らなかったでしょう。大変だったに違いありませんが、もしかすると、それが母の生活の張り合いだったかもしれません。進行が緩やかだったため、しばらくは元気で過ごせるだろうと誰もが思っていた父が、突然いなくなったのです。母のショックは私には想像もつきません。今から思うと、父が亡くなって暫くは、母は鬱のような状態になっていました。何十年も続けていた習い事も休み、電話を受ける時の声も、別人かと思うほど暗い声でした。孫たちが喜ぶような物がたくさん入った小包をマメに送ってくれていましたが、それも途絶えます。
父が亡くなって数年後に日本に一時帰国した際、母に、介護が必要になったらどうしたいかと尋ねたことがあります。母は、「老人ホーム」に入るつもりで、候補の施設の目星もつけていました。すでに見学に行った施設もあったようです。入所することになった場合、実家はそのまま残し、私の兄弟に住まわせる予定にしていました。私はその時すでに自分の家族があり、日本に戻って生活する予定はなく、むしろそうしてもらえるとありがたいとさえ考えていました。しかし、具体的な終活の話や遺言書の話には至りませんでした。
父亡き後の老後の具体的な計画がないまま、家にいるはずの時間帯に何度かけても母は電話に出なくなり、こちらから出した手紙の返事がなかなか来なくなりました。返事が来ても、以前より文字は小さくバランスも崩れ、漢字も微妙に間違っています。小包は全く届かなくなりました。明らかに何かがおかしいと感じ、2年ほどあけて日本の母を訪ね時、実家に着いて玄関を一歩入った時の驚きは今も忘れられません。いろいろな物が片付けられることなく溢れかえり、家のあちこちに暫く掃除をしていない形跡があります。この時点で、診断を受けていなかった母の認知症は、かなり進んでいたはずです。
実家を訪ねる時の私の役割にひとつが、家の片付けでした。ある時、探し物をしながら家を片付けていて、介護施設の資料を見つけました。目星をつけていた施設に連絡し、資料を取り寄せたのだと思います。他にも、地域包括支援センター主催の認知症についての講演会に参加したらしい資料も出てきました。最初の「要介護認定調査」は自分で申し込んで審査を受けていたことからも、もしかすると自分の認知症を疑っていたのかもしれません。誤嚥性肺炎を何度も繰り返した後、静脈栄養になり、最後の約1年を「生かされた」母は、認知症が進んで寝たきりになり、状況を理解できなくなっていたと思います。多分、そのような延命は望んでいなかったと思いますが、家族でも、同居もせず海外在住の私には、最終的な決定権はありませんでした。
寝たきりになった祖母と母の姿が、記憶の中で重なります。
母は幸せだったのでしょうか。
*当コラムの内容は、筆者の体験および調査に基づくものです。専門的なアドバイス、診断、治療に代わるもの、または、そのように扱われるべきものではないことをご了承ください。
ガーリック康子 プロフィール
本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定。