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182 母の老後

~認知症と二人三脚 ~

ガーリック康子

 多分、母の老後は、本人が思い描いていたものとは違ったと思います 。

 父が定年退職した後に念願のマイホームが建ち、夫婦とも、それまで命に関わるような病気で入院や手術をしたこともなく、結婚はしないだろうと思っていた娘が結婚し、その後、孫も生まれました。周囲からは、理想の老後に見えたかもしれません。ところが、父が進行性の脳神経系の病気と診断されてから、思い描いていたものと違う老後が待っていました。この病気の予後の平均寿命は、全体の平均とほとんど変わらないと考えられていますが、肺炎が原因の副症状で、父はあっけなく逝ってしまいました。

 父が突然亡くなったことは、母にとって大きな環境の変化でした。私が生まれた後、結婚後も続けていた仕事には復職することはなく、専業主婦として父を支えてきました。転勤族の父に辞令が出ると、父は先に転勤先に移動します。引越しの荷造りや手続きから子どもたちの転校手続きまで、すべてを母が行い、小さい子どもふたりを連れて引っ越す。父が単身赴任で移動するようになるまで、これが2、3年のサイクルで続きます。単身赴任になってからも、荷物を荷造りして送るのは母で、父の赴任先まで、折を見て身の回りの世話をしに行っていました。その合間を縫って、介護施設に入所していた母方の祖母のお見舞いにも行っていました。私も何度か一緒に行きましたが、祖母は寝たきりで、言葉は出なくなっていました。

 父の病気がわかってから、母は、父の通院に必ず付き添い、少し症状が進んでからは、一緒に散歩にも出かけていました。父の症状はまだまだ寝たきりになるほどではなく、自分の身の回りのことは問題なくできましたが、母の手伝いなしでは生活は回らなかったでしょう。大変だったに違いありませんが、もしかすると、それが母の生活の張り合いだったかもしれません。進行が緩やかだったため、しばらくは元気で過ごせるだろうと誰もが思っていた父が、突然いなくなったのです。母のショックは私には想像もつきません。今から思うと、父が亡くなって暫くは、母は鬱のような状態になっていました。何十年も続けていた習い事も休み、電話を受ける時の声も、別人かと思うほど暗い声でした。孫たちが喜ぶような物がたくさん入った小包をマメに送ってくれていましたが、それも途絶えます。

 父が亡くなって数年後に日本に一時帰国した際、母に、介護が必要になったらどうしたいかと尋ねたことがあります。母は、「老人ホーム」に入るつもりで、候補の施設の目星もつけていました。すでに見学に行った施設もあったようです。入所することになった場合、実家はそのまま残し、私の兄弟に住まわせる予定にしていました。私はその時すでに自分の家族があり、日本に戻って生活する予定はなく、むしろそうしてもらえるとありがたいとさえ考えていました。しかし、具体的な終活の話や遺言書の話には至りませんでした。

 父亡き後の老後の具体的な計画がないまま、家にいるはずの時間帯に何度かけても母は電話に出なくなり、こちらから出した手紙の返事がなかなか来なくなりました。返事が来ても、以前より文字は小さくバランスも崩れ、漢字も微妙に間違っています。小包は全く届かなくなりました。明らかに何かがおかしいと感じ、2年ほどあけて日本の母を訪ね時、実家に着いて玄関を一歩入った時の驚きは今も忘れられません。いろいろな物が片付けられることなく溢れかえり、家のあちこちに暫く掃除をしていない形跡があります。この時点で、診断を受けていなかった母の認知症は、かなり進んでいたはずです。

 実家を訪ねる時の私の役割にひとつが、家の片付けでした。ある時、探し物をしながら家を片付けていて、介護施設の資料を見つけました。目星をつけていた施設に連絡し、資料を取り寄せたのだと思います。他にも、地域包括支援センター主催の認知症についての講演会に参加したらしい資料も出てきました。最初の「要介護認定調査」は自分で申し込んで審査を受けていたことからも、もしかすると自分の認知症を疑っていたのかもしれません。誤嚥性肺炎を何度も繰り返した後、静脈栄養になり、最後の約1年を「生かされた」母は、認知症が進んで寝たきりになり、状況を理解できなくなっていたと思います。多分、そのような延命は望んでいなかったと思いますが、家族でも、同居もせず海外在住の私には、最終的な決定権はありませんでした。

 寝たきりになった祖母と母の姿が、記憶の中で重なります。

 母は幸せだったのでしょうか。

*当コラムの内容は、筆者の体験および調査に基づくものです。専門的なアドバイス、診断、治療に代わるもの、または、そのように扱われるべきものではないことをご了承ください。

ガーリック康子 プロフィール

 本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定。

180 おばあちゃんの「認知症」

~認知症と二人三脚 ~

ガーリック康子

 小学生の頃、毎年、夏休みになると、お母さんと飛行機に乗って日本のおばあちゃんの家に遊びに行ってた。

 日本の夏はとっても暑いけど、楽しいことがいっぱい。縁日にも行ったし、すごく近くで花火も見た。近くの田んぼでカエルを捕まえたり、カブトムシも採りに行った。日本語で勉強するのはちょっと大変だけど、日本の小学校にも行ったよ。夏だから体育の時間は水泳。学校にプールがあるなんてびっくり。でも一番好きだったのは「給食」の時間かな。毎日いろんなお料理が出て、全部すごくおいしいの。「給食」、カナダの学校にもあればいいのに。

 おばあちゃんと一緒に買い物に行くと、おやつを買ってくれた。すごく暑い日は、おばあちゃんがお小遣いをくれて、近くのお酒屋さんでアイスを買って食べた。晩御飯を作るのを手伝うこともあったよ。おばあちゃんが作るご飯はとっても美味しかったなあ。お母さんが作るより美味しかったかも…。おばあちゃんは、お裁縫や手芸も上手で、赤ちゃんの頃からお洋服を縫ってくれてた。時々しか会えないけど、おばあちゃんと一緒いるととっても楽しかった。お母さんより怒らないし。

 でも、8年生の頃には、夏休みになってもおばあちゃんに会いに行かなくなってた。代わりに、お母さんがひとりでおばあちゃんの家に行くようになった。おばあちゃんが病気だからって聞いてたけど、最初はどんな病気かよくわらなかった。「認知症」っていって、だんだん、いろんなことを忘れちゃう病気なんだって。体が動かなくなって寝たきりになったり、しゃべることもできなくなるんだって。私のことも忘れちゃうのかなって、すごく心配になった。

 お母さんが日本に行くのは1年に2回。一度行くと2ヶ月くらい帰ってこなかった。寂しいから、会えない代わりにメールをしたり、家族みんなでスカイプで話した。お母さんがいないから、お父さんがご飯を作ってた。お父さん、料理は上手なほうだと思うけど、一度凝り出すと、同じものを何度も作る癖があって困るの。お弁当はだいたいお父さんで、時々自分。洗濯は全部、自分でやる。部屋も自分で掃除する。それでも、お母さんがいない間は、なんとなく家の中が片付かないの。だから、お母さんが帰ってくる前になると、みんなで掃除と片付けが大変。

 しばらくして、冬休みになる前に帰ってくるはずのお母さんが、なかなか帰ってこなかった。おばあちゃんの具合がすごく悪いから、もう少し日本にいなくちゃいけないんだって。お母さんが帰ってきたのは、クリスマスが過ぎてからだった。

 春が来て、おばあちゃんが亡くなった。お母さんは、すぐに飛行機のチケットを取って、また日本に行った。おばあちゃんのお棺に入れる写真と手紙を一緒に持って行ってもらった。

 私が覚えてるのは、元気な頃のおばあちゃん。だけど、寝たきりで、すごく痩せて小さくなって、お母さんのことも、もう覚えてないかもしれないって言ってた。おばあちゃんのことで、お母さんが泣いてるところは見たことなかったけど、きっと私が知らないところで泣いてたと思う。年をとったら亡くなるのは仕方ないけど、おばあちゃんが亡くなって、お母さん、すごく悲しかっただろうなぁ。

 それからしばらく、お母さんは日本に行かなくなった。ずっと経ってからお母さんに聞いたら、日本に行くと、おばあちゃんがいないことを思い出しちゃうから、悲しくて行けなかったんだって。おばあちゃんが亡くなってから、もう10年近く経つけど、お母さんが日本に行ったのは1回だけ。お母さん、まだ悲しいのかなぁ…。

 「認知症」って、誰でもなるし、そんなに年をとってなくてもなる病気なんだって。ってことは、お父さんやお母さんがなってもおかしくないってことでしょ?だから、若い人でも「認知症」のことを知ってるほうがいいってことだよね。

ガーリック康子 プロフィール

 本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定。

179 「おばさん」の視点

~認知症と二人三脚 ~

ガーリック康子

 私には、カナダの「おばさん」がいます。1930年代生まれの、私の親世代の女性で、10年ほど前に亡くなった義理の母の親友です。親族関係はありませんが、「おばさん」と呼んでいます。

 おばさんは、女性が手に職をもつことが今よりもずっと珍しかった時代に仕事を続けていた、今で言う「キャリア・ウーマン」、「ワーキング・ウーマン」です。定年後も、ファイナンシャル・プランナーのアドバイスの元で、毎日、株式市場の動向をチェックしながら株取り引きをする、頭の切れる女性です。画像編集ソフト「フォトショップ」を使い始めたのは70歳を過ぎてから。家に遊びに行く度に、壁にかかる写真が新しくなっています。普段の生活や旅先で撮ったデジタル写真をアルバムに編集するのもお手の物です。

 先日、そのおばさんと久々に会う機会がありました。近況報告をしたり、環境・時事問題や、新しいテクノロジーの話など、とめどもない会話をしているうち、話題が「老化」の話になりました。その話の中で、新型コロナ感染症が流行りだし、日常生活が一変する前までは、1年に2回は旅行に出かけていたおばさんが、海外へ行くのはもう諦めたというのです。長時間の空の旅はもう体力的にきついだけでなく、時差が大きい国から帰ってきた後、時差ボケが直るまでに時間がかかるようになったこともその理由だといいます。年が年なので、旅先で怪我や病気をしてしまうと、すぐにはカナダに戻ることができなくなるかもしれないことや、場合によっては、そのまま亡くなるかもしれないことも諦めた理由のようです。

 さらに、「老化」の話の延長で、どのような「最期」を迎えたいかという話になりました。おばさんは、病気や怪我で手術をして命は助かっても、著しく生活の質が落ちる、または一生介護が必要になる可能性が少しでもあるのなら、そんな手術は受けないつもりです。意識はあっても意思疎通ができなくなった時に備え、自分の意思を代弁する人も決まっています。病気や怪我の症状が重篤化して意識不明になったら、命を永らえるための医療的介入や延命措置は拒否することも決めています。これまで自立した女性として生きてきた人生の最後の最後に、誰かの助けなしでは生きていけなくなるようなら、自分にとって生きている意味がないといいます。もし自分に何かあったら、自分のかわりに何とかしてくれるだろう家族がいないおばさんだからこそ、自分の意思をはっきり誰かに伝えておくことの重要性を理解しているのかもしれません。

 そんなおばさんも、ふつうに物忘れが気になっています。昔に比べてど忘れをすることや、何を忘れてしまったかなかなか思い出せず、忘れた頃に思い出すことが増えたことを特に気にしています。また、自分の物忘れが加齢によるものなのか、認知症の兆候なのか、一人暮らしの自分が認知症になり、自分が気づかないうちに認知症が進んでしまうことはないのかも心配しています。私が見る限り、今のところ認知症を疑うような兆候はなさそうだということを伝えると、少し安心していましたが、きっとこれは、高齢者なら誰しも気になっていることでしょう。

 おばさんはかなり現実的な考えの人なので、自分はいつ死んでもおかしくない年になっていることを理由に、 生活の一部になっている株取り引きについても、もう長期運用型の投資はしないと決めているようです。かといって、人生を諦めているわけでもなく、若い頃と同じ生活はできなくても、今の自分が満足のいく生活をエンジョイしています。高齢にもかかわらず、自分では特に何の準備もせず、何かあった時は、子供や家族に任せるつもりでいる人が思いのほか多いことに驚くと同時に、用意周到な人もいる。一体のこの違いはどこから生まれるのでしょうか?

 私の目標はもちろん、おばさんのような用意周到な高齢者です。

*当コラムの内容は、筆者の体験および調査に基づくものです。専門的なアドバイス、診断、治療に代わるもの、または、そのように扱われるべきものではないことをご了承ください。

ガーリック康子 プロフィール

 本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定。

178 「私もなるかも?」

~認知症と二人三脚 ~

ガーリック康子

 母が「認知症」と診断されたのは、80を超えたばかりの頃でした。しかし、実際に「認知症」の兆候が出始めたのは、そのずっと前と確信しています。症状はあっという間に進行し、診断を受けて数年後に母は亡くなります。

 亡くなった時の母は寝たきりで、繰り返す「誤嚥性肺炎」のため、食事を摂ることが危険と判断され、栄養は静脈栄養。 途中、見つかった病気も、体力が著しく衰えていたため、確実な診断のための検査さえできないまま、見る影もなくやせ細り、衰弱して亡くなりました。 直接の死因は「認知症」ではありません。

 「認知症」はその種類や個人差により、症状は異なりますが、いずれの場合も認知機能が著しく低下していきます。合わせて、身体的機能も低下し、食事や排泄を含む生活全般に渡り、介護が必要になります。診断を受けた時点での慢性疾患の有無や健康状態により、予後に個人差があり、「認知症」の診断後の生存期間については、調査・研究により見解が異なります。診断がついた時点での介護年数は平均6年から7年、診断後の平均余命は約5年など、年数はさまさまですが、 平均して、およそ5年から12年が生存期間とされています。

 実は、次第に認知機能が衰え、その後、寝たきりになり、最終的に衰弱死することよりも、「認知症」と診断された人の直接の死因の多くは「肺炎」です。「認知症」が進行することにより、嚥下機能が低下し、「誤嚥性肺炎」を起こしやすくなるためです。「肺炎」はその都度、回復しますが、根本的な原因となる嚥下機能を改善することができず、「誤嚥性肺炎」を繰り返すうちに、それが原因で亡くなります。このような場合、死因は「老衰」や「誤嚥性肺炎」とされるため、統計上は「認知症」の順位は決して高くはありません。

 さて、年をとればとるほど、認知症の診断を受ける確率も高まることと合わせて、「認知症」は誰がなってもおかしくないことは、一般の人も知っている「定説」になりつつあります。「家族性認知症」の場合を除き、「認知症」は遺伝しないと言われていますが、親が「認知症」と診断されている人は、漠然とした不安を抱えているはずです。

 まるでその不安を裏付けるような研究報告があります。親が80歳未満で「認知症」を発症した人では、本人も「認知症」になるリクスが1.6倍高くなるというものです。この研究は、米ハーバード大学とオランダのエラスムス医学センターの合同チームがまとめたもので、2017年4月25日に、神経学の専門誌「Neurology」(電子版)に発表されました。

 この研究チームが分析したのは、「ロッテルダム研究」(高齢者を中心とした家族の健康についての長期的な研究)の データです。研究を行った2年間(2000年〜2002年)に認知症と診断されていない中高年男女2,087人(平均年齢64歳、女性55%)を対象に、2015年までに認知症を発症したかを調べ、発症した人の両親の「認知症」の病歴との関連を調べています。

 その結果、(1) 親が「認知症」になると、そうでない場合に比べ、子どもが「認知症」になるリスクが 67%高まる、(2)特に親が80歳未満で「認知症」になった場合、子どもが「認知症」になるリスクが1.6倍になる、(3)親が80歳以上で「認知症」になった場合は、子どもが「認知症」になるリスクは1%高まるに留まる、(4)「認知症」になった親の男女差は、子どもの発症に影響しない、ということがわかりました。

 同研究チームは、対象者の脳のMRI検査と両親の脳の画像も調べており、「遺伝要因は不明だが、脳灌流の低下(脳に十分な血流が行き渡らないために起きる脳細胞の機能障害や細胞死)、大脳白質病変(神経繊維が集中する白質部分の血流障害による異常)、微小脳出血と関係している可能性がある」としています。

 確かに、親子であれば、遺伝的に体質を受け継いでいるかもしれません。しかし、他の病気と同じように、なる時はなります。まだ起きていないことを気に病むより、発症リスクを軽減する努力をするほうがよっぽど予防になる、と私は考えています。

参照:
Parental Family history of dementia in relation to subclinical brain and dementia risk
Neurology
https://n.neurology.org/content/88/17/1642

*当コラムの内容は、筆者の体験および調査に基づくものです。専門的なアドバイス、診断、治療に代わるもの、または、そのように扱われるべきものではないことをご了承ください。

ガーリック康子 プロフィール

 本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定。

177 「変えられない認知症のリスク−遺伝子」

~認知症と二人三脚 ~

ガーリック康子

 前回、前々回と、私たちが生まれ持ったもので、自分の意思では変えることができない「認知症」発症のリスク要因として、性差による要因についてお話ししました。その他に変えられないものとして、遺伝子に関わる要因があります。その典型的な例が、「家族性アルツハイマー型認知症」です。

 ご存知の通り、「アルツハイマー型認知症」は、「認知症」の中で最も発症する割合の多い「認知症」です。「アルツハイマー病」が原因で発症し、その多くは、70歳を超えてから発症します。しかし、中には40代から50代、早い場合は20代という若い時期に発症する場合もあります。その多くは、遺伝的な「アルツハイマー病」の素因を持っていると考えられており、「家族性アルツハイマー病」と呼ばれています。発症する率は稀で、すべてのケースの5%以下とされています。

 これまでに、「家族性アルツハイマー病」の診断を受けている人には、3種類(プレセニリン1、プレセニリン2、アミロイド前駆蛋白質【APP】)の遺伝子に変異が比較的多く見られることが明らかになっています。両親のどちらかにこれらの遺伝子変異があると、その子供は、2分の1の確率で発症します。ただし、「家族性アルツハイマー病」の約半数のケースでは、これらの遺伝子に変異が認められていますが、残りの半数では、はっきりとした特定の遺伝子の変異は認められていません。しかし、祖父母、両親、兄弟、親戚のおじさんやおばさんになど、2世代続けて家族が「アルツハイマー病」を発症していたとしても、発症の年代が70代以降であれば、「家族性アルツハイマー病」である可能性は低いと考えられています。

 「アルツハイマー型認知症」は、「アミロイドβ蛋白質」という老廃物が脳に蓄積し、神経細胞に障害を与えることが原因で発症することがわかっています。「アミロイドβ蛋白質」の蓄積や凝集に関わる物質のひとつが、「アポリポ蛋白質E」です。これを司る「APOE(アポイー)遺伝子」には、おもに、「ε2」、「ε3」、「ε4」の3種類があり、ふたつ一組で遺伝子型を構成しています。この3種類のうちの「ε4」の有無が、「アルツハイマー病」の発症に大きく関わります。「ε4」を持たない遺伝子型に対し、「ε4」をひとつ、ないしふたつ持っている遺伝子型の「アルツハイマー病」発症リスクは、約3倍から約12倍高くなるとされています。これが、「孤発性アルツハイマー病」です。

 遺伝子に関わる「認知症」発症のリスク要因として、「ダウン症」もそのひとつと考えられています。「ダウン症」を持って生まれた人の場合、「若年性アルツハイマー病」を発症する確率が高く、早い場合は、20代ですでに認知症と診断される場合もあります。 その原因のひとつとして、「アミロイドβ蛋白質」を生産する「APP遺伝子」が過剰にあることが考えられています。「APP遺伝子」は21番染色体上にあり、通常2本ですが、先天性の染色体異常症である「ダウン症」の場合、21番染色体が3本(トリソミー21)あるため、脳内には、「アミロイドβ蛋白質」がより多くなります。そのため、65歳以上の「ダウン症」の人が「認知症」を発症する時期は、「ダウン症」でない人よりも早く、その75%を超える割合で「アルツハイマー型認知症」を発症していると言われています。

 他に、人種の違いも認知症の発症のリスク要因と考えられています。米カリフォルニア大学の研究チームが、同じ地域に住む同一条件の大規模集団で調査し、人種による発症リスクに差があることを裏付け、2016年に、米アルツハイマー協会誌(Journal of Alzheimer Association)に発表しています。この調査結果は、人種を6つのグループに分け、65歳になってから25年以内に認知症を発症する確率を数値化しています。それによると、アフリカ系、先住民、ヒスパニック系、白色系、アジア系、太平洋諸島系の順でリスクが低くなります。この分野は、今後、さらに調査・研究が期待されます。

参考:
“Genetic testing and Alzheimer’s disease”
Alzheimer Society of Canada
https://alzheimer.ca/en/about-dementia/what-alzheimers-disease/genetic-testing-alzheimers-disease

「アルツハイマー病と遺伝について」
認知症予防財団
https://www.mainichi.co.jp/ninchishou/frontness/008.html#:~:text=

「ダウン症患者さん由来の神経細胞からのアミロイドβ分泌は抗酸化剤で抑止される」
京都大学iPS細胞研究所 CiRA
https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/news/210831-000000.html#:~:text=

”Landmark Study Finds Dementia Risk Varies Significantly Among Racial and Ethnic Groups”
University of California San Francisco
https://www.ucsf.edu/news/2016/02/401576/landmark-study-finds-dementia-risk-varies-significantly-among-racial-and-ethnic

*当コラムの内容は、筆者の体験および調査に基づくものです。専門的なアドバイス、診断、治療に代わるもの、または、そのように扱われるべきものではないことをご了承ください。

ガーリック康子 プロフィール

 本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定。

176 「変えられない認知症のリスク−男性であること」

~認知症と二人三脚 ~

ガーリック康子

 「認知症の12のリスク要因を改善することにより、認知症の発症を遅らせたり、発症を約40%予防する効果が期待できる」

 この報告は、認知症を研究対象とする「ランセット委員会」(医学雑誌「ランセット」の調査研究委員会のひとつ)が、2020年に、認知症と診断されるリスク要因について行なったものです。この報告では、「12のリスク要因」が挙げられ、年齢層によりリスクが高いとされる要因が異なります。まず、45歳未満では「教育レベル」、45歳から65歳では、リスクが高いものから、「難聴」、「頭部外傷」、「高血圧」、「過度の飲酒」、「肥満」、同じく66歳以上では、「喫煙」、「うつ病」、「社会的孤立」、「運動不足」、「大気汚染」、「糖尿病」が、認知症の発症のリスク要因とされています。同委員会は、これらのリスク要因を改善することにより、認知症の発症を遅らせたり、発症を約40%予防する効果が期待できると報告しています。

 これらのリスク要因は、改善することのできるリスク要因ですが、認知症の発症リスクには、変えることのできない要因もあります。前回のコラムで、認知症のリスク要因で変えられないものとして、性差による要因は影響が大きいと考えられていることをお話ししました。認知症の種類のうち、最も発症例が多い 「アルツハイマー型認知症」は、圧倒的に女性が多く、カナダ・アルツハイマー協会の報告によると、65歳以上の認知症と診断された人のうち、65%を女性が占めていること、男性の発症が比較的少ない理由として、男性より女性の平均寿命が長いことの他に、女性ホルモンである 「エストロゲン」の一生涯の分泌量との関係が明らかにされてきていることにも触れました。

 反対に、その種類により、女性より男性が発症しやすい認知症もあります。そのひとつが、「脳血管性認知症」です。「脳血管性認知症」は、「アルツハイマー型認知症」に次いで、その診断を受ける人が多く、認知症全体の2割から3割を占めるとされています。「アルツハイマー型認知症」に比べると、男性の有病率は女性の2倍近くとされています。

 「脳血管性認知症」は、脳血管障害がきっかけとなって発症します。脳梗塞、脳出血、くも膜下出血など、脳血管障害の種類や、それが起こる脳の部位や障害の程度により、症状は様々です。「脳血管性認知症」の場合、いろいろな認知機能が全体的に少しずつ低下するのではなく、脳血管障害を起こした部位の機能が低下します。症状の現れ方は特徴的で、突然症状が現れたり、しばらく落ち着いていると思うと急に悪くなることを繰り返したり、日時やタイミングにより、症状に波が見られることもあります。また、できることできないことの差がはっきりしているため、「まだら認知症」とも呼ばれます。その進行速度は緩やかですが、脳血管障害が再発するたびに、症状が悪化します。

 また、「脳血管性認知症」と診断される人の場合、脳血管障害を患ったことがある他に、高血圧、糖尿病、心疾患など、もともと脳血管障害の危険因子を持っていることが多いのも特徴です。すでに脳血管障害を患ったことがある人が、重度の脳梗塞や脳出血を起こすと、認知症が急に悪化しますが、小さな脳血管障害を繰り返して、少しずつ認知症の症状が進む人もいます。

 「脳血管性認知症」の他に、「レビー小体型認知症」も男性のほうが発症しやすい認知症です。男性の有病率が女性の約2倍とされ、多くが老年期に発症し、高齢者の認知症の約2割を占めています。記憶障害を中心とした症状と、パーキンソン症状、繰り返す幻視が見られます。幻視は、発症初期から現れる症状で、他の認知症と「レビー小体型認知症」とを区別する、特徴的な症状です。脳の神経細胞が減少する性質の認知症では、「アルツハイマー型認知症」に次いで多く、他の認知症と比べて進行が早いのも特徴です。

 パーキンソン病に似た運動障害であるパーキンソン症状のため、体が固くなり動きづらくなる、動作が遅くなり転びやすくなる、手が震える、急に止まれないといった症状があります。そのため、 転倒する危険が高く、寝たきりにもなりやすくなります。

 次回も引き続き、認知症の変えられないリスク要因についてお話しします。

参考:
 “Dementia prevention, intervention, and care: 2020 report of the Lancet Commission”
The Lancet Journal
https://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(20)30367-6/fulltext

「脳血管性認知症」
健康長寿ネット
https://www.tyojyu.or.jp/net/byouki/ninchishou/nou-kekkansei.html

「レビー小体型認知症」
https://www.tyojyu.or.jp/net/byouki/ninchishou/lewy.html

*当コラムの内容は、筆者の体験および調査に基づくものです。専門的なアドバイス、診断、治療に代わるもの、または、そのように扱われるべきものではないことをご了承ください。

ガーリック康子 プロフィール

 本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定。

175 「変えられない認知症のリスク−女性であること」

~認知症と二人三脚 ~

ガーリック康子

 社会の高齢化が進むにつれ、社会的な問題として取り上げられるようになった認知症。歳をとればとるほど、認知症と診断される機会が増えることはわかっていますが、残念ながら、現時点では、認知症の根本的な原因はわかっていません。また、認知症の予防につながる明確な方法はなく、根治する治療薬もありません。

 認知症は、その症状が現れ始める10年ないし20年前から、脳内では変化が始まっていると言われています。「高齢者」と呼ばれ始める65歳で認知症と診断されたとすると、40代半ば頃から、認知症の兆候はすでに見え始めていた可能性があることになります。ちょうどこれは壮年期にあたり、高血圧、糖尿病、高脂血症などの生活習慣病にかかる人が増え始める時期でもあります。生活習慣病は、認知症発症のリスク要因とされていますが、「うつ」や「不安障害」などの精神的要因、「孤立」や「閉じこもり」などの社会的要因に比べ、最も自分で管理しやすいリスク要因です。生活習慣病の予防、早期発見、治療を行うことで、生活習慣病による認知症の発症リスクは低くなると考えられています。

 しかし、認知症の発症リスクには、変えることのできない要因もあります。それが、年齢や、持って生まれた遺伝子や性別で、どう頑張っても根本的に変えることはできません。なかでも、性差による要因は影響が大きいと考えられています。カナダ・アルツハイマー協会の報告によると、65歳以上の認知症と診断された人のうち、65%を女性が占めています。特にアルツハイマー型認知症は、女性の罹患率が高いことがわかっています。その潜在的誘因は、男性より女性の平均寿命が長いことの他に、女性の一生涯での「エストロゲン」分泌量の変化によるものと考えられています。

 女性ホルモンのひとつである「エストロゲン」は、記憶や学習に関する神経伝達物質で、血管拡張作用もある「アセチルコリン」を保護し減少を防ぎます。閉経により、脳の神経物質を保護していた「エストロゲン」が急減することにより、アルツハイマー病の原因物質である「アミロイドβ」が急増し、アルツハイマー型認知症になりやすくなると考えられています。

 この、女性特有の認知症の発症リスク要因について調べた研究があります。この研究は、2019年にThe American Academy of Neurologyで発表されたもので、アメリカ合衆国カリフォルニア州の北カリフォルニア地域で医療サービスを提供している団体により、診療記録のある女性6,137人を対象に行われました。喫煙、糖尿病、高血圧など、女性の認知症発症リスクに影響を及ぼす他のリスク要因を調整した上で、「エストロゲン」分泌期間と認知症の発症リスクとの関連を調べたものです。

 この研究の調査参加者は、健康調査と健康診断の他に、初潮年齢、閉経年齢、および子宮摘出手術を受けているかについての質問に答えます。集めた情報から、参加者の初潮年齢の平均は13歳、閉経年齢の平均は45歳で、妊娠可能な年数の平均は32年でした。そのうちの34%の人が、子宮摘出手術を受けています。子宮摘出手術を受けていない参加者の場合、閉経年齢の平均は47歳、妊娠可能な年数の平均は34年でした。その他に、参加者の診療記録から認知症の診断履歴を調べたところ、調査参加者全体のうち、42%の人が認知症の診断を受けていました。

 この研究の結果、初潮を16歳以降に迎えた女性は、13歳で迎えた女性に比べ、認知症発症リスクが23%高く、47歳までに閉経を迎えた女性は、それ以降に迎えた女性に比べ、認知症発症リスクが19%高くなっています。妊娠可能な年数で見ると、初潮から閉経までの年数が34年未満の女性の場合、それ以上の女性と比べると、認知症発症リスクは20%高く、子宮摘出手術を受けている女性は、受けていない女性より、認知症発症リスクが8%高いことがわかりました。

 この研究では、妊娠、ホルモン補充療法、経口避妊薬など、女性の「エストロゲン」分泌量に影響を及ぼす可能性のあるその他の要因については調査されていませんが、その結果は、女性の生涯にわたる「エストロゲン」の分泌期間が短いほど、認知症になりやすいことを示唆しています。

参考:
“Dementia numbers in Canada”
Alzheimer Society of Canada
https://alzheimer.ca/en/about-dementia/what-dementia/dementia-numbers-canada

 “Fewer Reproductive Years in Women Linked to an Increased Risk of Dementia”
The American Academy of Neurology
https://www.aan.com/PressRoom/Home/PressRelease/2712

*当コラムの内容は、筆者の体験および調査に基づくものです。専門的なアドバイス、診断、治療に代わるもの、または、そのように扱われるべきものではないことをご了承ください。

ガーリック康子 プロフィール

 本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定。

174 「アルツハイマー啓発月間」

~認知症と二人三脚 ~

ガーリック康子

 毎年1月。カナダでは、「アルツハイマー啓発月間」がやってきます。この啓発月間は、認知症についての正しい知識と理解を促すことが目的で、認知症や認知症と診断された人に対する誤解や知識不足からくる偏見や差別をなくすことを目指します。

 「認知症と診断されるとすぐに何もできなくなる」とか、「認知症になると何も考えられなくなる」、「認知症は年寄りのなるもの」というような誤解が、認知症への過度な恐れを生み出します。身近にいる人が認知症であることがわかると、対処の仕方がわからないため、その人とは関わらないでおこうという考えに至ったり、自分や家族が認知症かもしれないと思っても、それを認めたくないため、医療機関への受診や支援機関への相談が遅れ、正しい診断や治療を遅らせることになりかねません。

 認知症に限らず、私たちは「知らないこと」に恐れを感じます。認知症についての正しい知識や事実、情報を知っていれば、「知らないこと」からくる思い込みや憶測で判断することがなくなります。同じ種類の認知症でも、その症状には個人差があることや、認知症の診断を受けたその日から、仕事を辞めたり、毎日の日課を変えたりする必要はないことは、認知症について正しく知っていれば、誤った情報であることがわかります。また、「若年性認知症」と呼ばれる種類の認知症があるという知識があれば、認知症が高齢者だけの病気ではないことは、事実として理解できます。

 近年、認知症について色々なことが知られるようになり、日本でも、自ら認知症であることを公表する人が増えてきています。ところが、認知症の診断を受けた時、本人や家族がそれを周りの人に敢えて打ち明けず、隠し通そうとする状況はそれほど変わってはいないようです。その背景にあるのは、誤解や知識不足からくる偏見や差別で、友達が離れていくことや、職場や近所で噂になることを恐れてのことです。本人や家族でさえ、診断されるまで認知症についてあまり知識がないことがそうさせているのかもしれません。しかし、隠し通すことはいずれできなくなります。

 認知症とは一体なんなのか、どのような症状があるのか、自分で調べたり、講習会などに参加して得ることができる情報はたくさんあります。特に、認知症の診断を受けた人にとって、認知症になるとどうなるのか、同じような立場の人の実体験を聞くことで、知らないことによる不安は小さくなるでしょう。続けてきた仕事や趣味を通じて社会との繋がりを保ち、普段の生活を続けることが、認知症の進行を遅らせる助けになることを知ることにもなるでしょう。

 認知症の症状のせいで、出来事に対する反応や行動パターンが変わることはあっても、その人となりが根本的に変わるわけではないことを知っていれば、認知症になったからといって、それを理由に友達をやめたり、解雇したりしないのは当たり前です。周りからの支援がある環境では、症状が進行し、できないことが増えても、寝たきりになり、会話ができなくなっても、人としての尊厳を傷つけるような対応にはまずならないはずです。認知症と診断された人を介護する人もまた、周りからの理解や支援を必要としています。「介護は家族がするべき」というなかなかなくならない風潮と、公的機関や介護施設のサービスを利用せずに介護を抱え込んでしまうことが、介護者を孤立させ、いずれ介護が行き詰まるのは目に見えています。「介護疲れ」で思い詰めるあまり、取り返しのつかない事件という「終わり」を迎えることがあることは、皆さんもニュース報道でご存知でしょう。

 現在、認知症を根治する方法はありません。しかし、診断が早いほど、進行を緩やかにする治療の効果が期待でき、診断を受けた時点の「生活の質」を保てる期間は長くなります。症状が進行する前に、自分の希望通りの将来の計画を立て、家族に自分の思いを伝えておく余裕があれば、それを支える家族も、認知症と生きていく「覚悟」を固める機会になるでしょう。認知症の現実を伝える「生き証人」として、普及啓発活動をすることが、診断後の新しい「生き甲斐」になるかもしれません。

 認知症も他の病気と一緒で、誰がなってもおかしくありません。この「啓発月間」が、皆さんの認知症への理解を深める切っ掛けになることを願っています。

参考:

Alzheimer’s Awareness Month

Alzheimer Society of Canada

https://alzheimer.ca/en/take-action/change-minds/alzheimers-awareness-month

*当コラムの内容は、筆者の体験および調査に基づくものです。専門的なアドバイス、診断、治療に代わるもの、または、そのように扱われるべきものではないことをご了承ください。

ガーリック康子 プロフィール

 本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定。

173 「フレイル」の負のサイクル

~認知症と二人三脚 ~

ガーリック康子

 2022年1月。新型コロナウイルス感染症の流行が終息しないまま、3回目の新年を迎えました。年末にかけて、新しい変異株、「オミクロン株」の感染が拡大し、しばらく緩和されていた自粛規制が再び強化されました。家族や友人が集う機会の多い年末年始のことで、予定していたクリスマス・パーティを急遽、取り止めたり、同じ場所で集まる代わりに、オンラインで行う選択もあったようです。

 2020年3月の世界保健機構(WHO)による「パンデミック宣言」以降、自粛生活が長期化し、外出の機会はめっきり減りました。家族や友人に会うことも少なくなると同時に、人との会話も少なくなりました。メディアでは、家にいる時間が長くなったために、感染症流行前より食事や間食の量が増え、「コロナ太り」をする人が増えたというニュースも取り上げられています。しかし、反対に、食事の回数が減ったり、粗食ですませてしまうため、「コロナ痩せ」をしたという人もいるようです。特に高齢者の場合、この「コロナ痩せ」が、「フレイル」の状態に繋がります。

 厚生労働省の特別研究班によるフレイルに関する報告書では、「フレイル」とは、「加齢とともに、心身の活力(運動機能や認知機能等)が低下し、複数の慢性疾患の併存などの影響もあり、生活機能が障害され、心身の脆弱化が出現した状態であるが、一方で適切な介入・支援により、生活機能の維持向上が可能な状態」としています。加齢により心身が衰えた状態のことで、健康な状態と要介護状態の間に位置し、身体的機能や認知機能の低下が見られる状態をさします。ただし、この状態になっても、適当な予防や治療を行えば、要介護状態に進まずにすむ可能性があります。

 ジョンズ・ホプキンス大学の定義によると、「フレイル」の要件のうちの3つ以上に当てはまると、「フレイル」とみなされます。その要件とは、
1)過去1年間に、意図していないのに10ポンド(約4.5キロ)以上、 体重が減った
2)何かの支えなしで立っていられない、または握力が弱くなるなど、体力が落ちた
3)倦怠感があり、何をするにも大変で、週に3日以上はいつも疲れを感じている
4)運動だけではなく、家事や趣味の活動を含む活動量が減った
5)歩く速度が遅くなり、15フィート(約4.6メートル)を歩くのに、6秒から7秒以上かかる
の5項目です。

 「フレイル」の状態になると、「サルコペニア」の発症に繋がる可能性も増します。人間の筋肉量増加のピークは20歳前後で、40歳を過ぎると、筋肉量が徐々に減少し、加齢とともにその速度が早まります。このような、加齢による筋肉量の減少や、それが原因で筋力や身体機能が低下することを「サルコペニア(sarcopenia、加齢性筋肉減少症)」と呼びます。「握力」、「筋肉量」、「歩行速度」を基準に、これらすべてにおいて基準を下回ると、「サルコペニア」と診断されます。

 「フレイル」の状態で運動量が減ると、あまりお腹が空かず、食事も簡単にすませてしまい、「低栄養」になりがちです。「低栄養」になると、筋肉量が減ってきます。筋肉量が減ると筋肉の衰えが進み、バランス能力も低下し、転倒、転落しやすくなります。転倒、転落しやすくなると、骨折や頭部外傷などの頻度が増えます。特に高齢者の骨折は、大腿部が多く、長く安静にしている必要があります。その結果、歩けなくなり、寝たきりになるリスクが高まります。寝たきりになることで、「認知症」が進行するだけでなく、「MCI(軽度認知障害)」から「認知症」に移行したり、 それをきっかけに「認知症」を発症することもあります。また、人間の体の中で最も熱量を生み出す筋肉が減ると、体温が低下します。体温が下がると免疫細胞の働きが鈍くなり、免疫力が低下します。免疫力が下がると、合併症を引き起こしやすくなります。こうして、「フレイル」が健康の負のサイクルを招き、「生活の質」はどんどん落ちていきます。

 加齢よる体の変化を避けて通ることはできません。しかし、「フレイル」は予防できます。適度な運動で全身の筋力を維持し、筋肉のもとになるタンパク質を積極的に摂り、バランスのとれた食事に気を配り、人と話すことを楽しみ、新しいことに挑戦する。これらを意識した生活習慣が、予防の要となります。筋肉や脳は、使わないことには、衰えるいっぽうです。

 感染症を恐れるあまり、必要以上に活動を制限していませんか?

後期高齢者の保険事業の在り方に関する研究(ポイント)
厚生労働省
https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12601000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Shakaihoshoutantou/0000125471.pdf

Stay Strong: Four Ways t Beat the Frailty Risks
Johns Hopkins Medicine
https://www.hopkinsmedicine.org/health/wellness-and-prevention/stay-strong-four-ways-to-beat-the-frailty-risk

フレイルとは
健康長寿ネット
https://www.tyojyu.or.jp/net/byouki/frailty/about.html

*当コラムの内容は、筆者の体験および調査に基づくものです。専門的なアドバイス、診断、治療に代わるもの、または、そのように扱われるべきものではないことをご了承ください。

ガーリック康子 プロフィール

 本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定。

170 「おばあちゃん」は病気

~認知症と二人三脚 ~

ガーリック康子

 小学生の頃、夏休みになると、母と一緒に新幹線に乗って、一人暮らしをしていた母方の祖母の家に遊びに行きました。乗車前に買った駅弁と四角い容器に入った静岡茶。おやつは、必ず冷凍みかん。在来線やバスを乗り継ぎ、やっと着いた祖母の家。着いた途端、母の言葉が方言に戻ります。毎朝、仏壇の前でお経を読む祖母の真似をして私も正座をし、数珠を手に一緒にお経を読みます。祖母の家の庭には小さな畑があり、マクワウリがたくさん実っています。草むしりや水やりを手伝うのが、滞在中の日課です。宿題の絵日記に書くことが山ほどある、楽しい夏休みでした。

 そして、いつの頃からか、夏休みに祖母の家に行くことはなくなっていました。初めはその理由をよく知りませんでしたが、祖母はしばらく入院していたのです。かすかな記憶を辿ると、確か、最初の入院の理由は「骨折」でした。最終的に自宅に戻ることはできず、介護施設に入ることになりました。祖母が介護施設に入ることになった理由は、「認知症」ではありませんでした。しかし、今思えば、寝たきりの状態で、おそらく母以外には訪ねてくる人もいない刺激のない毎日が続くことで、施設にいる間に「認知症」を発症していたとしても、不思議はありません。

 どの時点で、母がひとりで、祖母の様子を見に行くようになったのかは、よく覚えていません。でも、私が大学生の頃には、母と一緒に、介護施設にいる祖母をお見舞いに行っていました。その頃はすでに寝たきりで、会話もほとんどできなくなっていました。初めて施設を訪ねた時の祖母の変わりようは、大きなショックでした。あんなに元気だった、大好きな祖母がやせ細り、おむつをして、自分で手足を自由に動かすことさえ難しくなっているのです。私は、祖母に悲しい顔は見せまいと、努めて明るく振舞っていましたが、祖母がいる部屋を出たとたん、どうにも堪えきれなくなり、涙が溢れてきました。会えるのはこれで最後かもしれないと思うと、余計、涙が止まりません。結局、祖母の最期は、同じ施設からの電話で知ることになります。私には何もできなかったことが、無念でなりませんでした。

 やがて時は流れ、母親になった私に連れられて、子どもたちが「おばあちゃん」に会いに行きます。小学校に入ってからは、夏休みを日本で過ごし、実家の近所の小学校に体験入学もしました。友達もでき、日本語も格段に上達しました。田んぼでアマガエルを捕まえ、地元のお祭りの縁日に行き、花火大会で初めて本物の花火を見物しました。料理の上手な「おばあちゃん」のお手伝いをし、一緒に近所のスーパーに行っておやつを買ってもらいました。

 そんなある年、私はひとりで日本に一時帰国します。いろいろな事情により、およそ2年振りの母との再会です。この時の訪問で、しばらく前から気になっていた母の様子や言動の変化に尋常でないものを感じたことが、その後の「認知症」の診断につながることになります。それ以来、「おばあちゃん」が病気だからという理由で、私ひとりで母に会いに行くことになります。一時帰国の理由が、「認知症」の母の介護の手伝いだったこと、その滞在が時には2ヶ月近くなること、介護の手伝いをしながら、私ひとりで子どもたちの面倒をみることは難しいことなどから、敢えて子どもたちを連れて行きませんでした。自分のことは自分でできる年齢ではありましたが、まだ未成年でしたから、私が日本にいる間、夫がひとりで子どもたちの面倒をみていました。結局そのまま、子どもたちが「おばあちゃん」に再び会うことはありませんでした。

 子どもたちには、「おばあちゃん」の病気が「認知症」であることも、治ることはないことも話していました。それでも、「おばあちゃん」に会いたがっていました。子どもたちが、病気の「おばあちゃん」に会わなかったことが良かったことなのかどうか、今もわかりません。もしかすると、病気でも会わせることで、人間の「老い」の現実を見せるべきだったのかもしれません。でもそれは、 変わり果てた祖母の姿を見て私が感じた、悲しさ、寂しさ、何もできない自分の不甲斐なさといったいろいろな気持ちを、子どもたちが感じることを意味します。それはどうにも偲びないという、母親としての感情が働いたのも事実です。

 もしかすると、一番、無念だったのは、母なのかもしれません。

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*当コラムの内容は、筆者の体験および調査に基づくものです。専門的なアドバイス、診断、治療に代わるもの、または、そのように扱われるべきものではないことをご了承ください。

ガーリック康子 プロフィール

 本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定。

168 介護と仕事 

~認知症と二人三脚 ~

ガーリック康子

 ある日突然、親の介護の責任が降りかかってきたら、どうしますか?

 多くの場合、介護は事前の準備も、場合によってはその知識もないまま、急に始まります。介護が始まれば、試行錯誤を重ねながら、一日一日をこなしていくしかありません。それまでの家族関係により、家族が協力しながら介護ができる場合もあれば、相談者もおらず、ひとりで抱え込んでしまう場合もあるでしょう。

 例えば、高齢で介護が必要になった親は70代か80代。その子供は、おそらく40代か50代でしょう。この年代は働き盛りで、収入が増える時期でもあります。おそらく子育ても一段落し、自分も歳を重ね、老後に備えて貯蓄をしている時期です。

 正社員で働いている人の場合、「介護休暇」や「有給休暇」を利用して、何とか仕事と介護を両立させることはできるかもしれません。しかし、介護が長期化すれば、その大変さから仕事との両立が難しくなり、介護に専念するために、止むを得ず離職を選択する。そのようなケースも増えているようです。介護は永遠に続くわけではありませんが、介護をする原因となった心身の障害や病気により、長丁場になることもありえます。そして、仕事を辞めてしまえば、収入源が大幅に減少することは明らかです。

 正社員で働いていた場合、仕事を辞めてしばらくの間は、「失業手当」に頼ることができます。しかし、給付期間が終わると、そこで定収入は途絶え、収入源は介護する親の「年金」のみになります。病気や怪我での入院費のような臨時の支出があり、その費用が「年金」で賄えなければ、貯蓄を切り崩すしかありません。介護が長期化すると、よっほどの金額の貯蓄がない限り経済的に困窮し、生活は破綻してしまいます。

 確かに、仕事を辞めても、親が健在の間は、親の「年金」や、親や自分の貯蓄とで生活が成り立つかもしれません。しかし、介護していた親が亡くなれば、「年金」も入ってこなくなります。無職のままでは生活が成り立たず、再就職を決め就職先を探しても、働いていなかった期間が長ければ長いほど、前職と同じ条件で再雇用される可能性は低くなるのが現実です。

 仕事を辞めた後、収入を得る方法として「フリーランス」で働くという選択肢はあります。時間や場所に縛られずに仕事ができ、スケジュールの融通もつけやすいため、介護には向いているかもしれません。しかし、それまでずっと「被雇用者」として働いていた人が、「フリーランス」に転向した直後から、簡単に収入に繋がるとは考えられません。誰かのためではなく、自分のために自由に働けるようになりますが、収入は全て自分次第。営業、経理、総務、広報など、すべての役割を背負うのも自分だけです。もちろん、「職場」の上司や同僚という、困った時の相談相手は存在しません。

 介護を始める前から「フリーランス」で働いている場合は、一見、楽に介護を始めることができそうです。時間の融通がつけやすいため、仕事を完全に辞める必要はありません。例えば、親がデイサービスに行っている間に仕事をすればいいのです。ただし、親の身の回りの世話の他に、買い物や炊事・洗濯から、その他の家事全般や雑用など、しなければならないことは山ほどあります。これらに費やす時間が増えることで、確実に仕事に使える時間は減り、収入は減少します。また、やれ、お手洗いに行きたい、喉が渇いたなどと、夜中に何度も起こされれば、介護する側の睡眠時間も減ってしまいます。それが毎晩続けば、慢性的な睡眠不足のため、仕事の効率は明らかに低下します。

 まさに私は、この「フリーランス」の「罠」にはまってしまったのです。私の場合は、年に数回、日本に一時帰国し、普段、母の面倒を見ている家族を手伝いに行くという、言わば「短期集中型の遠距離介護」でした。多くは仕事がらみの目的に合わせて、格安の航空券を購入し、数ヶ月単位で帰国していました。当初は、受ける仕事の量は減っても、仕事をしながら介護の手伝いができると高を括っていました。ところが、日常生活に関わる事の他に、私が手伝えそうな、普段は手が回らない事が思いの外多く、2度目からは、日本にいる間、仕事をすることは諦めました。1年の三分の一ほどは収入がなく、旅費や滞在期間中の生活費など、その期間が長くなるほど、支出が嵩んでいきました。

 介護の準備、できていますか?

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*当コラムの内容は、筆者の体験および調査に基づくものです。専門的なアドバイス、診断、治療に代わるもの、または、そのように扱われるべきものではないことをご了承ください。

ガーリック康子 プロフィール

 本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定。

167 片付けられないのは、認知症かも 

~認知症と二人三脚 ~

ガーリック康子

 「実家がゴミ屋敷のようになっている」、「親が物を捨てたがらず、どんどん溜まるいっぽうだ」、「綺麗好きだった母の部屋が、散らかり放題になっている」……。

 心当たり、ありませんか?

 これらはすべて、「片付け」ができなくなっている表れです。そして、片付けられなくなることは、さまざまな認知症の予兆のひとつでもあります。片付けたい気持ちはあっても、片付けるための段取りがわからなくなっていることや、片付けようと思っていたり、片付けの途中だったこと自体を忘れてしまうこともあります。

 私が母の認知症を疑うようになったのも、ある年、日本に一時帰国し、散らかり放題になった実家を目の当たりにしたことがきっかけです。玄関周り、母の部屋、リビング、台所、廊下と、母が暮らす1階のすべてのスペースがびっくりするほど散らかっているのです。翌日から片付けを始めることになるのですが、どこから手をつけて良いか途方に暮れてしまうほど、状況は予想以上でした。

 リビングには、開封されないまま溜まった郵便物や定期購読の雑誌。母の部屋には、1年前の日付の送り状の付いた、送られないままの小包。ミシンに乗った縫いかけの服。通帳が入っていない通帳カバー。広げたままの新聞。仏壇のお供えのご飯は乾いてカピカピ。台所の流しには洗い物が溜まり、ゴミ箱からは溢れるゴミ。どの部屋の床もほこりだらけで、風呂場やお手洗いはしばらく掃除をした形跡がありません。その上、預金通帳、印鑑、大事な書類など、決まった場所にあるはずの物が見つかりません。

 見つからない物をどこから探せばいいか全く見当がつかないまま、とにかく片付けながら探すしかありません。片付けないことには、食事の準備も入浴も、お手洗いにも行けず、普通の日常生活は送れません。部屋を母と一緒に片付けながら、何を探しているのか尋ねてみても、的を得ない答えがかえってきます。探し方に本人なりの基準があるようでしたが、少し片付くと、片付いたそばからまた散らかっていくいたちごっこで、なかなか捗りません。

 「散らばっている物などをいっぽうに寄せること、散らばっている物をきちんとした状態にすること、ごたごたしている物を整理すること」と定義される「片付け」には、普段よりも多くの労力や体力を必要とします。高齢者、況してや(ましてや)認知症など認知機能に支障がある場合、「片付け」は能力を超えた作業です。 では、なぜ片付けられなくなるのでしょう。

 「認知症」の中核症状のひとつに、「実行機能障害」があります。これは、物事を系統立てて考えたり、実行したりすることが難しくなる障害です。「片付ける」作業を行うためには、まず、「散らかっている」という認識が必要です。散らかっていることを認識した後に、それを適当な場所に戻したり、いらないものを処分したりする、実際の「片付ける」作業に移ります。もちろん、散らかっている状態の捉え方や、許容範囲には個人差があります。しかし、散らかっている状態を把握することはできても、それを片付ける行動に移せない場合があります。また、必要な物と不必要な物との区別がつかなかったり、処分の仕方がわからない場合もあります。散らかったままになることが積み重なり、さらに散らかり、極端な場合は「ゴミ屋敷」のような状態になってしまいます。このような場合、「実行機能障害」の可能性があります。

 また、「記憶障害」も、「認知症」の中核症状のひとつで、自分の体験した出来事や過去についての記憶が抜け落ちてしまう障害です。覚えていたことが思い出せないだけでなく、新しい出来事を覚えておくことができない、または覚えたはずなのにすぐ忘れてしまう状態です。自覚のある「物忘れ」とは違い、本人に自覚はなく、日常生活に支障が出てきます。例えば、いつも決まった場所にある物を使った後、元の場所に戻さないと、次に使う時にはもうそこにはありません。どこに置いたかが思い出せない場合、あちこち探し回ることになります。ところが、自分がいつもと違う所に置いた「出来事」を忘れている場合は、その記憶がないため、そこにないのは「誰かが盗んだ」から、という結論に至ることもあります。同居する家族や時々やってくるヘルパーさんを疑ったり、泥棒が入って盗まれたと、事実とは異なることを話し始めたら、「記憶障害」のせいかもしれません。

 初めは少しずつ、そのうち手が付けられないほど散らかってしまう。特に、同居する家族がいなければ、誰にも気づかれないまま、ゴミの中で生活するような状態になることもあり得ます。

 実家の親御さんは大丈夫ですか?

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*当コラムの内容は、筆者の体験および調査に基づくものです。専門的なアドバイス、診断、治療に代わるもの、または、そのように扱われるべきものではないことをご了承ください。

ガーリック康子 プロフィール

 本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定。

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