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Naomi Mishima

Naomi Mishima
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自力整体カナダ2025年10月から2026年3月までのお知らせ

自然治癒力・自己免疫力がつき、身体が整う教室を開催しています

身体の痛みや各種の不快症状も自分で完治できるどこにもない教室です

★日系センター教室   初心者、単発参加も大いに歓迎 !

⑩金曜日クラス 10月3日(金)・31日(金) AM10:30~11:30
10月の日曜日クラスは休講

⑪金曜日クラス 11月7日(金)・21日(金) AM10:30~11:30
日曜日クラス 11月30日(日) 正午~13:00

⑫金曜日クラス 12月5日・12日・19日(金)AM10:30~11:30
12月の日曜日クラスは休講

①金曜日クラス 1月9日(金)・23日(金)AM10:30~11:30
日曜日クラス 1月18日(日) 正午~13:00

②金曜日クラス 2月6日・13日・2月20日(金)AM10:30~11:30                                
2月の日曜日クラスは休講

③金曜日クラス3 月13日(金)・20日(金)AM10:30~11:30
日曜日クラス  3月29日(日) 正午~13:00

★Web教室も好評配信中❢サンプル動画もお気軽に❢
(月)・(木)の夕方クラス(週1回、1回90分)
(木)・(土)の朝のクラス(休憩時間5分込です)
★ Zoom配信ではなくWebが苦手な方も簡単と好評 ★

★Webサイトも「自力整体法カナダ」で配信中❢]
(Jirikiseitai.Canada@)

詳細・お問い合わせはお気軽に、、、
☎ 604-448-8854
eメール jirikiseitai.canada@gmail.com

★メールで教室開催案内を希望の方はお知らせください。

第28回 放置の方が高くつく!? 遺言とノート、作らなかった“代償”とは ~Let’s 海外終活~

終活は新しい大人のマナー

叶多範子

「遺言を作るのに高いお金は払いたくない」
「ノートなんて作らなくても、誰も困らないでしょ?」

そんな声を、今でも耳にします。しかし実際にそのまま人生を終えたとき、“放置の代償”は想像以上に大きくなるのです。

今回は、私がこれまでに見てきた現実の例をもとに、 遺言やノートを作らなかったことで起きる困難や負担についてお話しします。

遺言がないと、裁判所の手続きが複雑に

ある日、カナダ国内で日本人の男性が急逝。配偶者や子供はおらず、血縁者は全員日本に住んでおり、現地では友人が手続きを手伝うことになりました。

彼には遺言がなかったため、まずは裁判所で 「誰が遺産管理人になるか」を決める手続きから始まります。申請に必要な情報を調べ上げ、各金融機関へ連絡し、裁判所に書類を提出する——。そのプロセスと最終的な遺産分与までには数十ヶ月〜数年に及び、弁護士費用だけで100万円超えになることもあります。

遺言は「本人のため」というよりも、「残される人のため」のもの。だからこそ、亡くなる直前に家族が弁護士を病院やホスピスへ呼び、急いで遺言を作成するケースも少なくありません。

しかし急な依頼では、書類の準備や時間外対応などで通常の3〜5倍の費用がかかることもあります。「もっと早く準備してくれていたら」そうした後悔が残る場面を、私は何度も見てきました。

友人に頼ったとしても、限界がある

現地に家族がいない場合、頼れるのは友人です。最初は「世話になったから」「生前に頼まれていたから」と、善意で奔走してくれる人もいます。

しかし、何ヶ月にも及ぶ複雑な手続きや日本の親族とのやりとりに疲れ果て、 途中で「もうやめたい」と思ってしまう人も少なくありません。

しかも、その友人は遺言で相続人に指名されていない限り、どれだけ尽くしても遺産を受け取ることはできません。裁判所や金融機関から見れば「ただの第三者」であり、報酬も基本的にはなく(場合によってはあり)、苦労だけを背負うのです。

迷惑をこうむるのは、遺産を受け取る血縁者よりも、むしろ身近な友人であることも少なくありません。これも「準備をしないこと」の現実です。

ノートがないと、探し物から大混乱

遺言があっても、エンディングノートがないと別の問題が起きます。

・いくつ口座があり、どの銀行にあるのか?
・スマホのロック解除方法は?
・オンラインの明細やサブスクの「ログイン情報をどこに保管しているか?」
・加入している保険や会員サービスは?

まさに「知らないこと」だらけで、残された人は困り果ててしまいます。さらに、本人の希望がわからないことは、大きな負担となります。大切にしていたコレクションをどう扱うか。お墓やお葬式の希望はどうだったのか。判断に迷い続けることで、家族や友人は精神的に疲弊し、「これで良かったのだろうか」というモヤモヤを抱え続けることも少なくありません

一方で、ノートに思いや感謝の言葉が残されていれば、それだけで救われるご家族も少なくありません。「大切な人が最期に何を望んでいたのか」それを知ることができるのは、大きな支えになります。

“準備しないリスク”は、お金だけではない

遺言やノートを残さなかった場合、負担になるのは手続きや費用だけではありません。

大切な人の心に、迷いや争い、そして後悔を残してしまう。これこそ、最も見過ごせないリスクです。もちろん、準備には時間やエネルギーが必要です。しかし「何も残さないこと」の方が、まわりの人にとっては、より大きな負担になるのです。

今日のまとめ

遺言がなければ裁判所の手続きに時間と費用がかかり、ノートがなければ探し物や希望の不明確さで家族や友人が疲弊してしまいます。残さなかったこと、準備しなかったことが、結果的に大切な人を苦しめることもあるのです。

あなたの代わりに、誰かが泣きながら走り回る前に。小さな一歩から準備を始めてみませんか。

Let’s 海外終活!
「やっておけばよかった」と思わない未来へ。

終活とは誰かのためだけではなく、自分自身がこれからを楽しく悔いなく生きるために取り組むもの——。私はそれを「私活」と呼んでいます。

*ご感想・ご質問は、メールにてお気軽にどうぞ。voice@shukatsu.ca

本コラムは終活に関する一般的な情報提供を目的としています。内容には十分配慮しておりますが、必要に応じてご自身での確認や、専門家へのご相談をおすすめします。なお、本コラムをもとに行動されたことによる不利益については、免責とさせていただきます。

「Let’s海外終活~終活は新しい大人のマナー」の第1回からのコラムはこちらから。

叶多範子(かなだ・のりこ)

グローバルライフデザイナー/海外終活アドバイザー
カナダ・バンクーバー在住。

カナダで親しい友人を突然亡くしたことをきっかけに、終活の大切さを実感。
相続専門の弁護士アシスタントとしての経験をもとに、海外を含むさまざまな場所で暮らす日本人の終活を、学びの視点から支えている。

エンディングノートの活用や家族との対話を通じて、「自分らしくこれからを生きる」ヒントを共有する活動を続けている。

「終活」を、これからの人生を見つめ直す機会ととらえる——そんな“私活(わたしかつ)”という考え方も、大切にしている。

家族は、カナダ人の夫、2人の息子、愛猫1匹。
ホームページ:https://www.shukatsu.ca

和の学校@東漸寺9月のお知らせ

こんにちは。
夏休みが終わり、秋の風を感じる季節となりました。
9月9日は重陽の節句です。
陽が重なり、邪気を払うと言われています。

コキットラム市にあります東漸寺では、親子さん向けの五節句のお祝いとキッズ茶会を開いております。

今年最後のお節句のイベントとなります。
どうぞ、皆様お揃いでお寺へお越しください。

以下、ご案内となります。
どうぞよろしくお願い致します。

コナともこ
和の学校@東漸寺

重陽の節句

子ども演劇、茶道体験

914日(日)
午前1015分〜子ども演劇体験
午前11時〜子ども茶道体験

重陽の節句*キッズ茶会

子どもたちと楽しむ、お茶の時間♪呈茶スタイルでカジュアルに茶道経験してみましょう。
お茶代:$3(お子様〜12歳)$5(13歳〜大人)同時開催「子ども演劇体験」参加費:無料

演劇というコミュニケーションの表現を通じて、親子で昔話などの朗読や体を使った遊びをしてみませんか。
毎週日曜日、各種稽古を行っております。
最初は見学や体験から、お気軽にご参加くださいませ。

「フィルム向/殺陣教室」

9月7日、14日、28日(日曜日)*21日はお休みとなります。
午前10時~午後11時半 「殺陣*レギュラークラス」午後12時~午後1時半 「殺陣*基礎クラス」

<参加費>
レギュラークラス、基礎クラス
$23/回

「着付教室、着物ワークショップ/着物クラブ」

ご自分で着物を着て、お出かけしてみませんか。初心者向けの着付け教室です。
着物及び帯や小物のレンタルもしております。(有料)

*日時について変更もございますので、その都度ご連絡をいただけましたら幸いです。

<参加費>
通常教室$25/回(グループクラス;最少人数3名)

*セミプライベートやプライベートクラスもございます。

レンタル着物&名古屋帯$30/回 レンタル浴衣&半幅帯$20/回

「茶話タイム」
午後12時~1時
(茶話タイム内では、各種お教室に参加された方同士の社交の場として、お愉しみください。着物クラブを同時開催することもございます。)
茶話タイム $5~ドネーション/教室への参加者は無料です。

<和の学校@東漸寺イベント及び各種教室のお申し込み*お問い合わせ>
和の学校@東漸寺TOZENJI コナともこ tands410@gmail.com

住所 209 Jackson street Coquitlam, B.C.
和の学校@東漸寺ホームページ https://wanogakkou.jimdofree.com/

沖縄県人カナダ移住125周年記念公演 創作芸団レキオス「沖縄の鼓魂・ヌチカジリの響き、沖縄から世界へ」

日時:2025年9月21日(日) 午後4時~6時(開場:午後3時)

会場:Michael J. Fox Theatre(7373 Macpherson Ave, Burnaby)

チケット料金:一般:$30、シニア(65歳以上)・学生:$20、小人(4~12歳):$10、3歳以下:無料、※グループ割引:5枚以上のご購入で10%割引

お問い合わせ: REQUIOS2025@gmail.com Tel: 604-250-9532

チケット販売所:The Postcard Place、Tatchannoodle、Eventbrite (eventbrite.ca)

VIFF日本映画特集「映画ならではの多様な日本文化に触れる」

「見はらし世代(Brand New Landscape)」より。Photo provided by VIFF
「見はらし世代(Brand New Landscape)」より。Photo provided by VIFF

 バンクーバーが1年で最も華やぐ10日間、バンクーバー国際映画祭(VIFF)が10月2日に開幕する。すでに今年のラインナップも発表され、チケット販売も開始。徐々に雰囲気が盛り上がっている。

 今年のVIFFは例年以上に上映映画が多く、うれしいことに日本映画も日系や短編も含め10作品となっている。

 そこで今回は日本映画を紹介しよう。

「見はらし世代(Brand New Landscape)」団塚唯我監督

主演の黒崎煌代。「見はらし世代」(団塚唯我監督)より。Photo by VIFF
主演の黒崎煌代。「見はらし世代」(団塚唯我監督)より。Photo by VIFF

(日加トゥディ・メディアパートナー作品)

 舞台は再開発が進む東京・渋谷。主人公の蓮(黒崎煌代)は配送運転手として働く。母親を亡くして以来、疎遠になっていた父(遠藤憲一)とある日再会する。姉は父に全く関心がなく、黙々と自分の結婚の準備を進めている。蓮はこれを機会にもう一度家族だけで過ごしてお互いの距離を測り直そうと考える…。

 監督は短編「遠くへいきたいわ」の団塚唯我監督。「見はらし世代」はオリジナル脚本・初長編の作品で、日本人史上最年少の26歳で、いきなり今年のカンヌ国際映画祭の監督週間にも選出された。映画は渋谷の普遍的な家族の風景から、都市再開発がもたらす影響までを繊細に切実に描くと同時に、軽やかな新人監督ならではの日本映画に仕上がっている。

 日本では10月10日に全国公開。

https://viff.org/whats-on/viff25-brand-new-landscape

「あかし(Akashi)」吉田真由美監督

「あかし(Akashi)」より。Photo proided by VIFF
「あかし(Akashi)」より。Photo proided by VIFF

 バンクーバー在住の吉田真由美監督の映画「あかし」の主人公は、アーチストの夢を追って10年間バンクーバーに住み続ける山本かな(監督兼俳優の吉田真由美)。ある日祖母の訃報を聞き葬儀に出席するために東京へ戻る。昔付き合っていた男性ヒロ(田島遼)と再会し、祖母の過去をたどるうちに、家族の秘密や今まで感じたことのなかった感情に出合う。

 白黒とカラーの交差した撮影が、かなの感じる愛、義務、自分の居場所などの感情を豊かに表現している。世界初プレミアはもちろんバンクーバー国際映画祭。

https://viff.org/whats-on/viff25-akashi

「国宝(Kokuho)」李相日監督

「国宝(Kokuho)」より。Photo proided by VIFF
「国宝(Kokuho)」より。Photo proided by VIFF

 「壮大な芸道映画」を書くために3年間も歌舞伎の楽屋に入った原作者の吉田修一さん。ストーリーは歌舞伎役者の家に引き取られた主人公・立花喜久雄(吉沢亮)の50年の記録を描く。「任侠抗争」によって父を亡くした喜久雄は美しい顔立ちをしていたため、見初められて歌舞伎の世界へ。血筋と才能、歓喜と絶望、信頼と裏切りの中で苦しみながら進んで行く主人公が、国の宝になるまでを描く。

 監督は「フラガール」で日本アカデミー賞の最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀脚本賞を受賞した李相日監督。4代目中村鴈治郎さんが俳優として参加し、女形を演じる俳優陣の歌舞伎指導にあたったという。喜久雄のライバル役に横浜流星、歌舞伎名門の当主に渡辺謙、さらに日本映画に欠かせない豪華俳優たちが結集する。

https://viff.org/whats-on/viff25-kokuho

「西海楽園(Saikai Paradise)」鶴岡慧子監督

「西海楽園(Saikai Paradise)」より。Photo proided by VIFF
「西海楽園(Saikai Paradise)」より。Photo proided by VIFF

 映画「まく子」と「バカ塗りの娘」でVIFFに登場した鶴岡慧子監督。これまで青森、群馬、長野など各地の風景を撮り続けてきた監督が、学生時代からの盟友で俳優の柳谷一成を主演にして、彼の生まれ故郷である長崎県西海市で撮影した作品。タイトルは実在し2007年に閉園した仏教テーマパーク「西海楽園」から来ている。

 東京で苦闘する俳優・カズナリ(柳谷一成)は、俳優としては行き詰まり、婚約も破談となるなど度重なる失敗の末に故郷の長崎県西海市に親友のウエハラ(上原大生)と帰ってくる。家族が営む小さな豆腐店や、懐かしい顔ぶれに温かく迎えられるが、彼の心には失敗の痛みが残り、見慣れたはずの街並みもどこか遠く感じられる。そんな宙ぶらりんな感情で、一成は幼なじみの親戚・ミキ(木下美咲)と出会う。彼女との交流を通じて、一成はかつて故郷の夢の象徴だった廃墟となった遊園地「西海楽園」へと導かれていく。

https://viff.org/whats-on/viff25-saikai-paradise

「まっすぐな首(A Very Straight Neck)」空音央監督

「まっすぐな首(A Very Straight Neck)」より。Photo proided by VIFF
「まっすぐな首(A Very Straight Neck)」より。Photo proided by VIFF

 昨年のVIFFで「HAPPYEND」が上映され好評だったニューヨーク在住の空音央監督。この最新作は今年8月のロカルノ国際映画祭でプレミア上映し、最優秀短編映画賞を受賞したばかり。

 首の激しい痛みと共に目覚めた女性(安藤サクラ)は自分の子ども時代の記憶を思い出す。悪夢が徐々に身体に影響して、過去と現在が混ざり合い、彼女はバランスを失っていく…。

 短編映画だが、予告だけではホラーなのかアニメなのか内容も不明なのでこれは見てのお楽しみ。

https://viff.org/whats-on/viff25-a-very-straight-neck

「粒子のダンス(particle dance)」岡博大監督

「粒子のダンス(particle dance)」Photo proided by VIFF
「粒子のダンス(particle dance)」Photo proided by VIFF

 岡博大監督が大学時代の恩師、建築家・隈研吾氏を後世へ継承しようと、2010 年から15 年もかけて自主制作したドキュメンタリー映画。映像には世界16カ国80以上の建築プロジェクトが登場している。東日本大震災に伴う東北での復興プロジェクト、2020年東京オリンピック、新型コロナウイルス禍などで、絶えず新たな建築のあり方を問いながら提案し続ける隈氏。彼が普段旅する姿や建築教育の様子などを追う紀行映画。

https://viff.org/whats-on/viff25-particle-dance

「ルノワール(Renoir)」早川千絵監督

「ルノワール(Renoir)」より。Photo proided by VIFF
「ルノワール(Renoir)」より。Photo proided by VIFF

 舞台は1987年夏の東京郊外。主人公沖田フキ(鈴木唯)は感受性と想像力の強いまだ11歳の少女。闘病中の父(リリー・フランキー)と仕事に追われる母(石田ひかり)と3人で暮らしている。親から十分にかまってもらえないフキは、それぞれ別の事情を抱えた他の大人たちと出会う。

 監督はデビュー作「Plan 75」でいきなりカンヌ国際映画祭の新人監督部門で特別表彰を受けた早川千絵監督。この作品も今年同映画祭の最高となるコンペティション部門に招待された。

https://viff.org/whats-on/viff25-renoir

「レンタル・ファミリー(Rental Family)」Hikari 監督(言語:英語)

「レンタル・ファミリー(Rental Family)」より。Photo proided by VIFF
「レンタル・ファミリー(Rental Family)」より。Photo proided by VIFF

 日本・アメリカの共同制作で、日本人俳優・柄本明や平岳大が出演するコメディドラマ。監督は「37セカンズ」でベルリン国際映画祭パノラマ観客賞を受賞しているHikari(宮崎光代)監督。

 一人で東京に住む孤独なアメリカ人俳優(ブレンダン・フレイザー)は、ふとしたことから「レンタル・ファミリー」ビジネスで見知らぬ人たちの家族を演じることになる。だがそのうち彼も新しい家族と…。今月トロント国際映画祭でプレミア上映の作品。

https://viff.org/whats-on/viff25-rental-family

「Tears Burn to Ash」ナタリー・ムラオ監督

「Tears Burn to Ash」より。Photo proided by VIFF
「Tears Burn to Ash」より。Photo proided by VIFF

 日系カナダ人4世ナタリー・ムラオ監督の短編映画。

 タミーは20代の日系カナダ人女性。東京に到着した彼女は、バンクーバーに住む祖母が危篤であるという思いがけない知らせを受ける。タミーはその後の12時間を東京のナイトライフの中で過ごしながら、家族の死、過去とのつながり、そして自身の文化的ルーツという、避けられない喪失感と向き合うことになる。

https://viff.org/whats-on/viff25-tears-burn-to-ash

「その花は夜に咲く(Skin of Youth)」アッシュ・メイフェア監督

「その花は夜に咲く(Skin of Youth)」より。Photo proided by VIFF
「その花は夜に咲く(Skin of Youth)」より。Photo proided by VIFF

 舞台は90年代のベトナム・サイゴン。望まぬ性に生まれナイトクラブで働くサンとボクサーのナムは二人で静かに暮らしていた。だが高額な手術費が必要なサンのために、より稼ぎの良い闇の仕事を引き受けてしまうナム。運命が狂い始めた二人の愛の行く末は…。

 運命の鍵を握るミスター・ヴーン役に「侍タイムスリッパー」で好演した井上肇が、全てベトナム語で魅せてくれる。監督は「第三夫人と髪飾り」で注目されたベトナムのアッシュ・メイフェア監督。

https://viff.org/whats-on/viff25-skin-of-youth

バンクーバー国際映画祭

期間:2025年10月2日~12日
会場:バンクーバー市内10カ所
ウェブサイト:https://viff.org/festival/viff-2025
チケット:大人21ドル、シニア19ドル、学生・ユース16ドル、6枚チケットパック120ドル・10枚チケットパック180ド(チケットパック学生シニア料金あり)、その他詳しくはviff.org/ticket-infoを参照

(記事 Jenna Park)

VIFFチケット読者プレゼントのお知らせ

 毎年実施しているVIFF読者プレゼント。今年は日加トゥデイのメディアパートナー作品「見はらし世代(Brand New Landscape)」を10名に、好きな映画を選べる一般チケットを10名にプレゼントします。

 希望の方は件名に「VIFFチケット希望」として、「見はらし世代(Brand New Landscape)」もしくは一般チケットのどちらを希望するか明記してください。

 応募先は、promo@japancanadatoday.ca。締め切りは9月12日(金)午後5時。抽選の上、当選した方に直接連絡いたします。

 みなさまのご応募をお待ちしております。

(編集部)

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「カナダ“乗り鉄”の旅」第28回 夢見心地の車中泊体験、それでも「古希」の客車にはサプライズが… シリーズ「カナディアン」【2】

VIA鉄道カナダの「カナディアン」の最後尾に連結された展望車(大塚圭一郎撮影)
VIA鉄道カナダの「カナディアン」の最後尾に連結された展望車(大塚圭一郎撮影)

大塚圭一郎

 VIA鉄道カナダの夜行列車「カナディアン」の列車番号2番の東部オンタリオ州トロント行きに乗り込むため、西部の主要都市ブリティッシュコロンビア州バンクーバーを訪れた。予約していたのは寝台車の個室「寝台車プラスクラス」で、夢見心地の車中泊を体験できることは折り紙付きだ。それでも、乗り込むのは1954年に登場した「古希」を過ぎた客車だけに、サプライズも待ち受けていた。

【カナディアン】カナダの都市間旅客鉄道を運行する国営企業、VIA鉄道カナダが運行している北米唯一の大陸横断旅客列車。トロントの中央駅に当たるユニオン駅とバンクーバーのパシフィックセントラル駅を4泊5日、93~97時間程度かけて結ぶ。カナダの中央銀行、カナダ銀行が発行していた10カナダドルの旧紙幣に、カナディアンがカナディアンロッキーを駆けるイラストを載せていたように看板列車の位置づけで、列車番号はトロント発バンクーバー行きのカナディアンに「1番」、バンクーバー発に「2番」を付けている。

 列車には最も安く利用できる座席のエコノミークラス、開放型の上下になった2段寝台、原則として1人用と2人用がある個室寝台の「寝台車プラスクラス」、2人用個室の豪華仕様になった最高級の「プレスティージ寝台車クラス」がある。ドーム状のガラス張りの展望スペースを2階に備えた客車や、シェフが車内でその場で調理した料理を提供する食堂車も連結している。カナダだけではなく外国の旅行者からも人気があるため、寝台車は早い段階で予約が埋まることが多い。

▽列車に乗るのに、利用者は入り口と反対方向へ“逆流”

 2024年8月12日午後、バンクーバーのパシフィックセントラル駅の待合室で列車に案内されるのを待っていた。頭端式プラットホームが並んでおり、行き止まりになった線路の先に待合室のテラス席がある。私はホーム近くの“一等地”に陣取ってコーヒーを味わっていた。

 「カナディアン」の最後尾に連結される先端が丸くなった展望車「パークカー」を眺めながら、この先の旅路を想像するというのは実にぜいたくな時間だ。出発の30分前となった午後2時半ごろ、係員から「お待たせしました。列車にご乗車ください」と案内があった。

 この待合室には駅のコンコースから入ってきたため、私はその順路を戻ろうとしたが、人流に行く手を阻まれた。他の利用者が“逆流”してホームの方へ向かってくるのだ。

 振り返ると、係員がテラス席とホームの間に置かれていたついたての一角を開いていた。その隙間を通り、利用者がそのままホームになだれ込んで列車へと向かった。なんとも合理的な仕組みだ。

 私もきびすを返してホームへと進み、予約していた15号車の「寝台車プラスクラス」の2人用個室に入った。日中は列車内を放浪することが多い息子と私がこの個室を使い、客室でゆっくりと過ごすことを好む妻には同じ「寝台車プラスクラス」の近くにある1人用個室を手配していた。

▽トイレの洗浄ボタンもしっかりと指さし確認、もっともな理由は

VIA鉄道カナダの「カナディアン」の「寝台車プラスクラス」の2人用個室の日中の状態(大塚圭一郎撮影)
VIA鉄道カナダの「カナディアン」の「寝台車プラスクラス」の2人用個室の日中の状態(大塚圭一郎撮影)

 2人用個室「寝台車プラスクラス」は窓際の通路に沿った奥行き2・2メートル、幅1・51メートルの部屋で、扉で仕切られたトイレも備えている。日中は2脚のいすがしつらえており、夜になるといすを折りたたみ、代わりに2段の寝台を引き出す。上の段の寝台は天井から降ろし、下の段は壁から引き出す。

 息子と私がいすに腰かけていると、客室乗務員のクレールさんがやって来て照明のスイッチの位置、非常時の脱出方法を説明してくれた。鉄道員(ぽっぽや)らしく、トイレの洗浄ボタンもしっかりと指さし確認をして教えてくれた。

VIA鉄道カナダの「カナディアン」の「寝台車プラスクラス」の2人用個室の2段寝台を出した状態(大塚圭一郎撮影)
VIA鉄道カナダの「カナディアン」の「寝台車プラスクラス」の2人用個室の2段寝台を出した状態(大塚圭一郎撮影)

 それにはもっともな理由があった。近くには客室乗務員の呼び出しボタンがあり、同じくらいの大きさの円形のボタンで見分けにくいのだ。もしも説明を省略してしまい、結果として真夜中も個室から「呼び出し」がかかってしまっては客室乗務員も安眠を妨害されかねないのだ。

 一通りの説明を終えると、クレールさんは「夕方に(2段の寝台を引き出す)ベッドメーキングが必要な時と、朝に片付ける時にはそこにつり下がっているルームタグを扉に掲げてください。私が対応します」と話し、次の個室へと向かった。

▽ルームタグには日本語も!

 ホテルの客室で見かけるのと同じようなルームタグは、カナダの公用語である英語とフランス語に加えてドイツ語、スペイン語、そして日本語も記されている。唯一のアジアの言語に国連公用語で話者も多い中国語ではなく、日本語を採用しているのは「最近は少なくなってしまったものの、かつては大勢の日本人が乗車していた」(客室乗務員のエミリー・ファラージさん)という日本人が海外へ盛んに雄飛していた黄金時代の〝遺産〟らしい。

VIA鉄道カナダの「カナディアン」の寝台車で使われているルームタグ(大塚圭一郎撮影)
VIA鉄道カナダの「カナディアン」の寝台車で使われているルームタグ(大塚圭一郎撮影)

 ただ、英語の「Please make up the room」を日本語で「部屋を作ってください」と記しているのはやや直訳的な気がした。「部屋を掃除してください」と表記した方が良いだろう。一方、裏面の英語の「Please do not disturb」を「邪魔しないでください」と訳したのは適切だ。

 入り口の扉の脇には、ふたが付いた小箱がある。目立たないので多くの利用者が気づかないまま入れ替わっていくが、ファラージさんはその正体を「昔は靴箱に使っていたのです。靴を入れておくと、夜中のうちに客室乗務員が靴を磨くサービスがあったのです」と教えてくれた。

 ファラージさんは「このため、当時の客室乗務員は靴磨きが終わるまで眠れなかったと聞きました」とした上で、「靴磨きサービスが廃止されて良かったです。続けられていれば、私も深夜労働を余儀なくされていましたので…」とおどけた。

▽1人用個室の日本では考えられない設計とは…

 同じ客車には2人用個室のほかに1人用個室、個室ではない開放型の2段寝台、共用のシャワールームとトイレもある。シャワーは寝台車の利用者ならば空いている時に使うことができ、ダイヤルを回して温度を調整し、ボタンを押すとお湯が出てくる。

日本最後の定期寝台列車の「サンライズエクスプレス」(大塚圭一郎撮影)
日本最後の定期寝台列車の「サンライズエクスプレス」(大塚圭一郎撮影)

 “使い放題”のシャワーに対し、日本のJRの寝台列車利用者からは「うらやましい」という怨嗟の声が漏れることだろう。というのも、日本で最後の定期寝台特急となった東京―出雲(島根県出雲市)間の特急「サンライズ出雲」と、東京―高松・琴平(香川県琴平町)を結ぶ「サンライズ瀬戸」からなる「サンライズエクスプレス」ではシャワールームが争奪戦になっているからだ。

「サンライズエクスプレス」のシャワーカード販売機。既に売り切れていた(大塚圭一郎撮影)
「サンライズエクスプレス」のシャワーカード販売機。既に売り切れていた(大塚圭一郎撮影)

 サンライズエクスプレスのシャワールームを利用するには、シャワーカードが入っているA寝台個室の利用者以外は7両編成に1カ所だけある販売機で売られている330円のシャワーカードを買う必要がある。その枚数が、わずか20枚限定なのだ。

 枚数が限られているのはシャワーにお湯を供給する貯水タンクの容量が限られているためで、列車が始発駅を出発する前に早々と売り切れてしまうことも。シャワーカードを使ってお湯が出てくるのは6分間で、シャワールーム内には残り時間が分かる表示器を設けているほど。

 列車内のシャワー利用が日本では“高嶺の花”なのに対し、カナディアンはいかに鷹揚なのかを分かっていただけよう。

 1人用個室は車両の真ん中の通路に沿って左右にあるため、奥行きは1・1メートルと2人用個室の半分しかない。だが、幅は1・96メートルあるため、横たわるのには十分な広さだ。

「寝台車プラスクラス」の1人用個室の寝台を片付けた状態。左側のふたを開けると中には…(大塚圭一郎撮影)
「寝台車プラスクラス」の1人用個室の寝台を片付けた状態。左側のふたを開けると中には…(大塚圭一郎撮影)

 室内には2人用個室とは異なり、扉で仕切られたトイレは備えていない。ただし、驚くべきことに“トイレなし物件”ではないのだ。夜間の寝台を引き出した状態では埋もれるものの、日中に座るいすの目の前にはふたが付いているものの便器が置かれているのだ。

 私はアメリカで全米鉄道旅客公社(アムトラック)の夜行列車でそのような個室を経験済みのため、妻に「2人用個室と代わってもいい」と申し出た。これに対し、「ベッドを出しっ放しにして過ごせば気にならないからいい」という妻の適応力の高い返事を聞いて胸をなで下ろした。

 客室乗務員も1人用個室の利用者には「共用トイレがあるので、そちらをお使いください」と案内していたが、日本では到底考えられない設計であろう。

 なお、VIA鉄道およびカナダは全く非がないことを強調しておきたい。この客車を製造した“悪役”はかつてアメリカに存在した企業、その名も「バッド」(※)。読んで字のごとしだ…。

※社名のローマ字表記は「Budd」であり、悪を意味する「Bad」ではありません

共同通信社元ワシントン支局次長で「VIAクラブ日本支部」会員の大塚圭一郎氏が贈る、カナダにまつわる鉄道の魅力を紹介するコラム「カナダ “乗り鉄” の旅」。第1回からすべてのコラムは以下よりご覧いただけます。
カナダ “乗り鉄” の旅

大塚圭一郎(おおつか・けいいちろう)
共同通信社経済部次長・「VIAクラブ日本支部」会員

1973年、東京都生まれ。97年に国立東京外国語大学外国語学部フランス語学科を卒業し、社団法人(現一般社団法人)共同通信社に入社。2013~16年にニューヨーク支局特派員、20~24年にワシントン支局次長を歴任し、アメリカに通算10年間住んだ。24年9月から現職。国内外の運輸・旅行・観光分野や国際経済などの記事を多く執筆しており、VIA鉄道カナダの公式愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員として鉄道も積極的に利用しながらカナダ10州を全て訪れた。

 優れた鉄道旅行を選ぶ賞「鉄旅(てつたび)オブザイヤー」(http://www.tetsutabi-award.net/)の審査員を2013年度から務めている。共同通信と全国の新聞でつくるニュースサイト「47NEWS(よんななニュース)」や「Yahoo!ニュース」などに掲載されている連載『鉄道なにコレ!?』と鉄道コラム「汐留鉄道倶楽部」(https://www.47news.jp/column/railroad_club)を執筆し、「共同通信ポッドキャスト」(https://digital.kyodonews.jp/kyodopodcast/railway.html)に出演。
 本コラム「カナダ“乗り鉄”の旅」や、旅行サイト「Risvel(リスヴェル)」のコラム「“鉄分”サプリの旅」(https://www.risvel.com/column_list.php?cnid=22)も連載中。
 共著書に『わたしの居場所』(現代人文社)、『平成をあるく』(柘植書房新社)などがある。東京外大の同窓会、一般社団法人東京外語会(https://www.gaigokai.or.jp/)の広報委員で元理事。

モントリオール植物園日本館で被爆80年展示会「被爆者の体験した記憶を次世代へと引き継ぎたい」

モントリオール植物園日本館で開催されている広島の基町高校の生徒が描いた「原爆の絵」を展示する「Hiroshima – Passing the Torch(Hiroshima – Relayer l’Histoire)」の様子。Photo: Ms. Sonia Dandaneau
モントリオール植物園日本館で開催されている広島の基町高校の生徒が描いた「原爆の絵」を展示する「Hiroshima – Passing the Torch(Hiroshima – Relayer l’Histoire)」の様子。Photo: Ms. Sonia Dandaneau

 カナダ・モントリオール市のモントリオール植物園内にある日本館で広島の高校生が描いた「原爆の絵」を展示する「Hiroshima – Passing the Torch(Hiroshima – Relayer l’Histoire)」が開催されている。

 モントリオール市は広島市と姉妹都市で、毎年8月5日午後7時15分(日本時間8月6日8時15分)には同園内日本庭園で平和式典が行われている。

 展示会を企画したモントリオール植物園日本庭園日本館館長ソニア・ダンダノーさんに話を聞いた。

広島基町高校生徒が描いた被爆者の体験した「原爆の絵」を通して次世代へとつなげたい

 今年は広島に原爆が投下されて80年という節目の年を迎えた。モントリオール市は1998年に広島市と姉妹都市提携。それ以前にも1987年7月には平和首長会議に参加していた同市にとって被爆80年を特別な思いで迎えていたという。

 「被爆80年という現実を考える時、『ヒバクシャ』がいなくなっていくということは、歴史の記憶に大きな穴が開くということだと思いました。被爆し、原爆投下の被害を目の当たりにした体験をした人は彼ら以外にいないのです」

 そこでこの貴重な体験をどのように伝えるかと考えた時、次世代に引き継がなければならないという思いに駆られたと語る。

 「『ヒバクシャ』の体験は忘れてはならない。人間には過去の過ちを簡単に忘れ、繰り返すという性質がある。若い人たちに伝えるにはどうすればいいか」。当初は日本館が所有する被爆者自身が描いた作品30点を展示することを考えた。しかし、被爆者の記憶を次世代へと継承していくための取り組みとして、基町高校のプロジェクトに注目した。

 広島市基町高校では、広島平和記念資料館が2004年から行っている「被爆体験証言者の記憶に残る被爆時の光景を若者が絵に描き、当時の状況を伝える『次世代と描く原爆の絵』の事業」に2007年から同校創造表現コースの生徒が参加していた。被爆者との共同制作による「原爆の絵」として資料館に保存されている。

 「とても興味深いプロジェクトだと思いました」。作品の画像データを提供していることも分かった。そこで「約200点から私自身が選び、20点を展示することにしました。見る人に強く印象に残る作品、視覚的に訴える作品を中心に、さまざまな角度から紹介できると思う作品を選びました。選ぶ作業は大変で、かなりの時間がかかりました」。

 選んだ作品にはそれぞれに説明があり、高校生と被爆者のコメントが付いていた。「それらから印象に残ったコメントを選んで、テレビ画面に映し出すという方法で展示会場で紹介しています」。コメントを読んでいると「広島の高校生ですら原爆について知らないことがあると気づいたと言っていました。それを考えると、広島以外、ましてや日本以外の若者はなおさらだと思います」

 今回の展示会を通して「私は見た人が、罪のない被爆した全ての人々が経験した苦しみや困難に共感し思いやりの心を持ってもらいたいと思います。また被爆を体験した実際の体験に耳を傾けてほしいです。偽の情報が深刻な問題をもたらしている現代だからこそ、確かな情報から学ばなければならない。体験者の声は重要な意味を持つのです。展示会を訪れた人がそれを理解してくれることを期待します」

広島とのつながりを大切に特別な思いで迎えた8月5日

多くの人が見守る中で行われたモントリオール植物園日本庭園での平和式典。平和の鐘を突くモントリオール市議会マルティンヌ・ムサウ=ムエレ議長(左)と内川昭彦モントリオール総領事。モントリオール日系コミュニティとMr. Luc Leblanc, a member of the Montréal Japanese Garden and Pavilion Foundationから贈られた各千羽鶴も平和の鐘に飾られた。Photo Crédit : Ville de Montréal / Meve Design
多くの人が見守る中で行われたモントリオール植物園日本庭園での平和式典。平和の鐘を突くモントリオール市議会マルティンヌ・ムサウ=ムエレ議長(左)と内川昭彦モントリオール総領事。モントリオール日系コミュニティとMr. Luc Leblanc, a member of the Montréal Japanese Garden and Pavilion Foundationから贈られた各千羽鶴も平和の鐘に飾られた。Photo Crédit : Ville de Montréal / Meve Design

 日本庭園には広島から寄贈された「平和の鐘」がある。毎年8月5日には記念式典が行われ、午後7時15分にモントリオール市代表と在モントリオール日本国総領事が共に鐘を突く。広島の8月6日8時15分と同時刻だ。

 ダンダノーさんによると今年は例年より多い約300人が参加したという。モントリオール市を代表してモントリオール市議会マルティンヌ・ムサウ=ムエレ議長と、内川昭彦モントリオール総領事が鐘を突いた後、広島市松井一實市長の平和宣言が読み上げられた。平和宣言は式典後に全文をフランス語、英語、日本語で読めるようにした。そして今年はさらに日本館での「原爆の絵」の展示会場も訪れたという。

 「すごくシンプルな式典ですが、毎年とても感動します」。さらに今年は80年ということで「みなさんに鐘の音を聞いてもらいたかったので」と8月6日にも鐘を突いた。1日かけて80回。「同僚の中には1日中鐘の近くにいて、訪れる人に広島との関係や、『なぜこういうことをしているのか、鐘はどういうものか』などを説明していました」。

 記念式典は毎年一般公開されている。ただ情報を知らない人は来ないため一般の人が鐘の音を聞く機会はほとんどない。「でも今年は8月6日が何の日か知らずに植物園を訪れた人にも紹介できる機会になりました」。広島のこと、モントリオールとの関係、鐘についてなどを伝える、「それが重要だったと思います」。

 「平和の鐘」は広島市との姉妹都市提携した年にモントリオール市に寄贈された。以来、平和式典で鐘を鳴らし、哀悼の意を表している。

 モントリオール植物園日本庭園と広島市との姉妹都市提携には縁がある。日本庭園造設のきっかけは、当時のピエール・ブルク植物園園長と日本人僧侶・高畑崇導さんの出会いだったと説明する。「お互いに尊敬する存在となり、高畑さんからブルク園長に植物園に日本庭園を造ってはどうかと提案したそうです」。

 モントリオール市では1967年にモントリオール万博、76年にモントリオールオリンピックと国際的なイベントが続いた。モントリオール市民が海外文化に興味を持つきっかけになり「タイミング的にとてもよかったのでは」と話す。

 資金集めやさまざまな問題をクリアして1988年に日本庭園がオープンした。手掛けたのは造園家・中島健さん。それから10年後、広島市と姉妹提携した。調印式には日本庭園オープン時に植物園園長だったブルグさんが市長として調印した。

 日本館は1989年にオープン。ダンダノーさんは「広島は今、市民の日常、未来に引き継ぐ平和」という展示会を開催したこともあると話した。「数年前にプライベートで家族と日本を訪れた時、広島にも行きました。その時に広島といえば原爆というイメージしかないということに気づいたんです」。そこで被爆地という顔だけではなく、広島の町、人々の日常などを紹介したいと思ったという。「もちろん被爆地としての広島は歴史の重要な一ページですが、それだけが広島の町を定義しているわけはないのです」。

 そこで広島市の協力も得て、展示会を開催した。「それは現在の広島の日常を伝えるものです。すばらしい町で暮らす豊かな生活です。広島という町について人々の見方を少し変えるきっかけになればと紹介しました」。

 広島の町の魅力もモントリオールで発信したダンダノーさん。モントリオールと日本をつなぐ役割も担い、その功績に2024(令和6)年春の外国人叙勲受章者として旭日双光章が贈られた。

 今回の展示会は今年10月31日まで開催されている。

「Hiroshima – Passing the Torch(Hiroshima – Relayer l’Histoire)」

期間:2025年8月1日~10月31日 午前10時~午後6時
会場:モントリオール植物園日本館(4101, rue Sherbrooke Est, Montréal, QC)
ウェブサイト:https://calendrier.espacepourlavie.ca/hiroshima-n-passing-the-torch-a-powerful-exhibition-984585

モントリオール植物園日本館で開催されている「Hiroshima – Passing the Torch(Hiroshima – Relayer l’Histoire)」で広島の基町高校の生徒が描いた「原爆の絵」を熱心に見る来場者。Photo: Ms. Sonia Dandaneau
モントリオール植物園日本館で開催されている「Hiroshima – Passing the Torch(Hiroshima – Relayer l’Histoire)」で広島の基町高校の生徒が描いた「原爆の絵」を熱心に見る来場者。Photo: Ms. Sonia Dandaneau

(取材 三島直美)

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カナダ日系文化会館JERFから東北3大学に各1000万円寄付

高円宮妃久子さま(前列中央)を囲んで記念撮影。後列はこの日の式典に参加した基金の支援を受けた元学生たち。2025年5月22日、東京。撮影 三島直美/日加トゥデイ
高円宮妃久子さま(前列中央)を囲んで記念撮影。後列はこの日の式典に参加した基金の支援を受けた元学生たち。2025年5月22日、東京。撮影 三島直美/日加トゥデイ

 カナダ日系文化会館(JCCC)は2011年に起きた東日本大震災で被災した東北3県の3大学に各1000万円(約10万ドル)を寄付した。5月22日には東京の在日カナダ大使館で贈呈式が行われた。式には高円宮妃久子さまも出席され、カナダからの迅速で多大な援助に改めて感謝の言葉を述べ、奨学金を受けた学生が夫(故高円宮)がそうであったようにカナダを第2の故郷のように思ってくれることを願っていると語った。

 JCCC Foundationは2011年の震災直後、甚大な被害を受けた東北地方の被災者を支援するため、カナダ人からの寄付を募る「東日本大震災救援基金(JERF: Japan Earthquake Relief Fund)」を設立した。きっかけは被災地を支援したいという想像を超えるカナダの人々からの声だった。集まった寄付金は、高等教育を続けるために経済的支援を必要としている東北の学生を支援するために使うことに決定。募金は約160万ドルに上った。JERFは、赤十字に10万ドル、福島県、宮城県、岩手県に高校までの生徒のために各10万ドルを寄付、加えて、大学生を対象にした奨学金に充てた。合計で1,179,679ドルがこれまでに使用された。

 奨学金は、東北大学、岩手県立大学、福島県立医科大学で、医療や福祉関係を目指す大学学部生・大学院生を対象とし、2012年からこれまでに63人(162件)が支援(65,587,104円)を受けた。

JERFを代表してあいさつするクリスティン・ナカムラさん。2025年5月22日、東京。撮影 三島直美/日加トゥデイ
JERFを代表してあいさつするクリスティン・ナカムラさん。2025年5月22日、東京。撮影 三島直美/日加トゥデイ

 しかし、JERF代表のクリスティン・ナカムラさんは、「震災から14年が経過し、基金はその目的を果たしたと判断したため、理事会は経済的支援を必要とし、カナダと何らかの関係がある学業のために利用してもらえればと、残りの基金を3大学に同額ずつ寄付することを決定した」と今回の寄付について説明した。

被災経験を基に地元で市民を支えられる人に

 この日は、これまでに基金の支援を受けたことがあり、現在はそれぞれの分野で活躍している元学生たちが多く出席、その中から6人が代表でスピーチした。

 震災当時、小学生から大学生だったという6人は、それぞれに震災の被害や家族を失った悲しみなどを語った。いつまでも続くのではないかと思われる地震にこの上ない恐怖を感じたこと、被災し、仮設住宅での生活を余儀なくされ、ストレスで不登校になったこと、持病を持つ家族を抱え心身ともに疲れ切っていたこと、恐怖と不安で震えていた避難所生活で看護師にかけてもらった言葉に勇気をもらったことなど、それぞれの10代の体験を話した。

 その中で、被害に遭った人たちを救いたいと医療や福祉の勉強をすることを決意したものの、さまざまな事情から大学や大学院への進学をあきらめかけた時に基金の支援はとても心強くうれしかったとそれぞれに感謝した。

 最後に語った福島県立医科大学耳鼻咽喉科学講座専攻医の斉藤杏さんは唯一英語でスピーチ。「カナダの皆さんに感謝を伝えるのに相手の言葉を使って話したかったから」と言う。「カナダに行ったことがないだけでなく飛行機にすら乗ったことがないが、英語でスピーチしようとチャレンジした」と笑顔を見せた。中学校の卒業式当日に地震に遭い、自宅は全壊。それでもこの経験があったから医療の道に進んで地元福島で医療に携わりたかったと語る。そして「いつかカナダの人々から受けた親切に恩返ししたい」と感謝した。

 式典を終え、ナカムラさんは「皆さんのスピーチを聞いて、また昔のことを思い出して涙が出ました」と話す。式典の様子はビデオ録画していて、トロントで関係者に見せるという。震災当時はJCCCに「なにか支援できることはないか」と多くの電話が掛かってきたため基金を作って支援することになったと振り返る。「支援が皆さんの役に立ったという話を聞いて感動しました。本当に支援をして良かったなって思います」と笑った。

(取材 三島直美)

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沖縄県人カナダ移住125周年記念公演 創作芸団レキオス「沖縄の鼓魂・ヌチカジリの響き、沖縄から世界へ」

日時:2025年9月21日(日) 午後4時~6時(開場:午後3時)

会場:Michael J. Fox Theatre(7373 Macpherson Ave, Burnaby)

チケット料金:一般:$30、シニア(65歳以上)・学生:$20、小人(4~12歳):$10、3歳以下:無料、※グループ割引:5枚以上のご購入で10%割引

お問い合わせ: REQUIOS2025@gmail.com Tel: 604-250-9532

チケット販売所:The Postcard Place、Tatchannoodle、Eventbrite (eventbrite.ca)

第44回バンクーバー国際映画祭「映画で見る世界中の文化」

VIFF今年のポスター。Photo by Jenna Park/Japan Canada Today
VIFF今年のポスター。Photo by Jenna Park/Japan Canada Today
記者会見の様子。Photo by Jenna Park/Japan Canada Today
記者会見の様子。Photo by Jenna Park/Japan Canada Today

 見たことのない世界の映画に触れて、自分の中で何かを感じる。そんな価値ある体験が意味ある変化を生み出すと、1982年に発足したThe Greater Vancouver International Film Festival Society。毎年バンクーバー国際映画祭の開催と、選りすぐった映画の上映をVIFF Centreで1年を通して提供している。

 2025年の今年も10月2日から12日まで、バンクーバー国際映画祭(VIFF)が開催される。今回は26本の世界プレミアを含む170本の長編映画と100本の短編映画(合計435回以上の上映)を、マクミラン・スペースセンター、グランビル・アイランドシアターやアリアンス・フランセーズを含む10カ所の映画館で上映。さらにシネマと音楽が合体するライブのショー、インサイダーが語る本音のトークイベントなどが、来加するトップアーチストや映画関係者によって上演される。

 オープニングはリチャード・リンクレーター監督による「Nouvelle Vague」。これはフランスのニューウェーブの始まりに関するコメディドラマで、レトロでフランスならではの楽しい画面の移り変わりが必見。クロージングはドイツのイド・フルク監督の「Köln 75」。1975年、16歳の音楽好き少女ベラ・ブランデスが偶然から当時最も売れたキース・ジャレットのケルン・コンサートを生み出す様子が描かれる。当日はピアニストChris Gestrinさんのピアノライブ付き。

 今回初の試みSpotlight on Koreaは、パク・チャヌク監督「No Other Choice」、ホン・サンス監督「その自然が君に何と言うの(What Does That Nature Say to You)」をはじめ、7本の韓国映画を一気に上映。新人監督(俳優はまだ未定)の舞台あいさつ付きで上映される。

 An Evening with Marc Maronでは、コメディアンでポッドキャストで有名なマーク・マロンの「Are We Good?」を上映後、彼との長いQ&Aが予定されている。カナダのマシュー・ランキン監督は今回ゲストとしてLeading Lightsセクションを担当。日本でも有名なアキ・カウリスマキ監督の映画をはじめ監督が厳選した映画数本が上映される。

 期待のプレミア上映はジム・ジャームッシュ監督の「Father Mother Sister Brother」や、パオロ・ソレンティーノ監督の「La Grazia」などに加えて、カンヌ国際映画祭でジャファル・パナヒ監督が最高賞に輝いた「シンプル・アクシデント(It Was Just an Accident)」、さらにヨアキム・トリアー監督の「Sentimental Value」、またベルギーのジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟監督の「Young Mothers」も見逃せない。カナダのブリティッシュ・コロンビア部門では日系カナダ人の吉田真由美監督をはじめ地元の監督の新作が続々と登場する。

 個性的なラインナップとなった日本映画も気になるところ。上映作は以下の通り:

主演の黒崎煌代。「見はらし世代」(団塚唯我監督)より。Photo by VIFF
主演の黒崎煌代。「見はらし世代」(団塚唯我監督)より。Photo by VIFF

「国宝」李相日監督
「ルノワール」早川千絵監督
「見はらし世代」団塚唯我監督
「西海楽園」鶴岡慧子監督
「あかし」吉田真由美監督(カナダ)
「レンタル・ファミリー」Hikari監督(言語:英語)

 VIFFエクゼクティブ・ディレクターのKyle Fostner氏は「この世界が緊張と不安定な財政に苦しむ中、VIFFが成長して開催できることは光栄です」と語り、VIFF Board ChairのAm Johal氏は「この映画祭は今年もスタッフチームとボランティアの情熱で築かれています」と述べた。さらにプログラム・ディレクターのCurtis Woloschuk氏は「映画祭は観客にとって芸術が創造される興奮や、純粋に文化を伝えようとする作り手の決意に触れられる良い機会です」と締めくくった。

VIFFエクゼクティブ・ディレクターのKyle Fostner氏(右)とプログラム・ディレクターのCurtis Woloschuk氏(左)Photo by Jenna Park/Japan Canada Today
VIFFエクゼクティブ・ディレクターのKyle Fostner氏(右)とプログラム・ディレクターのCurtis Woloschuk氏(左)Photo by Jenna Park/Japan Canada Today

 今年のArtist &Industryプログラムのテーマは“Create. Connect. Transform”(作る、繋ぐ、変革する)。多様文化によるコラボを通して、シネマという共有ビジョンがさらに進化して形成されていく。

 一般チケットは8月28日12pmから発売されている。大人1枚21ドル、6枚もしくは10枚のチケットパックも購入できる。VIFF+や19歳から25歳のユースメンバー割引もある。プログラムはviff.orgと来月発行されるパンフレットで詳細が確認できる。

バンクーバー国際映画祭

期間:2025年10月2日~12日
会場:バンクーバー市内10カ所
ウェブサイト:viff.org/
チケット:大人21ドル、シニア19ドル、学生・ユース16ドル、6枚チケットパック120ドル・10枚チケットパック180ド(チケットパック学生シニア料金あり)、その他詳しくはviff.org/ticket-infoを参照

(取材 Jenna Park)

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静かに考える戦後80年・癒しのコンサート、バンクーバーで開催

左から、ペンさん、エップさん、ラムズボトムさん、ランメルさん、アクネさん、新屋さん、コーバーンさん。バラを贈られ最後に全員で。2025年8月15日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/FRASER MONTHLY
左から、ペンさん、エップさん、ラムズボトムさん、ランメルさん、アクネさん、新屋さん、コーバーンさん。バラを贈られ最後に全員で。2025年8月15日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/FRASER MONTHLY

 日本にとって終戦80年となった2025年8月15日、カナダ・バンクーバー市で「静かに考える戦後80年・癒しのコンサート」が開催された。

 8月のバンクーバーには珍しく朝から土砂降りの雨となったが、会場には約250人が集まり、戦争体験者の語りと癒しの音楽に耳を傾け、心をゆだねるひと時となった。

今なお記憶に残る戦争体験、太平洋をはさんで日本とカナダで

 第2次世界大戦は日本、そしてカナダで人々に大きな傷を残した。日本では1945年8月6日、9日に原子爆弾が投下され、約21万人がその年のうちに亡くなったとされる。一方、カナダでは1941年12月7日の日本軍による真珠湾攻撃を機にカナダ政府の日系人強制収容政策が翌年から始まった。罪のない市民が戦争によって犠牲になる。日本でもカナダでも変わらない。

 この日は、8月6日に広島で被爆したランメル幸さんと、強制収容政策でリッチモンド市スティーブストンからアルバータ州レイモンドに移動を強いられたロイ・アクネさんが、自らの体験を語った。

自身の体験談を語るランメル幸さん。2025年8月15日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/FRASER MONTHLY
自身の体験談を語るランメル幸さん。2025年8月15日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/FRASER MONTHLY

 幸さんは8月6日、爆心地から約3.5キロメートル離れた小学校の校庭で遊んでいた時に被爆した。当時8歳。大きな木の陰にいたため奇跡的に助かったが、黒い雨に打たれ、着ていた服に黒いしみがついて取れなかったことを覚えているという。長く原爆体験は話していなかったが、2011年3月11日の東日本大震災時に起きた福島第一原子力発電所事故をきっかけに、「原爆について語らなければ」との思いに駆られた。体験談をつづった日本語版「忘れないでヒロシマ」(南々社)、英語版「Hiroshima-Memories of a Survivor」も執筆し、バンクーバーを中心に語り部として平和活動を続けている。

 キリスト教徒である幸さんにとってバンクーバーで歴史あるクライストチャーチ大聖堂で多くの人に自身の体験談を聞いてもらえたことは言葉にできないほどうれしかったという。「『すばらしかった』と言ってもらえて」と遠慮がちに喜んだ。今回は通訳が入ることもあり講演は約10分と短かかったため、まとめるのが難しかったという。「短い時間で伝わるかなと思っていましたけど、伝わったようでよかったです」。楽しみにしていたパイプオルガン演奏は講演準備のため残念ながら聞けなかったそうだが、「ピアノも、トリオもすばらしくて。教会もすばらしく、本当に胸がいっぱいになりました。最高のイベントでした」と振り返った。

転んでも立ち上がる、そんな人生を歩んできたと語るロイ・アクネさん。2025年8月15日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/FRASER MONTHLY
転んでも立ち上がる、そんな人生を歩んできたと語るロイ・アクネさん。2025年8月15日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/FRASER MONTHLY

 ロイ・アクネさんは現在スティーブストン仏教会で開教使補佐をしている。日本で戦争が終わった年にはカナダでは強制収容が終了するどころか、ロッキー以東への移動か日本への送還を選択するという状況だった。8月15日という日について聞くと、「当時働いていた農園でトラクターを運転していた父がトラクターを止めて涙していたことを覚えています」と話した。日本の終戦を何らかの形で聞いたのだろうと推測する。アクネさんの父は16歳の時にカナダに移住した。日本への強い思いがあったに違いないと振り返った。

 講演では自身の人生は「七転び八起き」だったと語った。6歳の時に強制収容政策が始まり、移動先では子どもながらに長男として父の農業を助けなければならなかった。バンクーバーに戻った後も就職先で昇進を拒まれる差別に遭った。差別をなくすにはどうすればいいかと考え教育の道に進んだ。教師、校長、教育長など責任ある役職をアジア人でも担えることを子どもたちに示し、肌の色や出身地に関係なく全ての人が公平に扱われることが大事だと説く。「自分の経験を語ることで何かを感じてもらえらたら」と強制収容時代のことも話すようになったという。「一人ひとりに心があり、気持ちがあります。それを尊重しなければなりません」と語り、自分の経験を語ることで平等で公平な人間関係を築いてもらえれたらと話す。

 現在は寺院の開教使補佐という仕事がら多くの人に話をする機会がある。この日は通訳が付くこともあり、原稿を読みながらの講演となったが、「本当は原稿なしに立ってみなさんに語り掛ける方が得意なんです」と笑った。

戦後80年の節目の年に改めて平和の大切さを思う

新屋宗一さんのピアノ独奏。2025年8月15日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/FRASER MONTHLY
新屋宗一さんのピアノ独奏。2025年8月15日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/FRASER MONTHLY

 講演の前にはニール・コーバーンさんのパイプオルガン演奏、講演の後には新屋宗一さんのピアノ独奏、ボー・ペンさん(チェロ)、ジーン・ラムズボトムさん(クラリネット)、リチャード・エップさん(ピアノ)のバンクーバーPROトリオによるピアノ・チェロ・クラリネット三重奏というぜいたくな時間を過ごした。

 イベントは、日本語認知症サポート協会と月刊ふれいざーの共催。日本語認知症サポート協会は、「戦後80年という節目の年に、カナダで戦中・戦後を体験された方や、日本で被爆された方をお迎えし、その生の声を直接伺えることは、今なお世界各地で戦争が続く現状を思うとき、平和の尊さを分かち合うかけがえのない機会になると考え、今回の共催企画を立ち上げました」と意義を語る。

 「語り部の方々による体験談、音楽家の皆さまの心に響く演奏、そしてボランティアの皆さまの温かなご奉仕に支えられ、会場全体が『平和への祈り』に包まれました。この節目の集いを通じて、ご参加くださった皆さまの心にも、平和の尊さが深く刻まれ、ここで共有された思いと記憶が、未来へと平和を語り継ぐ力となることを心より願っております」と思いを寄せた。

左から、クラリネット奏者ラムズボトムさん、ピアノ奏者エップさん、チェロ奏者ペンさん。2025年8月15日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/FRASER MONTHLY
左から、クラリネット奏者ラムズボトムさん、ピアノ奏者エップさん、チェロ奏者ペンさん。2025年8月15日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/FRASER MONTHLY

(取材 三島直美)

訂正:オリジナル記事では真珠湾攻撃1942年となっていましたが、1941年に訂正しました。

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サーロー節子さんインタビュー「被爆80年トロントの平和の灯に願いを込める」

オンタリオ州トロント市庁舎平和庭園で行われた「広島・長崎デー」イベントでスピーチするサーロー節子さん。2025年8月6日、トロント市。写真提供 井上ヨシさん
オンタリオ州トロント市庁舎平和庭園で行われた「広島・長崎デー」イベントでスピーチするサーロー節子さん。2025年8月6日、トロント市。写真提供 井上ヨシさん

 アメリカ留学中に期せずして受けたインタビューをきっかけに、被爆者として始まったサーロー節子さんの平和活動は、トロントへと活動の場を移し、そして世界へと広がった。

 2017年国連で核兵器禁止条約が採択され、国際NGO(非政府組織)ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が条約の成立に貢献したとして同年にノーベル平和賞を受賞した。ノルウェー・オスローでは、ICANと共に活動してきたサーローさんが「被爆者」としてスピーチ。「被爆者の声、あの状況をどのように生きてきたのか、どういう思いで今を生きているのか」それに世界が耳を傾けてくれたと感謝する。

 そして今年、広島・長崎に原爆が投下されて80年を迎えた。サーローさんが被爆者として生きてきた80年間の思いは若い世代が引き継いでいく。

ノーベル平和賞でスピーチ「よくあれだけの大役を任せくださいました」

 トロント市で始めた平和活動はオンタリオ州だけにとどまらなかった。ケベック州モントリオールやブリティッシュ・コロンビア州バンクーバーを訪問して、原爆体験について語った。それからしばらくして「今度は国際的な会議や国連で色々とお話をする機会が与えられました」。

 しかし国連の会議に参加してみると、そこは核保有国の独壇場だったという。「本当にがっかりしました。私たちの意見には耳も傾けてもらえない。国際政治はこういうものなのかと思いました」。被爆の体験を伝え、核兵器の恐ろしさを訴える自分の声は国際舞台では届かない。「非常に苦しみました」。

 しかしやはり心は折れなかった。アメリカ留学で誹謗中傷を受けた時も被爆して亡くなっていった学友たちへの誓いを忘れなかったように、ここでも立ち上がった。

 「私のできることはこれ(話すこと)だけだから、与えられた機会と与えられたスペースで最善を尽くす。コツコツと何十年もよくやってきたと思います」。こう話す時にフッと笑顔を見せる。

 その地道な活動が実ったのが核兵器禁止条約採択だった。「本当に夢のようでした。私の生きている間に起きるなんて」。採択までにはさまざまな場面で多くの人が実現に向けて活動していた。「私がスピーチする機会もどんどん与えてくださって」。交渉会議でもスピーチした。自分ができることを積み重ねた。

 国連交渉会議議長を務めたコスタリカのエレイン・ホワイト元ジュネーブ国連大使とも親しくなり、議論を主導してきたオーストリアのフランツ・クグリッチ軍縮大使らとも、「一緒になってがんばって。『節子、あなたの言うことをいつか実現させます。だからそれまで私たち寝食忘れてやります』って言って、導いてくれました」。

 そして、2017年7月7日、122カ国・地域の賛成で核兵器禁止条約は採択された。前文では核兵器の非人道性を明記し、完全廃絶の必要性を記載。内容では、核兵器の開発・実験・生産・製造などあらゆる行為を禁止している。

 同年、ICANがノーベル平和賞を受賞した。授賞式ではサーローさんがICANと被爆者を代表してスピーチ。「よくあの人たちも私にそれだけの大役をくださったと思います」と振り返り、「やっぱり被爆者の声っていうもの、理論とかなんとかではなくて、あの状況をどのように生きてきたのか、どういう思いで今を生きているのか、ということを、大事にしてくださいました。ありがたいと思っています」。

 サーローさんのノーベル平和賞でのスピーチはYouTubeで視聴することができる。

 条約は2020年10月24日に批准国が既定の50カ国・地域に達し、2021年1月22日に発効した。アメリカやイギリスなどの核保有国のみならず、日本もカナダも批准していない。

 条約の採択は始まりに過ぎないのだ。サーローさんは、「NPT(核兵器不拡散条約)と核兵器禁止条約はお互いをサポートしながら1歩ずつ核廃絶という目的に進められると思うんですけれども」と、疑問と提案を同時に投げかける。NPTはアメリカをはじめ日本もカナダも批准している。しかしそのNPTでさえ風前の灯火だと懸念する。「難しいですね。本当に」。70年間訴え続けたサーローさんから本音が漏れる。

 今年4月28日から5月9日に開催された2026年NPT再検討会議に向けた第3回準備委員会では勧告案を採択できなかった。

次世代へ受け継がれる核兵器廃絶への希望

 「難しい」からといって「諦める」という文字はサーローさんにはない。被爆80年の今年、サーローさんの呼びかけでカナダ10都市で広島・長崎原爆パネル展が開催された(一部は年内に開催)。

 トロント市では8月6日、市庁舎にある「平和の灯」の前で平和式典「広島・長崎デー」がサーローさんも参加して行われた。市庁舎前の水場では灯篭を流し、原爆で亡くなった人を悼み、二度と過ちを繰り返さないと誓った。

 広島市の平和公園内にある原爆慰霊碑から原爆ドームを臨むと手前に平和の灯が見える。両手で支えられているように灯る火は地球上から全ての核兵器がなくなるときに消されるという。

 その平和の灯が太平洋を渡りトロント市で長崎から贈られた水に囲まれて「平和庭園」で灯り続けている。公式には当時のローマ法王が灯し、のちにエリザベス女王が追認したとなっている。この灯を広島から運んだのがサーローさんだった。

 きっかけはトロント市制150周年を迎えるにあたり「なにか意味のあるものを残したい」という思いがあったマッシー・ロンバルディ神父(当時Director of the Office of Social Action in the Catholic Archdiocese of Toronto)がサーローさんに会いたいと言ってきたという。「被爆者で、色々活動して、がんばっているということを新聞で読んだようです」。話を聞くとトロントに「平和公園を作り、そこに広島からの灯と長崎からの水を持ってくる」という案を市に提出したということだった。「そのために私の仲介が必要だったようです。私を信用できると思って話をされたんだと思います」。ロンバルディ神父は1981年にヨハネ・パウロ2世が訪問した広島平和公園に着想を得てトロント市にも同様の記念公園を建設するという構想を1983年に当時のアート・エグルトン市長に持ちかけていた。

 サーローさんもこの計画は信用できると確信し、仲介を引き受けた。トロント市から要請されたのは「広島に行って、トロント市民の希望を伝えて、市の意向を、協力してもらえるかどうか聞いてきてほしい、ということでした。もちろん引き受けました。広島市は大歓迎でした」。当時の広島市荒木武市長に会い、全面的な協力を得た。次はロンバルディ神父と一緒に広島を訪問した。いよいよ広島の灯をトロントに持って帰ってくる大役を果たすことになった。広島市では分火式を行い、特別な入れ物に移され、特別の許可を得てエアカナダで運んだ。

 「平和公園」の建設は順調に進んだ。1984年3月、起工式での最初の鍬入れはピエール・トルドー首相(当時)が行った。同年9月14日、パウロ2世が広島平和公園からの火を「永遠の灯」に点火し、長崎を流れる川から採取した水を池に注いで、トロント平和庭園は完成した。同年10月にはイギリスのエリザベス女王が訪れ、平和への誓いの象徴として公式に追認した。

 「バチカンから法王に来てもらって、その2カ月後には今度はイギリスからエリザベス女王が来てくださって。私が最初に話を聞いた時はこれだけ(小さかった)ものがこんなに大きくなっちゃったんですけどね」と笑う。どんどん規模が大きくなるのはサーローさんの周りではよくあることのようだ。

 完成当時は市庁舎前ネイサン・フィリップ広場の東側に600平方メートルの広さがあった。広場改築工事で閉鎖の可能性もあったが市民の働きかけで存続され、現在は西側に移されている。

 「今度は平和の灯を見た人が、あれが何かわかるように歴史的背景とか、何のために作られたのかとか、教育的なものがないといけないと思って市に働きかけているんです」。93歳、挑戦はまだまだ終わらない。平和に必要なものは「教育」だと確信している。

 若い人たちにも期待している。現在の世界情勢の中で若者は「核時代に生きている自分たちはどういう風に生きればいいのか、ということを探し求めています」と語る。その中で、サーローさんの話に耳を傾け、自分たちで考え、行動していることに希望を持っている。「自分の立場で、どう生きればいいのかと絶えず探し求めています。そうした人たちがこの時期(被爆80年)に本当に立ち上がって、盛り上がって、非常に良い仕事を始めてくれています」と目を細める。

 これまでも若者を中心に話をしてきた。「『節子さん、あなたが言ってくれてよかった。それで私たちも奮い立ったんです』とか言ってくれると、本当にうれしいです」。

 70年前、アメリカ・バージニア州から始まった平和活動は、カナダで、そして、世界で、大きくその翼を広げ、いま確実に若い世代へと受け継がれている。

 サーロー節子さん、93歳。その平和活動はまだまだ終わらない。

8月6日トロント市庁舎前での灯篭流し。2025年8月6日、オンタリオ州トロント市。写真提供 澤原こずえさん
8月6日トロント市庁舎前での灯篭流し。2025年8月6日、オンタリオ州トロント市。写真提供 澤原こずえさん

サーロー節子さんインタビュー「22歳から被爆者として語る覚悟」(前編)
サーロー節子さんインタビュー「I have to break the silence」プライバシーを犠牲にして訴え続けたトロントでの活動(中編)

(取材 三島直美)

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