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Naomi Mishima

Naomi Mishima
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「さようなら*早桜ひらりと落ちる」

カナダde着物

第69話
利休忌と追善茶会での着物

 桜の花が咲き始めると、まだ肌寒くても春の訪れを感じます。
 「あの桜が早く咲くのは、早く散るためなのかもしれない。」
 散りゆく花びらを見ていると、それが自然の流れだとわかっていても、どこか切なさが残ります。

Cherry Blossom & Seagulls Manto Artworks
Cherry Blossom & Seagulls Manto Artworks

 まだ桜の蕾が固い頃、長年に渡り日本語学校の教師を務められた方が、お亡くなりになりました。
 その方は、茶道教室での茶友であり、敬愛する先輩でもありました。
 最後に交わした言葉は「ともこさん、お疲れさま。」と、茶道の役員を終えた時にお声をかけてくださいました。

 その命の儚さを感じるとともに、桜の花言葉を思い出します。
 西洋では「spiritual beauty(精神の美しさ)」と「good education(優れた教育)」という意味があるそうです。
 教育に深く関わってこられた先生にふさわしく、これからも桜が咲く季節になるたび、偲び想いを馳せることでしょう。

 今年の桜は、少しグレーがかったように見えますが、不安定な空の下でゆっくりと花を開いていきます。

*今日の着物*Today’s Kimono

利休忌と追善茶会での着物

 利休忌(りきゅうき)は、茶道の祖として知られる千利休(せんのりきゅう)を偲ぶ日です。
 その際、利休忌の後に行われることが多いのが「追善茶会(ついぜんちゃかい)」です。この茶会は、千利休の霊を慰め、遺した茶道の教えを今一度噛みしめるために行われるものです。

 追善茶会での着物選びは、茶道の深い精神を感じる大切なひとときです。

 女性であれば、一般的に「訪問着」や「色無地」の着物が適しています。色無地は、色や模様に制限が少ないため、季節に合ったものを選ぶことができます。男性であれば、黒の「羽織袴」や「紋付き袴」が定番です。

 着物を通じて、茶道の礼儀や格式を感じ取ることができたらいいですね。

「利休忌及び追善茶会」一つ紋付暈し色無地 経錦袋帯 コナともこ
「利休忌及び追善茶会」一つ紋付暈し色無地 経錦袋帯 コナともこ

*今日の和の学校*Today’s Gathering

利休忌の法要

 今年のお寺の桜は、いつもより遅い開花のようです。利休忌が行われた3月23日の朝は、冷たい雨がさめざめと降り、参拝に訪れた方々は小走りに本堂へ向かわれていました。

 本堂には60名近い方が集まり、和尚が一盌を供えられた後、読経がなされ、一同は利休居士の遺徳を偲んで静かに合掌しました。最後に裏千家バンクーバー出張所講師のキース・スナイダー先生が挨拶をされ、お参りに来られた皆様へ、お茶室と本堂にてお菓子とお抹茶が呈されました。

 昨今のニュースを見ていると、今私たち個人が享受している平和な日常も、国という大きなグループのトップの行動次第で、良くも悪くも変わってしまうことがあると気づきます。

 利休居士が生きた乱世の時代の教えは、今も私たちに大切なことを教えてくれているように思います。お互いの大切にしていることを認め合い、話し合い、平和に暮らせる世界になることを願い、利休忌を終えました。

「利休忌及び追善茶会」 練切菓子:ひとひら コナともこ
「利休忌及び追善茶会」 練切菓子:ひとひら コナともこ

*参照*

「利休忌について」
茶道裏千家ホームページから: https://www.urasenke.or.jp/soke-koyomi/95062.html

「利休忌の着物について」
いち瑠ホームページから: https://ichiru.net/column/rikyuki

「着物語り」
コナともこさんが着物の魅力をバンクーバーから発信する連載コラム。毎月四季折々の着物やカナダで楽しむ着こなしなどを紹介します。
2020年8月から連載開始。第1回からのコラムはこちらから

コナともこ
アラフィフの自称着物愛好家。日本文化の伝道師に憧れ日々お稽古に励んでおります。
14年前からコキットラム市の東漸寺で「和の学校」を主宰。日本文化を親子で学び継承する活動をしております。

年間を通じて季節の行事に加え、お寺での初参り、七五三祝い、十歳祝い、元服祝い、二十歳祝い、結婚式、生前葬、お葬式などの設えと装いのお手伝いもさせていただいております。

*詳しくはコナともこ までお問い合わせ下さい。tands410@gmail.com
東漸寺は非営利団体で、和の学校の収益は東漸寺の活動やお寺の維持の為に使われています。

カナダ人の夫+社会人と大学生の3人娘がおり、バンクーバー近郊在住。

和の学校ホームページ https://wanogakkou.jimdofree.com/
インスタグラム https://www.instagram.com/wa_no_gakkou_tozenji/
フェイスブック https://www.facebook.com/profile.php?id=100069272582016

東漸寺Tozenji Temple https://tozenjibc.ca/

コナともこ
Facebook https://www.facebook.com/tomoko.kona.98
Instagram https://www.instagram.com/konatomoko/?hl

「東漸寺🌸春🌸2024」Manto Artworks
「東漸寺🌸春🌸2024」Manto Artworks

「地域に根ざした薬剤師としての道」千葉あゆみさん

 皆さん、こんにちは。雪がほとんど降らない冬だなーと思っていたら、もう桜が咲き始めているではないですか。時間の流れが速すぎると感じる今日この頃です。

 さて、今回は日本人薬剤師シリーズ第二弾としてリッチモンドのTerra Nova Pharmacy(https://terranovapharmacy.ca/)に勤務する千葉あゆみさん(以下、あゆみさん)を紹介します。日系団体のセミナーで何度も講演をされているので、ご存知の方も多いと思います。

 あゆみさんが薬剤師を志したきっかけは、ご家族の影響が大きかったそうです。お祖父様とお祖母様が薬局を営んでいましたが、お祖父様は神主を兼業する薬局オーナー、お祖母様が薬剤師という異色の組み合わせだったとのこと。宮城県の片田舎で、オロナミンCを買いにきたお客さん達で井戸端会議が始まるという地域密着度の高い薬局を見ながら育ったことをお話ししてくれましたが、これは後にあゆみさんの職場選びに影響したのではないかと察します。

 その後、ご両親が薬剤師同士で結婚し、家族全員が医療の道を歩む環境で育ちました。「手に職をつけた方が良い」という家庭の方針のもと、薬学部以外の選択肢は与えられず、猛勉強して東北薬科大学(現在の東北医科薬科大学)に入学したものの、当時は半ば強制的に進路を決められたような感覚が拭えなかったそうです。一方で、お父様には小学生の頃から海外留学を勧められ、海外進出のタイミングを見計らっていたとか。

 そんなあゆみさんがカナダに来るきっかけとなったのは、友人に勧められて訪れた旅行でした。もともと海外志向があった彼女は、カナダの環境に魅了され、後にワーキングホリデーを利用して再び渡航します。この時、後に夫となるピーター氏と出会いました。ワーキングホリデーを終えて日本に帰国した後も、ピーター氏から毎日のように熱心な電話があり、その思いに応える形でカナダに戻り、一緒に暮らすことを決意しました。

 しかし、ピーター氏とのコモンローの手続きを進めていた矢先、東日本大震災が発生し、あゆみさんはご両親を亡くされました。その悲しみの中で、あゆみさんはカナダで薬剤師として生きることを決意します。

 しかし、カナダで薬剤師になる道のりは決して簡単ではありませんでした。どのような勉強をすればよいのか手探り状態の中、日本の薬剤師国家試験以上に勉強したそうです。そして筆記、実地試験ともに2回目の挑戦で見事合格。受験勉強中はレッドクロスのボランティア活動にも参加し、杖やウォーカーの貸し出し業務を通じて英語の実践力も磨き、この経験が後のカナダでの薬剤師業務に大いに役立ったと振り返ります。

 日本では薬局の管理薬剤師まで勤めた経験のあるあゆみさんですが、日本で仕事をしていた頃に比べ、カナダでは患者さんは気さくで、また医師や看護師との関係もフラットで仕事がやりやすいと感じているそうで、カナダでの薬剤師としての仕事をとても楽しんでいる様子が伺えます。

 更に、日本と比べて薬剤師の業務範囲が広く、クリニカルな面でのやりがいを感じています。「日本では調剤が中心でしたが、カナダではより直接的に患者さんの健康に関わることができます。フリーダムを感じます」と笑顔で語ります。特に、患者との対話を通じてその人に最適な治療法を提案できることに大きなやりがいを感じているとのこと。

 一方で、カナダの医療文化には独特の価値観があると感じる場面も。「例えば、性転換や、若年層のマリファナ使用の問題など、日本では考えにくいことが日常的に議論されているんです」。このような場面に直面すると、日本とカナダの価値観の違いを強く実感することもあるそうです。それでも、あゆみさんはその多様性を受け入れ、柔軟に対応しています。

 薬剤師の仕事について「特に困ったことはない」と話すあゆみさんですが、ここまでの道のりは決して平坦ではなかったことは容易に想像ができます。あゆみさんは現在勤務する薬局開設当初のオープニングスタッフで、最初はオーナーと二人で薬局を切り盛りしてきましたが、今ではスタッフが増えて、働きやすい環境が整ったとのこと。

 「私はずっと地域密着型の薬局で働いてきたので、今の薬局が自分にぴったり合っているんです」と話されているように、リッチモンドの住宅地で、地域に根差した医療を提供するTerra Nova薬局で、一人一人の患者さんに丁寧に向き合うことが、あゆみさんの薬剤師としてのスタイルに完璧にフィットしているようです。

 あゆみさんに今後のプランを聞くと、「薬局として特に新しいサービスを始める予定はありませんが、日々の薬学的管理を大切にしながら、地域のドクターやナースをはじめとする医療スタッフと連携して、患者さんやその家族を支えていけたらと思います」とのこと。ホームケアや退院後の処方調剤など、地域に欠かせない薬剤師としての役割を担うことに、大きな誇りが感じられます。   

 あゆみさんは、仕事の枠を超えて、日本人をサポートする活動にも力を入れています。メインランドクリニックでは、日本人の医療通訳を目指す人向けにレクチャーを行い、日系団体からの依頼があれば薬のついての講演もしています。また、あゆみさんの元には、日本からカナダで薬剤師になりたいと相談に来る人が後を絶ちませんが、嫌な顔ひとつせず、その都度惜しみなくアドバイスをしてきました。 

 そして、あゆみさんの趣味はピアノ演奏。2023年にピアニストの反田恭平さんがバンクーバーでコンサートを開いた際には、その演奏に大きな刺激を受け、帰宅後にずっとピアノを弾いていたそうです。 

 私は、あゆみさんと知り合って10年以上になりますが、クールな印象とは裏腹に、とても情熱的な方です。医療の現場で活躍しながら、自分らしい人生を築いている姿、そして他者への支援を惜しまない姿勢は、多くの人にとってロールモデルとなるでしょう。リタイアまではまだまだ時間があります。これからのキャリアでどんな旋律を奏でていくのか、その活躍が楽しみです!

*薬や薬局に関する一般的な質問・疑問等があれば、いつでも編集部にご連絡ください。編集部連絡先: contact@japancanadatoday.ca

佐藤厚(さとう・あつし)
新潟県出身。薬剤師(日本・カナダ)。 2008年よりLondon Drugsで薬局薬剤師。国際渡航医学会の医療職認定を取得し、トラベルクリニック担当。 糖尿病指導士。禁煙指導士。現在、UBCのFlex PharmDプログラムの学生として、学位取得に励む日々を送っている。 趣味はテニスとスキー(腰痛と要相談)

全ての「また お薬の時間ですよ」はこちらからご覧いただけます。前身の「お薬の時間ですよ」はこちらから。

26 ☆「食べ放題の店」と「宿題」

日本語教師  矢野修三

 二十四節気の啓蟄(けいちつ)もとっくに過ぎ、虫たちが土の中から出てくるごとく、我が輩も久しぶりにダウンタウンに飛び出した。以前、学校があったバラード通りなどを歩いてびっくり。コロナの影響もあり、かなりの店が変わり、景色が一変してしまった。ランチを食べようと、当時よく行った中華レストランに、でも残念ながら、すでに違う店に。その店の前に立つと、いろいろ懐かしい思いが・・・。特に、日本語に関するこんな思い出が頭に浮かんだ。

 それは、はるか昔、この店が新装開店したころ、「食べ放題」(all you can eat) をしており、上級者と晩ごはんを。チャーハンや餃子などを食べながらこんな会話が始まった。「よく食べるね」「はい、たくさん食べられるようにランチを食べませんでした」。そして、すかさず彼からこんな質問が出た。「食べてきませんでした」と「食べないできました」とはどう違いますか、である。

 うーん、これに関連して、日本での新米教師時代のほろ苦い授業風景を思い浮かべた。それは、上級クラスの教室、いつものように「宿題、やってきましたか」と、こんな会話で授業を始めた。「ハイ、やってきました」、「アー、忘れました」など、いつもの聞き慣れた返事が・・・。でも、ある女性生徒が「やらないできました」と答えた。「おや」と思いながらも、何となく不自然なので、それを言うなら「やってきませんでした」と言いなさい、と注意した。

 しかし、彼女の言い分は「宿題はやらなかった。でも学校に来ました」。だから「やらないで、来ました」のほうがいいのでは、である。「やってきませんでした」は学校に来ていますから、おかしいのでは、と逆に質問を受けて、駆け出しの先生としてはすごく困ってしまった。

 うーん。確かにそう言われると・・・、「やらないできました」のほうが、筋が通っている。でもかなり失礼な印象を受ける。当時はうまく説明できず、とりあえず、丁寧な表現ではないから、使わないように、と言うのが精一杯。でも、なぜ「やらないできました」が失礼と感じるのであろうか?

 ここで、先ほどの食べ放題の中華レストランに戻る。この場合は「食べないできました」のほうがぴったりする。これは何か目的があって意識的にランチを食べなかった。すなわち、お腹をすかせて、食べ放題の店でたくさん食べようという意図が強く感じられるからである。確かに。

 一方の「食べてきませんでした」は動詞「食べてくる」の単なる否定形であり、意図的な感じはない。それ故、「宿題をやらないできました」は意図的に、わざとやらなかったという印象を与えるわけであり、先生にしてみれば、失礼に感じるのは当たり前であろう。

 うーん、なるほど。したがって、この宿題は役に立たず、全然勉強にならないから、意識的にやらなかった。そんな場合であれば、この表現はぴったりであり・・・、あ、そうか、彼女は、暗に「先生、もっと勉強になる、いい宿題を出してよ」と言いたかったのかも・・・。

 こんな流れで、彼に違いを説明した。すると、笑いながら彼曰く、学生時代、宿題を忘れたとき、一度この「やらないで来ました」を使って、日本語の先生を困らせたかったです。今日は「ランチを食べないで来ました」から、もりもり、ぱくぱく。「食べ放題」を大いに満喫しました。流石。

 それにしても、改めて日本語の奥深さ、きめ細かさ、でも、言い回しのややこしさに、恐れ入った次第である。

「ことばの交差点」
日本語を楽しく深掘りする矢野修三さんのコラム。日常の何気ない言葉遣いをカナダから考察。日本語を学ぶ外国人の視点に日本語教師として感心しながら日本語を共に学びます。第1回からのコラムはこちら

矢野修三(やの・しゅうぞう)
1994年 バンクーバーに家族で移住(50歳)
YANO Academy(日本語学校)開校
2020年 教室を閉じる(26年間)
現在はオンライン講座を開講中(日本からも可)
・日本語教師養成講座(卒業生2900名)
・外から見る日本語講座(目からうろこの日本語)    
メール:yano@yanoacademy.ca
ホームページ:https://yanoacademy.ca

ホワイトキャップス今季初黒星「主力不在で自分がどう助けられるか」高丘

何度も好セーブを見せるGK高丘。シカゴ・ファイヤーFC戦。2025年3月22日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
何度も好セーブを見せるGK高丘。シカゴ・ファイヤーFC戦。2025年3月22日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
ボールは無情にもネットに吸い込まれていく...。ダメ押しの3点目がシカゴに。シカゴ・ファイヤーFC戦。2025年3月22日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
ボールは無情にもネットに吸い込まれていく…。ダメ押しの3点目がシカゴに。シカゴ・ファイヤーFC戦。2025年3月22日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 今季開幕から全戦全勝と好調だったホワイトキャップスだが、この日は3失点で初黒星となった。

3月22日(BCプレース:18,717)

バンクーバー・ホワイトキャップス 1-3 シカゴ・ファイヤーFC

開始早々の1分にいきなり失点で0-1。しかし14分にはリオス(FW)が決め同点に。前半は1-1で折り返した。後半も激しい攻撃を続けるも得点につながらず。逆に62分に2点目、アディショナルタイムに3点目を許した。

主力がいない中「自分がどう助けられるか」を考えて

 キャプテンのゴールドもストライカーのホワイトもスターティング11に名前がなかった。この日の主力はGK高丘とDFベセリノビッチのみ。ポートランドでの今季開幕戦で衝撃デビューをしたFWネルソンが3試合ぶりに先発出場した。

 完全に主力を欠く中での試合となったがソレンセン監督は「戦える選手でどう戦うかを考える」と試合後に語った。ケガで欠場のゴールドについては復帰目途が立っていないという。「次の試合には良くなっているかもしれないし、しばらくかかるかもしれない」と説明した。LAギャラクシー戦で負傷したDFアデクベは復帰間近という。

 高丘は7、8人主力を欠いた試合でいつもと違った選手が出場する中で「自分がどうやって助けられるかというのは考えながらやっていた」と振り返った。それでも「そこがうまく今日はできなかったと思う」と責任を負った。

 自身も今季最多の3失点。チームメートを鼓舞する姿を見せ、好セーブで何度もチームの失点危機を救ったが守り切れなかった。

チームメートに大声で指示を出すGK高丘。シカゴ・ファイヤーFC戦。2025年3月22日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
チームメートに大声で指示を出すGK高丘。シカゴ・ファイヤーFC戦。2025年3月22日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 「うまくゲームをコントロールできなかったと思います」と高丘。「(点の)失い方が悪かったり、ミスからやられたり」と失点を振り返り、「リスクマネージメントも含めてもう少しいい準備ができたと思う」と反省を口にした。

 3月15日ダラスでのFCダラス戦ではクリーンシートで1日早いバースデープレゼントを自身に贈ったばかりだった。

CONCACAFチャンピオンズカップは準決勝に進出、過密スケジュールが続く

 レギュラーシーズン前から続いているCONCACAF(北中米カリブ海サッカー連盟)チャンピオンズカップ(CCC)で準決勝に進んだ。次の相手は昨年のリーグスカップで戦ったメキシコのプーマスUNAM。

 4月2日BCプレースで、4月9日にメキシコで対戦する。その前には3月29日にトロントで、4月5日にはBCプレースでコロラドとのレギュラーシーズンがある。

 高丘はCCC準々決勝には出場していないものの、過密スケジュールについては「もう慣れてます」と気に留めていない様子。「そこの調整はちゃんとやっていきたいと思います」といつも通り次の試合を見据えた。

4月、5月のホームゲーム

4月2日(水)プーマスUNAM戦 6:30pm(CCC)
4月5日(土)コロラド・ラピッズ戦 6:30pm
4月12日(土)オースティンFC戦 4:30pm
5月3日(土)レアル・ソルトレイク戦 6:30pm
5月11日(日)LAFC戦 4:00pm
5月28日(水)ミネソタ・ユナイテッドFC戦 7:30pm
5月31日(土) ポートランド・ティンバーズ戦 6:30pm

(取材 三島直美/写真 斉藤光一)

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「笑顔の力」を引き出そう〜「笑いヨガ」で、元気な心と体づくり〜

毎月、「笑いヨガ」を行っています。自宅にいながら参加できる、オンラインでのセッションです。初めての方も大歓迎。楽しく、一緒に笑いましょう!

日時:2025年4月17日(木)午後8時〜午後9時
会場:Zoom
参加費:初回無料、2回目からドネーション(e-Transfer、PayPalまたは小切手にて)

申し込み締め切り:2025年4月15日(火)
申し込みリンク:https://forms.gle/5nxFsxSVFjBWNS3q9
*お申し込みいただいた方には、追って参加方法をご案内いたします。

お問い合わせ先:orangecafevancouver@gmail.com

主催:日本語認知症サポート協会(Japanese Dementia Support Association)
http://www.japanesedementiasupport.com

バンクーバー三田会春の懇親会のご案内

慶應義塾の校友会バンクーバー 三田会主催の懇親会のご案内です。マレーシア料理をお楽しみいただいた後は、慶應病院の外科医師で、現在St. Paul Hospitalにて研究に携わっておられる医学博士佐々木健人先生による、「一人の大腸外科医の視点から考える手術と医師のキャリア」と題したトークを予定しています。塾員、塾生、慶應義塾にゆかりのある方々のご参加をお待ちしています。

日時:3月30日(日)午前11時30分開場、11時45分より年次総会、12時開宴
会場:Banana Leaf Kitsilano  3005 West Broadway, Vancouver
会費:一般50ドル、現役塾生は40ドル

申込先:松本 akmatsumoto@shaw.ca

「Nickel Boys (邦題:ニッケル・ボーイズ)」ラメル・ロス監督

Photo courtesy of Amazon MGM Studios
Photo courtesy of Amazon MGM Studios

 やっと寒さも和らぎ春が近づいてきましたね。私の住んでいるバンクーバーエリアでは只今Spring Break(春休み)の真っただ中。近所の公園やデイケアからは一日中子どもたちのにぎやかな声が聞こえてきます。子どもたちが何の心配もなく笑っていられる世界ってそれだけで幸せなこと。当たり前に思わず、うるさいとも思わず(笑)ずっと続くように大切に守っていきたいですね。

 今回ご紹介するのは2025年アカデミー賞で最優秀作品賞と脚本賞にノミネートされた「Nickel Boys(邦題:ニッケル・ボーイズ)」(ラメル・ロス監督)。ピューリッツァ―賞を受賞したコルソン・ホワイトヘッドによる同名小説を原作とした作品で、実在した少年矯正施設をモデルに、少年たちが直面する不条理な差別や暴力、そのなかで育む友情や正義を求める心を描きます。

あらすじ:物語の舞台は1960年代、ジム・クロウ時代のフロリダ州。貧しいけれど優しい祖母に愛されて育ったエルウッドは、キング牧師に影響を受けた理想主義的な少年。正しいことを真っ当に頑張れば未来は開けると信じている。そんなエルウッドがカレッジでの新しい生活を始めようとしていた矢先、無実の罪で少年矯正施設「ニッケル・アカデミー」に入れられてしまいます。そこで出会ったのがターナー。彼は少年ながらも社会のシステムや残酷さを理解しており、その中で生き残るしかないと冷めた考えを持つ現実的なタイプ。対照的な二人は施設での厳しい日々のなかで少しずつ友情を深めてゆきます。

 まず、この映画で特筆すべきなのはエルウッドの一人称視点(POV)で進められる映像。初めは少し戸惑ったのですが、彼の感情や彼が見ている世界、おばあちゃんの優しさとか施設での環境などをそのまま体感することができて、すごい手法だなと思いました。途中視点が切り替わるのですが、その視点の移り変わりの意味が明らかになった時のショックと言ったら…!!これはもう観て体験していただければと思います。

 映像は全体を通してノスタルジックな感じで美しく、だからこそこんな美しい世界で子どもたちは絶望を感じていたんだ、と余計に胸に刺さります。映画の全編を通して描かれている歴史的背景と個人的なストーリーのバランスも絶妙で、忘れるべきではない過去の事実を少年たちの物語の中に織り込んで、現代社会にも通じている様々な問題を考える機会を与えてくれます。

 テーマは重めだし映画館での上映は限られていたにも関わらず、アカデミー賞、ゴールデングローブ賞でノミネートされ、国際映画批評家協会賞やトロント映画批評家協会賞では最優秀賞を受賞するなど高く評価されたこの作品。静かだけど力強い映画でした。

 カナダではAmazon Prime Videoで配信中です。

Lalaのシネマワールド
映画に魅せられて

バンクーバー在住の映画・ドラマ好きライターLalaさんによる映画に関するコラム。
旬の映画や話題のドラマだけでなく、さまざまな作品を紹介します。第1回からはこちら

Lala(らら)
バンクーバー在住の映画・ドラマ好きライター
大好きな映画を観るためには広いカナダの西から東まで出かけます
良いストーリーには世界を豊にるす力があると信じてます
みなさん一緒に映画観ませんか!?

「アラニス・モリセット」音楽の楽園〜もう一つのカナダ 第33回

はじめに

 日加関係を応援頂いている皆さま、音楽ファンの皆さま、こんにちは。

 3月になり、厳しかった冬の寒さも幾分緩み始めました。世界で最も寒い首都の一つオタワにも春の予感が漂う日もあります。但し、翌日には冬に逆戻ることもままあります。日本で言う三寒四温に似た感じでもあって、一歩一歩春が近いている実感のある今日この頃です。

 そこで今回は、カナダが誇る現代の自由奔放なシンガー・ソングライター、アラニス・モリセットです。全く個人的な事で恐縮ですが、かつて友人とバンドを組んでた際に、ゲストで招いた女性ボーカルが大のアラニス・モリセットのファンでした。歌い方もアラニスを真似ていました。それに、何かと言えば、アラニスが如何に素晴らしいアーティストかを語っていたのを思い出します。特に、『ジャグド・リトル・ピル』が女性の本音を大胆かつ率直に述べつつ、荒削りながら極上のロック・ミュージックに昇華させていると力説していました。

 アラニスは、同時期にブレイクした先輩シェリル・クロウをより先鋭化させ現代的にしてると感じました。聴き比べると、米国のシェリルの方が音楽的にはより保守的で、カナダのアラニスの方がより進歩的で冒険的です。コマーシャリズムの影響が隅々にまで及ぶ音楽業界にあって、アーティストの創造性を重んじる気風がカナダには根強いのかもしれませんね。

オタワっ子

 アラニス・モリセットは、1974年6月1日に、オタワ大学医学部付属リバーサイド病院で、教師を両親の下、二卵性双生児の妹として誕生しました。因みに、12分早く生まれた兄のウェイドも地元でヨガ教師をしつつ音楽活動しています(アラニスほど有名ではありませんが)。

 両親とも教師、父の家系は、フランス系とアイルランド系です。一方、母はユダヤ系のハンガリーからの移民です。家族が1956年のハンガリー動乱で反ソ連活動に関わり、祖国を追われて、カナダに移住したのです。但し、母は自分がユダヤ系である事を隠していたと云います。

 いずれにしても、アラニスの両親の来歴は、移民国家カナダを代弁するような、多様性を示しています。アラニスの血脈には、ヨーロッパ諸国の多彩な歴史と伝統と文化が流れている訳です。

 幼少期のアラニスについて、もう少し詳しく述べると、アラニスが3歳の時にモリセット家は西ドイツのラール/シュバヴァルツアヴァルトに引越します。両親が現地のカナダ空軍・陸軍基地に付属する学校の教師となったためです。そこで3年間過ごし、1980年にオタワに戻ります。

 翌1981年、アラニスは7歳になると、オタワ市カトリック教育委員会の小学校に入学します。同時期に、ピアノとバレエとジャズ・ダンスを習い始めます。11歳の頃には、人前で歌うようになります。12歳で、子供向けのテレビ番組「You Can Do That on Television」にも出演するようになります。更に、オタワ地区最大の高校グリーブ・コリジエイト・インスティテュート(Glebe Collegiate Institute) に進学します。この学校は、芸術・スポーツ分野で活躍する多くの卒業生を輩出しています。首都オタワは、決してエンタテインメントの中心ではないのですが、アラニスは芸能分野で才能を開花させていくのです。

始動

 上述のとおり、アラニスに非凡な才能が宿っていることは明らかでした。が、それがどれ程のものかは簡単に分かりません。彼女の巨大な才能は、徐々に全貌を顕わし始めます。

 1987年、アラニスは、自主制作シングル盤「Fate Stay with Me」を発表します。この音盤は、レコード会社やラジオ局が出資して設立した非営利団体、FACTOR(Foundation to Assist Canadian Talent on Record)の支援を受けて完成したものです。若干13歳です。地元、オタワのラジオ局ではヘビー・ローテーションで、知名度が上がります。

 次のステップは、世界的レコード会社MCAのカナダ法人との間で契約です。レコード会社とアラニス本人、そしてアラニスの両親が署名しました。地元のちょっと出来る女子からプロフェッショナルへと移行するのです。

 1990年の9月から12月 にかけて、オタワ市内のディストーション・スタジオにて、デビュー・アルバムの録音が行われます。プロデューサーは、オタワ出身のレスリー・ハウです。収録された10曲は、全て、アラニスとハウの共作です。曲調は、マドンナやジャネット・ジャクソンに代表されるエレクトリック・ポップのダンス・ミュージックです。要するに、当時の流行りのサウンドで、未だアラニスの個性は確率している訳ではありません。しかし、この時、アラニスは若干16歳。フル・アルバムを自作曲で固めて、世界的レコード会社傘下でメジャー・デビューするのです。その事実だけでも見事とは言えるでしょう。

 1991年4月、音盤のタイトルをシンプルに自身の名前を冠し『アラニス』として、カナダ国内でリリースされました。この音盤からは「Too Hot」等の3曲が相次いでシングル・カットされて、カナダ国内でトップ10にチャート入りするスマッシュ・ヒットとなります。アルバム・チャートでもトップ30にランクインし、総計で10万枚のセールスを記録して、プラチナ・ディスクを獲得しています。商業的には成功です。

 この勢いをかって、翌1992年10月には、同じ路線のアルバム『ナウ・イズ・ザ・タイム』をカナダ国内でリリースします。「An Emotion Away」等の4曲がシングル・カットされ、5万枚を売り上げ、ゴールド・ディスクに認定されました。とは言え、苛烈な競争が日常のエンタテインメント業界では、二匹目のドジョウの如く流行のサウンドを続けては生き残れません。耳の肥えた批評家達もマドンナやポーラ・アブドゥルの亜流だと切って捨て始めました。MCAレコードとの契約も終了しました。

 この時、アラニス・モリセットは未だ18歳の高校生でした。ここからが真の音楽的冒険の始まりです。

脱皮

 1993年、アラニスはグリーブ・コリジエイト・インスティテュートを卒業します。この時まで、アラニスは、両親と共にオタワに住み高校に通いながら音楽活動をしていた訳です。決して音楽で勝負する上で最高の環境ではありません。それにも関わらず、2枚の音盤をリリースし、プラチナとゴールドを獲得したのは並大抵ではありません。彼女の潜在力を示しているとも言えますが、真の才能は未だ埋もれたままです。

 そこで、アラニスは、高校卒業を期に、トロントに拠点を移します。オンタリオ州の州都にして、カナダ最大の都市です(北米でも4番目)。政治、ビジネス、文化、学術の中心です。自由で多様で多彩。アラニスの音楽的冒険を進化させる絶好の街です。ここで、アラニスは、新たなレコード会社やプロデューサーと出会うのです。

 閑話休題ですが、音楽の世界は、何よりもアーティスト個人の才能が核心です。それがなければ何も始まりません。ですが、一人だけでは音楽は完結しません。アーティストの才能を最大限に発揮させるチームが不可欠です。敏腕プロデューサーのジョージ・マーチンがいなければビートルズはリバプールの田舎バンドで終わっていたでしょう。音楽学者ルードヴィッヒ・フォン・ケッヘルがいなければモーツァルト作品が後世に完全な形で伝わることはなかったでしょう。ハービー・ハンコックを採用しなかったなら、マイルス・デイビスの1960年代黄金のクインテットの新主流派ジャズは生まれていなかったでしょう。

邂逅

 トロントへ拠点を移したアラニスには、運命的な出会いが待っていました。ソング・ライター兼プロデューサー、グレン・バラッドとの邂逅です。バラッドは、非常に多くのアーティストを手掛けていますが、有名なところでは、リンゴ・スター、ヴァン・ヘイレン、アニー・レノックス、デイブ・マシュー・バンド等です。音楽出版社の紹介でアラニスと面談したバラッドは、僅か30分ほどの会話でアラニスの核心を察知。潜んでいる唯一無二の個性を見抜いたといいます。1994年のことです。この時、アラニスは19歳、バラッドは41歳。音楽的魂の触れ合いには年齢は関係ありませんが、後年バラッドは親子のような感じだったと述懐しています。

創造

 アラニスとバラッドは、早速、米カリフォルニア州はサン・フランド・ヴァレーにあるバラッドの自宅スタジオに入って、2人で曲作りとデモ・テープの録音を始めます。毎日、15時間ほど音楽漬けだったといいます。曲の骨格が出来ると、バラッドがドラム・マシーンでリズムをプログラムし、各種ギターとキーボードを多重録音して伴奏トラックを作ります。それを聞きながら、アラニスがハーモニカを吹き歌います。何度も試行錯誤を繰り返しながら曲を仕上げていきます。2人の作業は数ヶ月に及びました。

 年が明けて1995年、2人で作ったデモテープを土台に、実際のレコーディングがロサンゼルスのウエストレイク・スタジオで始まります。マイケル・ジャクソン『スリラー』等の名盤が生まれた場所です。

 ここで録音されたのがアラニス最大の成功作となる『ジャグド・リトル・ピル』です。1995年6月にマーヴェリック・レコードからリリースされました。因みに、このレコード会社は、ワーナーブラザーズ傘下のレーベルでマドンナが実質的に創設したものです。アーティスト側の創造性と商業主義の両立を目指す、史上初の女性アーティストによるレコード会社とも言われています。

訣別

 実は、マーヴェリック・レコードが『ジャグド・リトル・ピル』をリリースするに際して、一つ重大な条件が課されました。以前、MCAからリリースされた2枚の音盤を廃盤とするというものです。新生アラニス・モリセットとして世界デビューする観点から、マドンナの亜流ダンス・ポップ時代を封印し、軽薄な歌詞とエレクトリック・デジタルな機械サウンドとは完全に一線を画す戦略的な狙いだったとも言えます。

 確かに、『ジャグド・リトル・ピル』を聴いた耳で『アラニス』や『ナウ・イズ・ザ・タイム』を聴くと、本物と習作の差以上の大きな落差を感じるかもしれません。

 『ジャグド・リトル・ピル』は、女性の本音や怒りを直裁に訴える歌詞、感情を剥き出しにした歌唱、敢えて美声を拝した強靭な声、そしてグランジ系のリアルなバンド・サウンドが聴衆の胸を鷲掴みにします。特に、女性の共感を得て、“フェミニスト・アンセム”とも受け止められています。

記録

 『ジャグド・リトル・ピル』は、世界中で3,300万枚を超えるセールスを上げ、チャートを席巻。カナダ人アーティストとして初めてダブル・ダイヤモンド・ディスクを獲得しました。

 グラミー賞は、9部門にノミネートされ、最優秀アルバム賞、ベスト・ロック・アルバム賞、最優秀女性ボーカル賞等の5部門で実際に受賞しています。しかも、21歳でのグラミー賞受賞は、当時の最年少記録でした。この記録を塗り替えたのは、テイラー・スイフトです。

結語

 アラニス・モリセットと言えば、『ジャグド・リトル・ピル』ですが、2002年発表の『アンダー・ラグ・スゥエプト』も聴き応えのある名盤です。今、聴いても新鮮なサウンドです。唯一無二の声と歌唱がアラニスの書く歌詞と旋律を天高く飛翔させています。

 私生活では、2010年に、ヒップ・ホップ・アーティストのマリオ・“ソウルアイ”・トレッドウェイと結婚。3人の子供を出産しましたが、産後鬱に苦しんだことを公表しています。

 そんな私生活上の困難も吸収して、アラニスは、その後もコンスタントに音盤を発表しています。最新作は、2022年発表の『ザ・ストーム・ビフォー・ザ・カーム』です。瞑想のための音楽を志向しています。一人のアーティストが進化し変貌を遂げる様が音楽に投影しています。

 アラニスは未だ50歳。まだまだ現役で頑張ってもらいたいと思います。激動の時代、彼女自身がどんな変貌を遂げ、新しい音楽を提供してくれるのか楽しみです。遠からず、『ジャグド・リトル・ピル』を超えて、世にインパクトのある音盤を送り出してくれることを期待しています。

(了)

山野内勘二・在カナダ日本国大使館特命全権大使が届ける、カナダ音楽の連載コラム「音楽の楽園~もう一つのカナダ」は、第1回から以下よりご覧いただけます。

音楽の楽園~もう一つのカナダ

山野内勘二(やまのうち・かんじ)
2022年5月より第31代在カナダ日本国大使館特命全権大使
1984年外務省入省、総理大臣秘書官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、外務省経済局長、在ニューヨーク日本国総領事館総領事・大使などを歴任。1958年4月8日生まれ、長崎県出身

バンクーバーでカクテル・ウィーク開催「ガライベントでは日本の酒を含めた28の酒ブランドがカクテルを提供」

白鶴の(後列左から)梅酒、にごり酒さゆり、にごりゆず酒と、カクテル2種Starlight plum spritz とIchigo Sour(前列右)。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
白鶴の(後列左から)梅酒、にごり酒さゆり、にごりゆず酒と、カクテル2種Starlight plum spritz とIchigo Sour(前列右)。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ

 ブリティッシュ・コロンビア州バンクーバー市で3月2日~9日まで、市内のレストランやバーが参加した「バンクーバー・カクテルウィーク」を開催。8日には28の酒ブランドが一同に会しカクテルを提供する「ブラック&ホワイト・ガラ」も催し、多くの来場者が特製カクテルを楽しんだ。

The Alchemist 主催、今年で4回目

 蒸留酒、スピリッツ、カクテル関連の専門誌The Alchemist が主催し今年で4回目となる「バンクーバー・カクテルウィーク」。バンクーバーのバーテンダーたちが作り出す多彩なカクテル文化を楽しんでもらおう、と毎年同時期に開催されている。

 市内ホテルで開催された「ブラック&ホワイト・ガラ」には約350人のゲストが来場。「JOHNNIE WALKER」「DON JULIO」「STREGA」「TANQUERAY NO.TEN」などと共に、日本の「NIKKA」「白鶴」「海知」「霧島」「MASUMI」「宝山」「英勲」も参加。それぞれのブースで趣向を凝らしたカクテルを提供し参加者を楽しませた。

 「白鶴」のバンクーバーエリア販売担当者ジェナ・ゴゴさんは「日本料理が大きく受け入れられているバンクーバーエリアでは、酒への認知度はとても高いと言える。今回のイベントでは、まだ知らない人も多い「にごり酒」と「梅酒」を用意してさらに酒への楽しみを広げてもらえればと期待している」と話し、プラム色とオレンジ色のカクテルを紹介した。

NIKKA ウィスキーのバーテンダーさんたち、後ろにはNIKKAの商品が並ぶ。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
NIKKA ウィスキーのバーテンダーさんたち、後ろにはNIKKAの商品が並ぶ。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ

 「NIKKA」ブースでは日本から参加したバーテンダーの斎藤久嗣さんが「バンクーバーでも日本のウィスキーを好んでくださる方が多いようでうれしく思っている」と話し、「カクテルなどでいろいろな楽しみ方を試してみる人は日本より多いと感じている。それぞれが気に入ったニッカウィスキーを見つけてもらえればうれしい」とシェイカーを振った。

ブラック&ホワイトガラに合わせた「霧島」にホイップクリーム、オレオクッキーをのせたカクテル。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
ブラック&ホワイトガラに合わせた「霧島」にホイップクリーム、オレオクッキーをのせたカクテル。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ

 「黒霧島」のブースではオレオクッキーとホイップクリームを合わせたカクテルを提供。霧島酒造の田浦壽人さんは「(バンクーバーでは)日本酒が多くの酒店やレストランに置いてあり焼酎も少しずつ認知度が上がっている」と手ごたえを話し、「焼酎は甘味とも合うので、バーテンダーの方が作ってくれた今日のカクテルで新しい焼酎の魅力を発見してもらえるのでは」と期待した。

 BC州日本酒協会(The Sake Association of British Columbia : SABC)の小西隆之代表は「日本にはカナダの市場に参画したいと思っている良い酒蔵さんがたくさんある。市や国の規制で思うように進まないこともあるが、ようやく定着してきた日本酒をもっと広めるためにも、これからも努力していきたい」と今回のイベント参加への意義を話した。

「海知」のウィスキーも。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
「海知」のウィスキーも。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ

 イベントを主催したThe Alchemist 誌発行者のゲイル・ニュージェントさんは「(新型)コロナ(ウイルス)禍でダメージを受けたバーやレストランを活気付けれたらと2022年に始めたが、今ではそれ以上にバンクーバーの豊かなバーやカクテルの文化を楽しんでもらえるイベントに成長した」と大成功に終わったイベントを振り返った。今回は日本からの参加も多かったが、「寿司レストランでお馴染みの日本酒、という概念を超えたすばらしいカクテルを提供してもらい多くの来場者がその魅力を再発見したと思う」と話した。今年の10月にはトロント市でも初の開催を予定しており、「バンクーバーと同様に多様なレストラン、バーがあり各国からの来店客が集まる街。より多くの人にカクテルの魅力を知ってもらえれば」と期待した。

「宝山」焼酎はレモンが合いますよ、とおすすめ。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
「宝山」焼酎はレモンが合いますよ、とおすすめ。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
「英勲」ゆず酒を使ったYuzu Time Highball。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
「英勲」ゆず酒を使ったYuzu Time Highball。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
日本の酒を使ったカクテルレシピのカードを配布。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
日本の酒を使ったカクテルレシピのカードを配布。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ

(取材 Michiru Miyai)

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