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Naomi Mishima

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トロント国際映画祭の話題作が早くも劇場公開に「Megalopolis 」(フランシス・フォード・コッポラ監督)「Wild Robot」(クリス・サンダース監督)

「Wild Robot」より。Photo courtesy of TIFF
「Wild Robot」より。Photo courtesy of TIFF

 10月に入りあっという間に肌寒い日が増えてきたバンクーバー。秋って紅葉を楽しんだり、もう少し穏やかな季節じゃなかったっけ?と思いながらも、芸術の秋を楽しむべく映画館に通っている私です。

 さて、今回ご紹介するのは先月のトロント国際映画祭で観た超大作の中から、早くも劇場公開になった2作品「Megalopolis」と「The Wild Robot」。共に話題作ですが、実は両方とも大好きなスターウォーズ系俳優さんたちが出ているという個人的な理由(笑)からもおすすめする2本です!

「Megalopolis」(フランシス・フォード・コッポラ監督)

「Megalopolis」より。提供TIFF
「Megalopolis」より。提供TIFF

 近未来のニューヨークを思わせる都市が舞台。時と空間をコントロールする不思議な力を持つ理想主義者の建築家シーザー(アダム・ドライバー)が主人公。災害で荒廃した街にユートピアを作り再建しようとするシーザーと市長(ジャンカルロ・エスポジート)との権力攻防や彼の周囲の女性たち、メディアとのかけひきなどを描く。コッポラ監督が構想40年を経て巨額の私財を投入したことでも話題に。

「Megalopolis」のレッドカーペット。ナタリー・エマニュエルはすごく笑顔で可愛かったです。Photo by Michiru Miyai
「Megalopolis」のレッドカーペット。ナタリー・エマニュエルはすごく笑顔で可愛かったです。Photo by Michiru Miyai

 まず俳優さんは皆役柄にぴったりで、さすがコッポラ作品。ストーリーはシンプルなんだけど、あまりに細かい要素が盛りだくさんで何が起こっているか追いつくのに少し苦労しました。幸運にも観た後にコッポラ監督のQ&Aを聞く事が出来たのと、周囲の人との答え合わせでやっと理解できた感じです。要約すると、未来の都市を舞台にしたSF要素の入ったローマ叙事詩に、愛、政治批判、過去の映画へのオマージュ、監督の哲学、文学的知識などを詰め込んだ作品…かな。巨匠コッポラ監督が自費で自分が作りたい映画を作りたいように作ったある意味すごく贅沢な作品。終わった後にいろいろ考えたり誰かと話したり、そしてもう一度観てみたくなる映画であることは間違いないです。監督が「どの様な未来を子ども達に残すことが出来るのか、それを問いかけるためにこの映画を作った」と言うのを聞いて宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」を思い出したりもしました。

「The Wild Robot(邦題:野生の島のロズ)」(クリス・サンダース監督)

「Wild Robot」より。Photo courtesy of TIFF
「Wild Robot」より。Photo courtesy of TIFF

 同名の児童書(ピーター・ブラウン著)が原作でドリームワークス・アニメーションによる作品。人間をサポートするプログラムがインストールされたロボット、ロズ。貨物船の事故で流れ着いた島でスイッチが入り起動したロズは出会う動物たちに用件を聞いて回るが怪物扱いされるだけ。そんな中、ガンのヒナとの出会いをきっかけに他の動物たちとの交流が広がり、次第に仲間として受け入れられてゆく。ところが、ある日島に不気味な飛行船がやって来て・・・。

 感想は一言、最高でした!感情も無く無機質なはずのロボットのロズが、周囲から学び少しずつ成長してゆき最後は強く優しいお母さんに。親子の愛情(泣けます!)、仲間との絆、動物たちの厳しい世界などにロボットの戦いというハラハラする要素も合わさって始まりから終わりまでずっと楽しめました。そして忘れてならないのが声優陣。ルピタ・ニョンゴ、ペドロ・パスカル、キャサリン・オハラ、マーク・ハミルらがそれぞれのキャラクターを魅力たっぷりに演じています。アニーションは色味が絵本のようで美しいし登場する動物たちも皆可愛いし、音楽も良かったし、子どもだけでなく大人にもおすすめできる映画です。

トロント国際映画祭でWild Robot の上映後のQ&A。映画祭ならではの楽しみです。Photo by Michiru Miyai
トロント国際映画祭でWild Robot の上映後のQ&A。映画祭ならではの楽しみです。Photo by Michiru Miyai

 両作品ともCineplex系映画館で上映中。

Lalaのシネマワールド
映画に魅せられて

バンクーバー在住の映画・ドラマ好きライターLalaさんによる映画に関するコラム。
旬の映画や話題のドラマだけでなく、さまざまな作品を紹介します。第1回からはこちら

Lala(らら)
バンクーバー在住の映画・ドラマ好きライター
大好きな映画を観るためには広いカナダの西から東まで出かけます
良いストーリーには世界を豊にるす力があると信じてます
みなさん一緒に映画観ませんか!?

「いい旅 バンクーバー島 2」~投稿千景~

エドサトウ

 博物館の一角に、ネイティブ(先住民)の人々が、かつて(4000年前)に使っていたという石器が小さく展示されてあった。今から4000年前ということは、縄文時代の晩期である。司馬さんの話に縄文人は北海道から、海岸線をつたいアメリカ大陸に渡ったという話がある。一万年前にアメリカ大陸に人類が来たらしい。一万年前は、まだ海面が低かったから、アジア大陸とアメリカ大陸はベーリング海峡でつながっていたのかもしれない。春の大潮で、海水が遠くまで引いた時には、歩いて渡れたのかもしれない。

 アメリカ西海岸のネイティブの遺伝子を大学の先生が調べたところ、縄文人と同じ遺伝子があるらしいから、縄文人はずいぶんと昔から、カナダの西海岸で生活をしていたように想像できる。東部カナダでは、アメリカに英国からピューリタンが来る前から、北欧のバイキングのグループが船でカナダにたどり着いたという話もある。

 パークスビルに僕が来たのは50年以上も前のことである。僕が結婚する前のことである。当時、同じ会社で働いていた友が、新聞広告で見つけた土地を買いたいと言う。それで、彼が「サトー君、バンクーバー島へ行かへんか?」と言う。話を聞くと、将来、リタイヤ(退職)したら、バンクーバー島にアトリエを作って住み、絵を描きたいという。そのための土地を買うために、現地で不動産屋さんと会うという話である。仕事を二つ持ち、とにかくよく働く人であった。それでお金を蓄えたのか、当時、一万ドルもしない物件を見に行くのである。その一つが、このパークスビルの海岸線に近い宅地用の土地であった。

 もう一つの物件は、そこから、さらに山奥に入った山林のままの土地であった。彼は、こちらの方が広く大きな土地であったので気に入っていたようであった。

 彼が「サトー君、どっちが良いかな?」大阪弁のアクセントで聞いた。僕が「海岸線近くの土地は、もう、下水道や水道が準備されるというから、将来性があると思うけどーーー」と答えた。結局、彼は迷った末にパークスビルの海に近い土地を買った。

 今頃、パークスビルは多くの家や店が立ち並び、大きな町に変貌していた。彼は、その数年後に彼の区画整理のついた土地を買いたい人が現れて売却をして、いいお金を儲けたらしい。

 僕がカナダに来る頃に、父が将来の農地用に購入した山林の土地が、のちに工業団地に指定されて、高く売れたということもあり、当時から、カナダの不動産に興味があり、当時としては、早くに家を買ったほうである。古い我が家は都心に近く、今はビックリするような値段である。あの頃に、もう少し宅地を買っておけば、今頃は百万長者になっていたかもしれない。若い頃は、それなりに大変であったが、いい時代であったと思い返すこの頃である。その友も数年前にがんで亡くなられた。

 翌日、パークスビルのモーテルを朝の6時に出発。今日は天気も良く、海の向こうから美しい朝日が昇り始める中、国道を海岸線に沿って次の街コモックスをめざす。息子に「パークスビルの街の中心から、新しいハイウェイに出れば、早くに着けるから、ハイウェイに出たら?」と言うと、息子は「こちらでいいよ」と言う。まだ新しいハイウェイがなかったころ、なき妻や子供たちとこの旧道を走った記憶があるのか、懐かしそうに息子が「母さんと一緒に来た時、この辺を通ったよなあ」と言う。遠い過去の日が脳裏をかすめ、少々悲しかった。

 美しい海岸線に赤い夏の太陽が昇る中、車は北の街コモックスを目指して、快調に走り続ける。

 途中の海岸線の駐車場には車中泊をしているかと思われる車を多く見かけた。僕たちもキャンプの用意をしてきたが、パークスビルの街の入り口付近にある州立公園のキャンプ場はいっぱいで泊まることできず、心配であったが、幸い街のモーテルに泊まることができて良かった。けれども、この海岸線車中泊も面白そうである。

投稿千景
視点を変えると見え方が変わる。エドサトウさん独特の視点で世界を切り取る連載コラム「投稿千景」。
これまでの当サイトでの「投稿千景」はこちらからご覧いただけます。
https://www.japancanadatoday.ca/category/column/post-ed-sato/

「カナダ“乗り鉄”の旅」第17回 地下鉄の赤い扉で、「福岡生活」に戻ったような錯覚に カナダ最大都市・トロント編

トロント交通局(TTC)地下鉄2号線の駅に停車中のT―1(2024年2月20日、トロントで大塚圭一郎撮影)
トロント交通局(TTC)地下鉄2号線の駅に停車中のT―1(2024年2月20日、トロントで大塚圭一郎撮影)

大塚圭一郎

 今年3月に開業70年を迎えたカナダのトロント交通局(TTC)地下鉄で、「T―1」と呼ばれる旧型電車が唯一走っているのが東西に結ぶ2号線(ブロア―ダンフォース線)だ。3路線あるTTC地下鉄の路線図に描かれる2号線のラインカラー(路線色)は「緑」だが、T―1に乗り込むと客室側の扉は真っ赤に塗られていた。帰宅ラッシュで車内が混雑していたため真っ赤な扉の隣に立っていると、赴任していた九州の最大都市の福岡県での生活に戻ったような錯覚に陥った―。

T―1の車内に貼られたTTC地下鉄2号線の路線図(2024年2月20日、トロントで大塚圭一郎撮影)
T―1の車内に貼られたTTC地下鉄2号線の路線図(2024年2月20日、トロントで大塚圭一郎撮影)

【T―1】カナダで最大都市のオンタリオ州トロントの都市圏を走るトロント交通局(TTC)地下鉄で1995年に導入が始まった電車。カナダの輸送機器メーカー、ボンバルディアの傘下だった旧ボンバルディア・トランスポーテーション(現在のフランスのアルストム)が製造した。車体はアルミ合金製で、全長約23メートルの車両の側面に4カ所の両開き扉を備えている。

 線路に沿った第三軌条から直流の電圧600ボルトの電気を取り込んで走っているのは東京メトロ丸ノ内線(本連載第16回参照)や銀座線と同じ。ただし、TTC地下鉄の左右レール間の幅である線路幅は1495ミリと広軌で、標準軌(1435ミリ)の丸ノ内線や銀座線より60ミリ広い。

航空機の窓から眺めたトロント市街地(2024年2月20日、大塚圭一郎撮影)
航空機の窓から眺めたトロント市街地(2024年2月20日、大塚圭一郎撮影)

ひと目で「浦島太郎」気分

 TTC地下鉄の1号線と4号線に乗り込んだ車両は、いずれも「トロントロケット」(本連載第14回参照)と呼ばれる2011年登場のステンレス製車両だった。

 トロント中心部の1号線のプラットホームに滑り込んだスマートな外観のトロントロケットをひと目見ると、まるで玉手箱を開けた浦島太郎になったような気分に襲われた。そして「これは私の記憶にあるTTC地下鉄の車両ではない!」という強烈な違和感を覚えた。

 というのも、私がTTC地下鉄に前回乗ったのは2014年のことで、当時はT―1が3路線全てで現役だったのだ。

 今回は1号線を北上してシェパードヤング駅へ向かい、乗り換えた4号線のホームで待ち受けていたのもトロントロケットだった。「またか…」と肩を落としたことを認めなければならない。

 ただし、4号線は乗ったことがなかった。このため〝完全乗車〟したいと考え、4駅先の終点ドンミルズへ向かった。

 「1号線と4号線にT―1が走っていないのならば、2号線が最後の牙城になっているのではないか」とにらんだのだ。

 そこで2号線の駅に向かおうとしたところ、誤算が生じた―。

次第に住宅もまばらに…

 ドンミルズで4号線を下車後、地上のバスターミナルの路線図を頼りにTTC地下鉄2号線の駅に向かう路線バスを探した。

 2号線の駅と結ぶ目当ての路線番号を表示したバスが来たため、一目散に乗り込んだ。しかし、やがて異変に気づいた。

 乗客が途中の停留所で次々と降りていき、乗り込む利用者は見当たらない。次第に住宅もまばらになっていき、暗闇に包まれた停留所に止まると運転手にこう通告された。

 「ここが終点だよ」

 何と路線番号だけを確認して乗り込んだため、反対方向のバスに乗り込んでしまったのだ。仕方なく「ドンミルズ駅に戻るバスはありますか?」と質問すると、運転手は先の停留所を指さして「しばらくすればあそこから出発するから」と教えてくれた。

 やって来た別のバスの運転手に「ドンミルズ駅を通りますか?」と確認し、うなずいたのでIC乗車券「プレスト」を読み取り端末にかざして乗車した。このバスの行き先は2号線の駅ではなかったため、ドンミルズ駅に照準を合わせたのだ。

 今度は途中の停留所で降りる利用者はおらず、代わりに次々と乗り込んできた。

 ドンミルズでバスを降りると、シェパードヤング行きの4号線の電車を目指した。シェパードヤングから今度は1号線を南下し、2号線と接続するトロント中心部のブロア―ヤング駅へ向かおうと考えたのだ。

念願のT―1に

 複線の線路を挟んでホームが向かい合った対面式ホームのブロア―ヤングで1号線を降り、階段で1階下がると2号線のホームがあった。2号線は両方向の線路に挟まれた真ん中にホームがある島式ホームとなっている。

 できれば2号線も〝完全乗車〟をしたかった。しかしながら、ドンミルズ駅で反対方向のバスに乗ってしまう失敗でタイムロスが生じたため、その日じゅうには無理だ。そこで、東方面のケネディ行き電車に乗ることにした。

2014年7月の訪問時に撮影したTTC地下鉄2号線のT―1(トロントで大塚圭一郎撮影)
2014年7月の訪問時に撮影したTTC地下鉄2号線のT―1(トロントで大塚圭一郎撮影)

 ホームに入る前から重厚なモーター音が響き渡り、「トロントロケットとは別物だ」と確信した次の瞬間に念願のT―1が滑り込んできた。

 帰宅客らで車内は混雑していたため、入り口の脇に立っていると両開き扉が閉まった。扉の外観は車体と同じシルバー色だったが、内側は真っ赤に塗られているではないか。その扉が視界に入るやいなや、2018~20年に住んだ福岡県で乗った電車を思い出した。

1年先輩の電車

 赤い両開き扉を採用しているのが、JR九州が福岡都市圏の鹿児島線などで走らせているステンレス製の電車「813系」と同じだったのだ。813系は1994年に登場しており、TTC地下鉄のT―1より1年先輩だ。

扉が赤いJR九州の鹿児島線で使われている813系(2019年5月30日、佐賀県鳥栖市で大塚圭一郎撮影)
扉が赤いJR九州の鹿児島線で使われている813系(2019年5月30日、佐賀県鳥栖市で大塚圭一郎撮影)

 JR九州は赤をコーポレートカラーとして採用していることから、鹿児島線などで使っている813系は扉の内側と外側の両方とも赤色に塗っている。

客室側が赤く塗られたT―1の扉(2024年2月20日、トロントで大塚圭一郎撮影)
客室側が赤く塗られたT―1の扉(2024年2月20日、トロントで大塚圭一郎撮影)

 これに対してT―1の扉の外側は車体色と同じシルバー色で、客室側だけが813系と同じような赤色だ。それでも私の中ではT―1と813系の姿が重なり合い、まるで813系に乗り込んだかのような懐かしさにとらわれた。

 「博多駅(福岡市)から小倉(北九州市)へ向かうのに山陽新幹線を使えば約15分で着くのに、電車代をけちって1時間超もかかる鹿児島線の813系で運転する快速電車に乗ったな」と思い返した。

 T―1がドン川に架かった橋を通った時には「まるで813系で遠賀川(おんががわ)の橋を渡っているようだ」と懐かしんだ。

どうなる?次世代車両

 このように郷愁をかき立ててくれたのが、T―1の乗車体験だった。今から10年前に初めてTTC地下鉄に乗り込んだ日にタイムスリップさせてくれるだけではなく、赤い扉という共通点で地球の反対側にある福岡県を走る電車まで思い起こさせてくれた。

 かつてはTTC地下鉄の主力として活躍していたT―1にこれからも走り続けてほしいが、黄信号がともっている。1号線と4号線の全車両がトロントロケットに一本化されたのに続き、2号線のT―1を置き換えるための次世代車両導入が検討されているのだ。

 次世代車両55両を新造するには約23億カナダドル(1カナダドル=105円で約2415億円)がかかると見込まれており、費用の一部を拠出するトロント市とオンタリオ州はカナダ連邦政府も負担するように働きかけている。

 TTCの理事会メンバーでもあるトロント市議会議員のジョシュ・マトロウ氏はカナダ放送協会(CBC)に対し、T―1を使い続ければ「完全な運行停止に追い込まれる恐れがある」と警告。新造車両を導入する必要性を「連邦政府が理解していると確信している」とした上で、「連邦政府に対して彼らの協力なくして実現できないことをはっきりと伝えており、うまくいくと非常に楽観している」と訴えた。

 2号線は東端のケネディ駅から北東へ7・8キロ延伸する工事が2023年1月に始まっており、完成後は終点となるシェパード駅まで計3駅を新設する。TTCは2041年までに2号線の平日1日当たりの利用者数が66万1千人となり、現在より約18%増えると予想している。

 路線の重要性が一段と高まる中で信頼性のある次世代車両を導入し、登場から30年弱が経過したT―1は置き換えた方が良いという主張には一定の理解ができる。

 その一方で、TTC地下鉄を次回利用する時にも思い出深いT―1が出迎えてほしいという願望を抱いているのも確かだ。これは鉄道好きの旅行者のエゴに過ぎないのだろうか?

共同通信社元ワシントン支局次長で「VIAクラブ日本支部」会員の大塚圭一郎氏が贈る、カナダにまつわる鉄道の魅力を紹介するコラム「カナダ “乗り鉄” の旅」。第1回からすべてのコラムは以下よりご覧いただけます。
カナダ “乗り鉄” の旅

大塚圭一郎(おおつか・けいいちろう)
共同通信社経済部次長・「VIAクラブ日本支部」会員

1973年、東京都生まれ。97年に国立東京外国語大学外国語学部フランス語学科を卒業し、社団法人(現一般社団法人)共同通信社に入社。2013~16年にニューヨーク支局特派員、20~24年にワシントン支局次長を歴任し、アメリカに通算10年間住んだ。24年9月から現職。国内外の運輸・旅行・観光分野や国際経済などの記事を多く執筆しており、VIA鉄道カナダの公式愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員として鉄道も積極的に利用しながらカナダ10州を全て訪れた。

 優れた鉄道旅行を選ぶ賞「鉄旅(てつたび)オブザイヤー」(http://www.tetsutabi-award.net/)の審査員を2013年度から務めている。共同通信と全国の新聞でつくるニュースサイト「47NEWS(よんななニュース)」や「Yahoo!ニュース」などに掲載されている連載『鉄道なにコレ!?』と鉄道コラム「汐留鉄道倶楽部」(https://www.47news.jp/column/railroad_club)を執筆し、「共同通信ポッドキャスト」(https://digital.kyodonews.jp/kyodopodcast/railway.html)に出演。
 本コラム「カナダ“乗り鉄”の旅」や、旅行サイト「Risvel(リスヴェル)」のコラム「“鉄分”サプリの旅」(https://www.risvel.com/column_list.php?cnid=22)も連載中。
 共著書に『わたしの居場所』(現代人文社)、『平成をあるく』(柘植書房新社)などがある。東京外大の同窓会、一般社団法人東京外語会(https://www.gaigokai.or.jp/)の広報委員で元理事。

「嫌いなものがあるから、新しいものが生まれる」海外に寿司の世界への扉を開いた東條さんドキュメンタリー バンクーバー国際映画祭で上映

映画にちなんだ東條さん特製「アップルだるまサラダ」を手に。2024年9月27日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
映画にちなんだ東條さん特製「アップルだるまサラダ」を手に。2024年9月27日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ

 第43回バンクーバー国際映画祭(VIFF)で上映中の「The Chef & the Daruma」(Mads K. Baekkevold監督)は、バンクーバーの日本食レストラン「Tojo’s」のオーナーシェフ・東條英員(ひでかず)さんのこれまでの人生を描いたドキュメンタリー。

 映画祭開催前にチケットが完売し、2回の上映追加が決定した。本作にスクリーンライターとして参加し、「この作品が日本で上映されることが夢」だという村尾幸子ナタリーさんにはEメールで、カリフォルニアロールの原型「東條巻き」を生み出したシェフの東條さんには9月27日にレストランTojo’sで話を聞いた。

—このドキュメンタリー制作のきっかけは?

東條さん:監督からは「いろんなお店を回ったが、東條さんの料理はオリジナリティがあり、魂、パッションがある。そして、こんなにも地元の食材を生かした料理を今まで見たことない」と言って、この映画のオファーがありました。監督も「お金ではないもの」を重視する人で、そういう考え方が僕と似ていると感じました。監督、村尾さん含め本作のスタッフはみんな才能と情熱のある人ばかりでした。

ドキュメンタリー映画「The Chef & the Daruma」主人公、シェフの東條英員さん。2024年9月27日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
ドキュメンタリー映画「The Chef & the Daruma」主人公、シェフの東條英員さん。2024年9月27日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ

村尾さん:元々は、監督のMads K. Baekkevoldがミシュランガイド関連の仕事で東條さんに出会ったことがきっかけです。その際に、レストランに置かれていた大きなだるまを見つけた監督は、東條さんとだるまや人生について長時間話し、お互いの人生観や目標に共通するものが多いと感じ、東條さんの人生をだるまの儀式と並行して描くアイデアを思いつきました。

「The Chef & the Daruma」より。Photo courtesy of VIFF
「The Chef & the Daruma」より。Photo courtesy of VIFF

 また、監督からこの企画を聞いたとき、この作品は、単純にシェフの料理や成功を紹介するものではなく、日系カナダ人独自のストーリーになる可能性があると思いました。私自身も日系四世として、このドキュメンタリーを作ることで、日系カナダ人の歴史やコミュニティについて学び、その知識を観客と共有する機会が得られると感じ、本作への参加を決めました。

—本作でも触れられていますが、日系カナダ人の歴史について思うことは?

東條さん:僕が1972年にカナダに来た頃は、日系一世、二世の時代でしたが、当時彼らは生魚を公には食べていませんでした。白人からばかにされるからです。僕は「人間の差別がどこから生まれるのか?」ということにものすごく興味があったし、そうした差別意識を変えたいと思っていました。そこを打ち破るのが食べ物なんです。

映画にちなんだ東條さん特製「アップルだるまサラダ」。2024年9月27日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
映画にちなんだ東條さん特製「アップルだるまサラダ」。2024年9月27日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ

 食べ物というのは、他の国の人たちに自分たちのアイデンティティを表明するのに、ものすごく大事なツールなんですよね。ばかにされないためには、食べ物に関してこっちの人との共通点を探す必要がある。そのために、僕はバンクーバーの一流レストランに月給のほとんどをつぎ込んで何度も通って勉強をしました。

村尾さん:映画制作者としての私の目標の一つは、戦中および戦後に日系カナダ人コミュニティが経験した多くの苦難に光を当てることです。私の両親の家族も強制収容所に送られ、その影響は今なお続いています。本作では、既存の日系カナダ人コミュニティが、戦後カナダへ移住した日本人(新移住者)から日本の文化、芸術、料理を学び、それを再び活性化させた様子を描いています。

 また、新移住者たちも、カナダで生活する中で日系カナダ人が過去に直面した苦難を学んできました。新移住者から四世、五世に至るまで、さまざまな世代によって、その豊かな歴史と文化が形成されています。本作でそうした日系カナダ人コミュニティの多様な側面とその複雑さを描けて自分自身も良かったと思っています。

—現地の人たちの好みを知ることでカリフォルニアロールを思いついたのですか?

いまでもTojo'sで提供されている考案当時の「東條巻き」、この日は東條さん自身が目の前で。2024年9月27日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
いまでもTojo’sで提供されている考案当時の「東條巻き」、この日は東條さん自身が目の前で。2024年9月27日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ

東條さん:僕はカリフォルニアロールとは言っていなくて、「東條巻き」と言っています。当時「こっちの人たちは生魚を食べないし、海苔に抵抗感がある」と言われていたので、そういう人たちがアプローチしやすくするにはどうしたらよいか考えました。僕は大阪で料理人の修業をしたので、生魚を使用しない大阪の太巻きの材料(玉子、しいたけ、かんぴょう、ほうれん草)をインサイドアウト(裏巻き)にして出来たのが「東條巻き」です。

 後から聞いたのですが、海苔は英語で「seaweed」と言うので、こっちの人はそれが「雑草」のような感じで嫌みたいで、今では「sea vegetable」という言い方に変えています。時代によって食べ物の名前も変わりますしね。また、海苔を内側に入れても苦手な人には、海苔の代わりに薄焼き卵を使って作りました。「嫌いなもの」があるから、「新しいもの」が生まれるんですよね。

「海苔に抵抗感がある」と言われていたため海苔を内側に入れたのが「東條巻き」。2024年9月27日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
「海苔に抵抗感がある」と言われていたため海苔を内側に入れたのが「東條巻き」。2024年9月27日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ

 当時日本では、東條巻きを「こんなのは邪道だ」と認めてくれなかったけど、その後「東條巻きは世界の日本食への意識を変えた」と言われるようになり、世界中からお客さんが来てくれるようになりました。僕のお店の名前を「東條ジャパニーズレストラン」のような名前にしていないのは、料理の壁を作らないようにするためです。それは、どんなテクニックを使ってもいいということ。「これは日本食ではない」と言われてもいい。僕が作るものは「東條フード」なんです。

—映画では目標達成の祈願としてだるまのシーンがありますが、今後の東條さんの目標は?

東條さん:目標というか、生き方やね。一生働きたいけど、今74歳なので、次の世代にバトンタッチして、今後は彼らを表に出して、僕は後ろからサポートしていきたいですね。

—バンクーバー国際映画祭の観客に伝えたいことは?

村尾さん:本作での私の役割は「東條さんのストーリーとは何か?」という問いに対する答えを見つけることでした。東條さんの過去から70代の現在までの旅路は、取り上げるべき内容が山ほどあり、90分にまとめることに非常に苦労をしました。しかし、観客の皆さんには、東條さんの人生がスクリーンに映っている90分以上に広がると信じています。

「The Chef & the Daruma」上映後のQ&Aで答える東條さん(右から3番目)ら関係者。2024年9月30日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
「The Chef & the Daruma」上映後のQ&Aで答える東條さん(右から3番目)ら関係者。2024年9月30日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ

 また、本作では「とりあえずやってみよう」という言葉に焦点が当てられています。新しい食べ物、新しい経験、何でもやってみることが大切です!

「The Chef & the Daruma」上映日時・会場

9月30日(月)6:00 pm @SFU Woodwards(東條さん他関係者のQ&Aあり)
10月3日(木)7:00 pm @VIFF Centre – Lochmaddy Studio Theatre
10月5日(土)1:15 pm @Fifth Avenue Aud 3(東條さん他関係者のQ&Aあり)
10月6日(日)8:45 pm @SFU Woodwards
https://viff.org/whats-on/viff24-the-chef-the-daruma

東條さん「The Chef & the Daruma」上映会のレッドカーペットで。2024年9月30日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
東條さん「The Chef & the Daruma」上映会のレッドカーペットで。2024年9月30日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ

(取材 佐々岡沙樹/写真 斉藤光一)

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おれんじカフェ de 看取りーと「いつか来る『死』を見つめて~誰にでも訪れるその瞬間~」

恒例になっております、高山宙丸さんをゲストにお迎えして開催している「おれんじカフェ de 看取りーと」は、今年、5年振りに対面で行います。しかし、Zoomでのご参加も可能な ハイブリッド形式で行います。

毎回、違った趣向を取り入れた彼の作品を楽しみにしていらっしゃる方も多いので、少し作品情報をネタバレにならない程度に記載いたします。

今回は、リアルな作品をご披露くださるようです。作品の骨子は、「大病を患った男が見つめる自分自身の『死』を、一人語りとモジュラーシンセの音を通して表現した作品」となるようです。

「おれんじカフェ de 看取りーと」は、やさしく、ゆる~く、皆さんと『死』を語る場です。一年に一度は、何時か必ず訪れる『死』と向き合ってみませんか?

皆様のご参加、お待ちしております。

日本語認知症サポート協会

「おれんじカフェ de 看取りーと」詳細

イベント名:おれんじカフェ de 看取りーと
タイトル:いつか来る「死」を見つめて~誰にでも訪れるその瞬間~

要約:大切な人の「死」。大病を患って考えた自分の「死」。生きているものは、いつか死ぬ。頭で理解していても、「死」に対して漠然と不安や恐れを抱く瞬間はありませんか? 今年の「看取りーと」では、「死」について、参加者の皆さんと優しく、ゆる~く、触れてみたいと思います。

特別ゲスト:高山宙丸

プロフィール:詩人、ビートメーカー(モジュラーシンセ)。法政大学哲学科卒。2007年より4 年半、世界を放浪。無印良品、バンクーバー日本語学校、日系プレースなどに依頼を受けて詩や動画作品を提供。「Labyrinth of Messages」など、パブリックアートイベントを企画・主催している。

開催日時: 10月27日(日) 午後2時から午後4時
会場: スティーブストン仏教会、またはZoom
参加費:$20

チケット購入リンク:https://linktr.ee/Orange_Cafe_Mitori ←こちらは、クレジットカードでのお支払いとなります。

) 他のお支払い方法 (E-Transfer、小切手)をご希望の方は、下記のお申し込みリンクからお申し込みください。追って、参加費お支払い方法の詳細をメールさせていただきます。

参加申込リンク: https://forms.gle/Khgc8MiYspBU9iNNA

申込締切:10月25日(金)

連絡先:orangecafevancouver@gmail.com

主催:日本語認知症サポート協会

後援:スティーブストン仏教会、一般社団法人日本看取り士会

メディアスポンサー:ふれいざー、日加トゥデイ

「おれんじカフェ de 看取りーと」特別ゲスト高山宙丸氏イベントのチケットプレゼント

日本語認知症サポート協会が主催「おれんじカフェ de 看取りーと」で特別ゲストに高山宙丸氏を迎えて開催される「いつか来る「死」を見つめて~誰にでも訪れるその瞬間~」のチケットを2名にプレゼントいたします。

日時は 10月27日(日) 午後2時から午後4時、会場はスティーブストン仏教会、またはZoomとなります。

チケットご希望の方は10月14日までに、「おれんじカフェ de 看取りーと」希望と件名を明記の上、お名前と連絡先を記載して、promo@japancanadatoday.ca までご応募ください。締め切りは10月17日(木)とさせていただきます。

Danoneヨーグルト、リコール

 Danone Canadaが主力ブランドヨーグルトKirkland Signature Probiotic Yogurtのリコールを発表した。対象商品は2024年9月3日から19日までCostcoで販売されていた1個100グラムが24個パッケージされた商品で、CostcoID番号は1264134。

 発表によると、対象商品に含まれている酵母の一種が体調不良を引き起こす可能性があるという。ただ声明では「この酵母は冷蔵温度では成長しないことが知られているため、食品安全のリスクは低い」としている。

 対象商品の消費期限は、2024年10月18日、10月20日、10月22日。

 対象商品を購入している場合は、食べないよう注意喚起している。Costcoでは対象商品の返金に応じている。詳しくはウェブサイトを参照。

(記事 編集部)

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「縁」が重なって実現したバンクーバー・矢野アカデミー30周年を迎えて、矢野修三さんインタビュー(前編)

矢野アカデミー校長・矢野修三さん。2024年8月20日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito
矢野アカデミー校長・矢野修三さん。2024年8月20日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito

 矢野アカデミーが2024年9月に開講30周年を迎えた。バンクーバーで日本語を母国語としない大人を対象に日本語を教える先駆者として活躍する矢野アカデミー校長、矢野修三さんに話を聞いた。

「縁」が重なって実現したバンクーバーでの矢野アカデミー開講

 矢野アカデミーを開講したのは1994年9月。場所はバンクーバー・ガスタウン。観光スポット蒸気時計の近くで、知り合いを通して借りた部屋で「矢野アカデミー」が始まった。

 日本では日本語教師はおろか教員免許すら持っていなかったと笑う。きっかけはつくば博。1985年に茨城県つくば市で開催された国際科学技術博覧会に、当時勤めていた会社のプロジェクトチームの一員として参加した。準備から開催期間も含めて約1年。万博と言えば海外パビリオンも多く、そうした関係者には日本語がある程度できる人が派遣されていた。そうした中で「『日本語を教えてください』って多くの人に声をかけられたんですよ」と振り返る。

 これが矢野アカデミーinバンクーバーの最初の「縁」だった。

 つくば博が終了し、仕事は通常業務に戻った。そんな時、転勤の可能性が出てきたため、家族の事情も考慮して、「脱サラをしようかな」と密かに考えていたという。その時にひらめいたのがつくば博での体験。「万博で外国の人に日本語を教えてほしいって言われたのが頭に残っていたから、いまとなってはそれが日本語教師になろうと思ったきっかけかな」と話す。

 しかし終身雇用が当たり前の当時、脱サラには勇気がいった。「自分としてもすごい決心でしたね。ちょうど42歳。男の厄年です」と笑う。

 会社を退職後に父親も一緒に横浜に引っ越し、日本語教師養成講座を受講。会社員時代とは違い、時間に余裕がある生活の中で出合ったのがバンクーバーへの2つ目の「縁」だった。

 たまたま入ったピザ屋で食事をしていた外国人に声をかけた。「同じような世代の外国の人に声をかけたんですよ。自分は日本語教師になるための勉強もしていて、そのための英語の勉強もしていたから、英語で話しかけてみたんです。『どこから来たの?』って感じに」と思い出し笑い。すると「相手はこっちの英語が下手だと分かって優しく話しかけてくれたんですよ。それで会話が弾んで、どこに住んでいるのか聞いたら、すごい近所!奥さんの仕事の関係で家族で1年間だけ横浜に滞在していることが分かったんです」。しかも同年代の子どもがいて、彼自身は英語を教えているという。この彼がカナダ人だった。「ほんとこれが運命の出会いなんですよ。彼に会ってなければ、私のカナダ移住もなかったですね」

「ピザ屋で彼に会っていなければ、バンクーバーに行こうとは思わなかったですね」と振り返る矢野修三さん。2024年8月20日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito
「ピザ屋で彼に会っていなければ、バンクーバーに行こうとは思わなかったですね」と振り返る矢野修三さん。2024年8月20日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito

 それから家族ぐるみの付き合いが始まった。一緒に旅行にも行った。彼ら家族がカナダに帰った後も手紙のやりとりは続いていた。そんな時「カナダに行ってみようかっていうことになって。1988年、家族でカナダに会いに行ったんです」。当時友人家族はデルタ市に住んでいた。その時の印象が忘れられないという。「空港に着いた時、8月なのに、なにこのさわやかさ!って思って。その友人が空港まで迎えに来てくれてデルタの自宅に泊めてくれたんです。大きな裏庭があって豪邸に見えてね。いいところだなぁっと」。当時は物価も安く、カナダの銀行の利子は高いという時代と振り返る。「移住しようかなぁと芽生えましたね。でも、本当にできるとは思ってもいませんでしたけど」

 それでもバンクーバーにすでに移住している人に滞在中に色々と話を聞いた。すると「簡単、簡単なんて言われて。カナダ大使館に聞いたらいいよ」とアドバイスを受けた。早速帰国後カナダ大使館に問い合わせて、起業家移民という移住制度があることを知って、「じゃあちょっとやってみるかと考え始めましたね。正式に始めようと思ったのは1989年くらい」。すぐに申請したが、面接までいったにもかかわらずビザ発給とはならなかった。カナダ大使館からは政策が変わったためと説明され、再申請し1993年無事に移住が決まった。そして、1994年8月8日、「末広がりの吉日」にバンクーバーに降り立った。

 「いま思えば」と前置きして、「85年のつくば博の最終日に会場に『来年はバンクーバーで会いましょう』とあったんですよ。86年と言えばバンクーバーEXPO(バンクーバー国際交通博覧会86)。その時はバンクーバーなんて知らなかったけど、振り返ると『赤い糸』があったのかなと思います」と笑った。

「優しく、楽しくをモットーに」矢野アカデミー30周年、矢野修三さんインタビュー(後編)に続く

(取材 三島直美/写真 斉藤光一)

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20 ☆「雨雲」と「雨男」の違いは・・・?

日本語教師  矢野修三

 中秋の候、木の葉も色づき、日に日に目を楽しませてくれる。でも、「Rainクーバー」と揶揄されるバンクーバーは間もなく雨期がやってくる。毎日、雨、雨。気持ちも湿りがちでうんざりだが、雨は日本語教師にとっても、手ごわくてうんざり。この「雨」、漢字はやさしいが、読み方がいろいろ変化するので、生徒は大変だし、教師も説明に大変。

 先ずは連濁現象。「鼻」+「血」が連なって一つの単語「鼻血」になると、後ろの「血」が濁り、「はな+ぢ」となる現象。「青空」は「あお+ぞら」になる。すると、「雨空」は当然「あめ+ぞら」に・・・。うーん。でも正しくは「あまぞら」。なぜ「あめ」が「あま」に・・・。ややこしい。

 さらに、「大雨」は「おおあめ」だが、「小雨」は「こあめ」でも「こあま」でもなく、ナント「こさめ」である。えー、なぜ、生徒の悲鳴が聞こえてくる。

 確かに、この「雨」は日本語教師として手ごわく、生徒の戸惑いもよく分る。でも、こんなこと日本人はほとんど意識したことない。母語として、子供のころから「雨雲」は「あまぐも」、「雨戸」は「あまど」、さらに「春雨」は「はるさめ」などと聞き習ってきた。慣れや言いやすさもあり、なぜ「あめ」が「あま」や「さめ」になるのかなどほとんど考えたこともないのでは・・・。

 かなり昔、上級者に「雨(あま)宿り」の話をしたら、バンクーバーでは、雨宿りなどする人はほとんどいないとのこと。確かに、傘なしで歩いている人多し。加えて、「雨男」って、おもしろい表現ですが、読み方はなぜ「あま男」ではなくて「あめ男」なんですか、と思いもよらぬ質問を受けて、びっくり。うーん、困った思い出がある。

 話し言葉における音声変化は、日本語だけでなく、どこの言語にも必ずあるはず。たとえば、英語の「want to」が「wanna ワナ」に、Why? 特にフランス語は言語として、長い、かなり込み入った歴史も絡んで、音声変化はとても複雑なようである。

 会話における音声変化には一応ルールはあるが、例外も多々あり、複雑で、いちいち生徒に説明などする必要はなく、「発音のしやすさ」が一番大事、と教えるようにした。

 これは日本で一番古いとされている「なぞなぞ」で、「母には二度会うが、父には一度も会わない、なーんだ?」である。答えは「くちびる」。理由は、平安、室町時代ごろの「母」の発音は、「ふぁ ふぁ」だったようで、上と下の唇が二度触れ合うが、「父」の発音は「ち ち」で唇は一度も合わない。なるほど、面白い。でも、江戸中期以降から、発音は「は は」になり、もはや意味が分からない「なぞなぞ」になってしまった。

 このように言葉の発音はその時代、時代の人たちの言いやすさが最優先であり、時代とともに変化するのは当然。生徒には、「あまぐも」や「あめおとこ」の発音が現代の日本人にとって、言いやすいからが理由。あまり気にせず、ぜひ慣れ親しんで、と説明ではなく、エールを送っている。ひょっとすると、100年後には、「雨雲」や「雨男」の読み方も変わっているかも・・・。

 この連濁に関してはこんな質問も。「豆腐汁」は「豆腐+じる」なのに、どうして「味噌汁」は「味噌+じる」と濁らないのか・・・。えー、衝撃ではなく、笑撃を受けた。でも落ち着いて、日本人には「みそじる」は言いにくいし、まずそうに聞こえるからね。 That’s all.

「ことばの交差点」
日本語を楽しく深掘りする矢野修三さんのコラム。日常の何気ない言葉遣いをカナダから考察。日本語を学ぶ外国人の視点に日本語教師として感心しながら日本語を共に学びます。第1回からのコラムはこちら

矢野修三(やの・しゅうぞう)
1994年 バンクーバーに家族で移住(50歳)
YANO Academy(日本語学校)開校
2020年 教室を閉じる(26年間)
現在はオンライン講座を開講中(日本からも可)
・日本語教師養成講座(卒業生2900名)
・外から見る日本語講座(目からうろこの日本語)    
メール:yano@yanoacademy.ca
ホームページ:https://yanoacademy.ca

カナダでメンタルヘルスを考える – うつ病編(2)

 9月も半ばを過ぎ、気温が下がり、急に秋らしさが感じられるようになりました。これから日照時間が短くなっていきますから、メンタルヘルスの管理には気をつけていきましょう。前回のコラムではうつ病についてお話ししましたので、今回はその治療薬について詳しく見ていきたいと思います。

抗うつ薬の基本

 抗うつ薬は、作用機序によっていくつかのグループに分けられます。具体的にはセロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンという脳内の神経伝達物質を増やすことで、うつ病の症状を改善するのが主な役割です。

  • セロトニン:気分を安定させる役割を持ち、不安や落ち込みに影響を与えます。セロトニンが不足すると、不安感や抑うつ症状が現れることがあります。
  • ノルアドレナリン:意欲や気力、注意力、覚醒状態に関与しています。ノルアドレナリンが低下すると、意欲の低下や疲労感が生じることがあります。
  • ドーパミン:興味や楽しみを感じるために重要な物質です。ドーパミンが減少すると、興味や楽しみが薄れ、場合によっては運動機能にも影響を及ぼします。

 これらの神経伝達物質は、それぞれ異なる役割を果たしており、うつ病や不安障害の症状と深く関連しています。

抗うつ薬の種類

 抗うつ薬は、作用機序や化学構造をもとに、以下のようなグループに分けられます。

  1. 三環系抗うつ薬(例:amitryptyline、nortryptyline)
  2. 選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)(例:fluoxetine、paroxetine、citalopram, escitalopram, sertralineなど)
  3. セロトニンとノルアドレナリンの再取り込み阻害薬(SNRI)(例:venlafaxine、duloxetine)
  4. ノルアドレナリン作動性・特異的セロトニン作動性抗うつ薬(例:mirtazepine)
  5. ドーパミン再取り込み阻害薬(例:bupropion)

1.三環系抗うつ薬

 薬の化学構造に名前の由来する三環系抗うつ薬は、1950年代から臨床的に使用されてきました。これらの薬は、ノルアドレナリンやセロトニンなどの神経伝達物質に作用し、効果を発揮します。うつ病だけでなく、神経性疼痛や片頭痛予防、不安障害、睡眠障害にも用いられます。ただし、口渇、便秘、排尿困難といった副作用が強く、高齢者には特に注意が必要です。現在ではSSRIやSNRIなどの新しい抗うつ薬が主流ですが、他の薬が効果を示さなかった場合には、三環系抗うつ薬も重要な選択肢となります。

2.SSRI

 選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)は、現在最も広く使用されている抗うつ薬の一つです。比較的副作用が少なく、初めて抗うつ薬を使用する患者さんに多く処方されます。ただし、吐き気や下痢、性機能障害といった副作用が見られることがあります。

 特にfluoxetineは、1980年代にアメリカで「プロザック」という商品名で登場し、著明にうつ状態を改善したことから「ハッピーピル」と呼ばれるようになりました。副作用が少なく、他の抗うつ薬に比べて安全性が高いことで人気を集めました。その後sertralineやescitalopramのような新しいSSRIが登場し、幅広く使用されています。

3.SNRI

 Venlafaxine、duloxetineといったセロトニンとノルアドレナリンの再取り込み阻害薬(SNRI)は、SSRIと同様にセロトニンに作用しつつ、ノルアドレナリンにも働きかけるのが特徴です。これにより、うつ症状の改善に加え、神経性疼痛などの身体的な痛みにも効果を示します。副作用としては、吐き気や不眠が挙げられますが、痛みを伴ううつ病の患者さんにとっては有用な選択肢となります。

4.ノルアドレナリン作動性・特異的セロトニン作動性抗うつ薬

 ノルアドレナリンとセロトニンの働きを増強するmirtazepineは、特に睡眠障害を伴ううつ病に効果的です。鎮静作用が強めで、夜間の服用が推奨されます。ただし、体重増加や眠気といった副作用があるため、体重のモニタリングが重要です。

5.ドーパミン再取り込み阻害薬

 ドーパミン再取り込みを阻害することで効果を発揮するbupropionは、うつ病治療だけでなく禁煙補助薬としても使用されます。ドーパミンを増やすことで気分を改善しますが、性機能障害などの副作用が少ないのが特徴です。しかし、てんかん発作のリスクがあるため、高用量での使用やてんかん既往歴がある患者さんには注意が必要です。

患者さんに合わせた薬選び

 これらの薬には多くの選択肢がありますが、どの薬が最も効果的かは患者さんによって異なります。同じ抗うつ薬でも、ある患者さんには効果がある一方で、別の患者さんには効果を感じられないこともあります。また、副作用の感じ方も人それぞれです。そのため、医師は患者さんの症状や体質、家族の精神病歴などを考慮しながら慎重に薬を選びます。

服用の際の注意

 抗うつ薬は服用開始から効果を感じるまでに通常2~4週間ほどかかります。そのため、毎日規則正しく服用し、すぐに中止しないことが重要です。初期には副作用が強く出ることもあるため、通常は少量から始めて副作用がないか確認しながら徐々に増量します。効果が見られ、症状が安定したら、同じ量をしばらく続けます。うつ病の薬は、症状が安定した後に少しずつ減量することもありますが、場合によっては長期間にわたり服用を続けることもあります。

 急に薬をやめると、脳内の神経伝達物質のバランスが崩れ、身体や精神に影響を及ぼすことがあります。再発や離脱症状が出るリスクがあるため、自己判断で中止することは避けてください。薬の減量は、生活の安定した時期に医師の指導のもとで慎重に行う必要があります。

大切なのは焦らないこと

 うつ病の治療は時間がかかることが多いので、焦らず自分のペースで進めることが大切です。薬をやめることを目指すのではなく、薬の力でちょうど良い心の状態を保ちながら日常生活を支障なく続けることが重要です。

*薬や薬局に関する質問・疑問等があれば、いつでも編集部にご連絡ください。編集部連絡先: contact@japancanadatoday.ca

佐藤厚(さとう・あつし)
新潟県出身。薬剤師(日本・カナダ)。 2008年よりLondon Drugsで薬局薬剤師。国際渡航医学会の医療職認定を取得し、トラベルクリニック担当。 糖尿病指導士。禁煙指導士。現在、UBCのFlex PharmDプログラムの学生として、学位取得に励む日々を送っている。 趣味はテニスとスキー(腰痛と要相談)

全ての「また お薬の時間ですよ」はこちらからご覧いただけます。前身の「お薬の時間ですよ」はこちらから。

「いい旅 バンクーバー島 1」~投稿千景~

エドサトウ

 8月も半ばを過ぎて、少々涼しくなり、もう晩夏という感じである。この週末は雨模様の予報ではあるが、すでにバンクーバー島へ行くフェリーの予約を入れてチケットは買ってある。ドライバーの息子はコロナウィルスの時から、ホリデーを取っていない。ここは無理をしてでも行かねばなるまい。

 朝の8時半、土砂降りの雨のなか車に乗り出かければ、フレイザー河の下をくぐってているトンネルの中ほどは低く、結構な水たまりになっていた。ドライバーの息子が勢いよく通りぬければ、すごい水しぶきがトンネルの壁から跳ね返り、車のフロントガラスの視界が水しぶきで見えなくなるほどであった。

 しかし、前線が通り抜けたのか、フェリー乗り場に着くころには小雨となり、少々ホッとする。小雨ぱらつく中、フェリーはバンクーバー島の中ほどにあるナナイモ市に向けて、ゆっくりと動きだす。

 ナナイモは、割と雨の少ないところだと、以前、泊まった宿の主人が言っていたことを僕は少々頼りにしていた。9時15分、ゆっくりと港を離れてゆく。僕たちは、キャフェテリアに行き昼食を兼ねて、朝食のトースト、スクランブルエッグ、ハッシュドポテト、ソーセージのトラディショナルブレックファーストとコーヒーを注文した。料金は20ドルぐらいであったが、ボリュームもあり、おいしかった。

 朝食兼昼食を済ませて、少しゆったりとしたラウンジの柔らかいシートに座って外を見れば、雨もやみ、空が明るくなっている。朝の土砂降りの雨は、すっかりと止み、いい旅になりそうである。

 ナナイモの港に昼前に到着。太陽が照り始めた高速道路を最初の目的地パークスビルを目指して、我らの少々古いホンダシビックスポーツは快調に走る。出発前にエンジンオイルがエンジンからわずかに滲みでてオイル焼の臭いがするのでエンジンのガスケットなどを交換してもらい、少々お金がかかったが凄く調子がいい。

 この先のキャンプ場や宿の様子などを知りたいのでパークスビルの街の手前にある旅のインフォメーションセンターに寄るが、土曜日と日曜日は休みとある。それで、すぐ隣に新しくできた郷土歴史博物館があり、古い昔の建物が復元されて、いくつも建っていた。それによれば、この辺りは1866年頃、つまり江戸時代末期に英国のコロニー(植民地)となり、材木の切り出しが行われていたようである。当時の船は多くが木製であったから、バンクーバー島の大きなイエローシイダ(日本のヒノキに似る)が水に強く腐りにくいので船の船体を作るのに良く、ここで切り出されて製材されたものが、アメリカや英国に輸出されたのかもしれない。

 そのためか、早くに鉄道も敷かれて、ナナイモの港まで材木が運ばれたのかと想像される。その昔、ネイティブ(先住民)の人々しか住まない小さな集落の近くに白人の人々が住み、食料や鉄の道具を売る店もでき、学校ができて、次第にパークスビルの街も大きくなっていったようである。

 丸太を四角く切り、それを積み上げて壁を作り屋根を作り、風が入らないように丸太の間にはしっくいなどを詰める。小さな室内には窓とドアがあり、ドアの近くに四角いキッチンストーブがあり、料理と部屋の暖房が出来る様になっている。その横に小さなテーブルがあり、食事ができる。さらにその横に壁に沿ってベッドが置かれてあるが、トイレとシャワーはない。たぶんトイレは外にあったのかもしれない。シャワーはないから、ストーブで沸かした熱いお湯で身体を拭くぐらいであったのかもしれない。

 週末には、お湯で身体を拭いて近くの教会へ行ったのかもしれない。食料は自分達の畑で作り、ほとんど自給自足であったのであろう。近くの海でサーモンはとれるし、山に行けば、鹿や熊の肉がハンティング(狩猟)できたのであろう。

投稿千景
視点を変えると見え方が変わる。エドサトウさん独特の視点で世界を切り取る連載コラム「投稿千景」。
これまでの当サイトでの「投稿千景」はこちらからご覧いただけます。
https://www.japancanadatoday.ca/category/column/post-ed-sato/

「仲秋*河辺のキャットテール」

カナダde着物

第63話 
*初秋に単衣の着物*

 秋らしい澄んだ夜空と真ん丸な満月を想像させる幻想的な「仲秋」(*1)は、カナダの9月にとても合う季語に思いますが、日本では気温が高過ぎて、その情緒が感じられないと日本に住む友人が呟いておりました。

「Dinosaurs (Great Blue Herons)」Manto Artworks
「Dinosaurs (Great Blue Herons)」Manto Artworks

 カナダでは、この時期に見える月を、ハーベストムーンと呼ぶそうです。
 河辺で見かける、ふっくらとした茶色の植物キャットテールは、かつて農民たちが付き明かりを頼りに収穫していた頃を想像させてくれます。

 フレーザー川沿いを歩ける遊歩道が各所にありますので、初秋を感じながらお散歩もいいですね。

「Cattail 、月とウサギ」コナともこ
「Cattail 、月とウサギ」コナともこ

*今日の着物*Today’s Kimono

「初秋に単衣の着物」

 単衣(ひとえ)の着物は、裏地のない一枚仕立てで、6月と9月に着ることが多いです。
 破れやすい個所に「居敷当(いしきあ)て」(*2)などを施してあるものもあります。

「単衣の色無地着物、鴛鴦 青灰色 お太鼓柄名古屋帯」コナともこ
「単衣の色無地着物、鴛鴦 青灰色 お太鼓柄名古屋帯」コナともこ

 友人の呉服屋さんは、仕事では1年中単衣で過ごしているそうです。
 確かに店内は暖房で暖かく、動き周っていたら、それは暑いでしょう。

 着物はPTOに合わせて、臨機応変に対応するのがポイントですね。

「単衣の小紋着物と辻が華の名古屋帯」コナともこ
「単衣の小紋着物と辻が華の名古屋帯」コナともこ

「ドラマSHOGUN将軍*エミー賞2024作品賞の他、多数を受賞!」

 カナダBC州で撮影されたドラマ「SHOGUN将軍」が、ついに念願のエミー賞を受賞しました。
 俳優の皆さま、撮影に関係された皆さま、本当におめでとうございます!

 歴史に残る素晴らしい快挙であり、カナダ在住の日本人にとりましても、大変に名誉なことだと思います。

 「日本の文化を正しく世界に紹介したい」という想いを強く持ち、作品の主演及びプロデューサーを担当された真田広之さんは、エミー賞の壇上で日本語でもスピーチをされました。

 「これまで時代劇を継承して支えてきてくださった全ての方々、そして監督や諸先生方に心より御礼申し上げます。あなた方から受け継いだ情熱と夢は、海を渡り国境を越えました!」

 多くの撮影に関わった日本人の皆さん、そして、真田さんの20年間の北米での苦労や努力が報われた日だったのではないでしょうか。

 日本に住む日本人や海外に暮らす日本人は、今までのハリウッド作品の中で日本文化が出るたびに「どうして、こうなるのか」と残念な気持ちになることがあったかと思います。

 私もお寺で日本文化を継承する活動をする上で、何度かステレオタイプや偏見に悩まされたことがありました。

 ある7歳のお嬢さんの七五三参りと写真撮影の時に「どうして、うちの娘は芸者の格好をするのか」と真面目に質問をするお父さんがいました。
 その想像する「GEISHA」というものが、どのようなものなのか…。たぶん、いかがわしいイメージの上でのその質問だったかと思います。

 他にも「結婚式に招待された時に、着物は相応しくない。主役より目立ってしまうから」というご意見もありました。

 着物の種類の中には、目立つためのものでなく、その場にふさわしい謙遜や尊敬を表すものもあります。
 もちろん、着て行かれる方が納得され、お好きな装いや着物で行かれるのが一番の正解かと思います。

 エミー賞の話しに戻りますが、今回の受賞や作品の報道は、日本や世界中に配信され、とても注目を浴びたと思われます。

 文化は時代や人々の想いで作り上げられてきましたから、今までの伝統や文化を継承し続けながら、これからも新しいものが世に出てくるかも知れません。

 まさに「故きを温ねて新しきを知る(ふるきをたずねてあたらしきをしる)」(*3)でしょうか。
 メディアで次の制作が発表された、シーズン2も楽しみですネ!

「衣裳部で働いていた筆者とトロフィー。Shogun Emmy Award Viewing Partyにて。作品に関わった俳優陣とクルーが集まりました」コナともこ
「衣裳部で働いていた筆者とトロフィー。Shogun Emmy Award Viewing Partyにて。作品に関わった俳優陣とクルーが集まりました」コナともこ

参照
日本の行事・暦:http://koyomigyouji.com/index.html
きもの大辞典:https://www.someoriren.jp/dictionary/index.htm
家庭画報.com:https://www.kateigaho.com/article/detail/165406
VOGUE JAPAN MAGAZINE:ドラマ「SHOGUN 将軍」、エミー賞2024で作品賞を受賞!

*言葉*

*1)仲秋(ちゅうしゅう)
「仲秋」とは、旧暦の8月を指す言葉です。 現在の新暦においては9月7日前後の白露から10月7日前後にある二十四節気「寒露」の前日までの1か月間が「仲秋」です。 読み方は「ちゅうしゅう」ですが、昔は「ちゅうじゅう」と呼ばれていたこともありました。秋の半ば頃を指す言葉であり、虫の声もより一層響き渡り、月も輝いて見える風情溢れる時期を表現する言葉なんですね。(語彙力com)

*2)居敷当(いしきあ)て
居敷当てとは、着物や長襦袢の後ろ身頃、腰辺りに付ける白い当て布のことです。 居敷当ては、単衣(ひとえ)や絽、浴衣などの夏物にだけ使用します。(https://kimono-rentalier.jp/column/kimono/ishikiatetoha/)

*3)故きを温ねて新しきを知る(ふるきをたずねてあたらしきをしる)
古いことを調べて、新しい知識や意義を再発見するという意味。(https://proverb-encyclopedia.com/hurukiwotazunete/)

「着物語り」
コナともこさんが着物の魅力をバンクーバーから発信する連載コラム。毎月四季折々の着物やカナダで楽しむ着こなしなどを紹介します。
2020年8月から連載開始。第1回からのコラムはこちらから

「カナダde着物 日系センター夏祭り2023にて Kona Tomoko」コナともこ
「カナダde着物 日系センター夏祭り2023にて Kona Tomoko」コナともこ

コナともこ
アラフィフの自称着物愛好家。日本文化の伝道師に憧れ日々お稽古に励んでおります。
13年前からコキットラム市の東漸寺で「和の学校」を主宰。日本文化を親子で学び継承する活動をしております。

年間を通じて季節の行事に加え、お寺での初参り、七五三祝い、十歳祝い、元服祝い、二十歳祝い、結婚式、生前葬、お葬式などの設えと装いのお手伝いもさせていただいております。

*詳しくはコナともこ までお問い合わせ下さい。tands410@gmail.com
東漸寺は非営利団体で、和の学校の収益は東漸寺の活動やお寺の維持の為に使われています。

カナダ人の夫+社会人と大学生の3人娘がおり、バンクーバー近郊在住。

和の学校ホームページ https://wanogakkou.jimdofree.com/
インスタグラム https://www.instagram.com/wa_no_gakkou_tozenji/
フェイスブック https://www.facebook.com/profile.php?id=100069272582016

東漸寺Tozenji Temple https://tozenjibc.ca/

コナともこ
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「東漸寺🌸春🌸2024」Manto Artworks
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