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第53回スーパーレディースゴルフ大会開催

第53回スーパーレディースゴルフ参加者全員で。2024年9月19日、バンクーバー市。写真提供 塩入勝子さん
第53回スーパーレディースゴルフ参加者全員で。2024年9月19日、バンクーバー市。写真提供 塩入勝子さん

 毎年恒例スーパーレディースゴルフ大会が9月19日、バンクーバー市University Golf Courseで開催された。日頃の練習の成果を発揮する女性ゴルファーが集まるこの大会は今年で53回を数える。

 始まりは1988年。「ルールなど学びながら楽しくゴルフをうまくなりましょう」と塩入勝子さんが日系の女性ゴルファーに声を掛けて始まった。年に1回以上開催していた年もあり、今年で36年目となる。

 今年は15人が参加。この日のために練習した女性ゴルファーたちが腕を競った。優勝は石倉ひとみさん。優勝トロフィ、賞金、賞品の松茸を受け取った。チームでは、石倉さん、丸さん、Coさん、Minatoさんが優勝した。

 塩入勝子さんは始めた当初は日系女性の親睦のための大会だったが、最近は「ゴルフを愛する女性ゴルファーの親睦を深める大会となっていて、ますます楽しい大会になっています」と言う。プレー後の懇親会ではこの日のプレーを楽しく反省しながら「来年はがんばるぞーともう来年に向けて気合十分でした。来年もできたら続けたいと思います」と話した。

第53回スーパーレディースゴルフ大会結果

Net
優勝 Hitomi Ishikura 74
2位 Seri Nagai 74
3位 Miho Maru 75

Gross
優勝 Ruby Chen 86
2位 Emma Co 86
3位 Hitomi Ishikura 87

左から、3位の丸さん、優勝の石倉さん、2位長井さん。2024年9月19日、バンクーバー市。写真提供 塩入勝子さん
左から、3位の丸さん、優勝の石倉さん、2位長井さん。2024年9月19日、バンクーバー市。写真提供 塩入勝子さん

(記事 編集部)

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カナダのジャズ事始め 音楽の楽園〜もう一つのカナダ 第28回

はじめに

 日加関係を応援頂いている皆さま、音楽ファンの皆さま、こんにちは。

 感謝祭も過ぎて、10月も中旬になると晩秋です。オタワに長く住んでいる人々からは「地球温暖化で近年は、昔のように寒くはないよ」という声も聞きますが、紅葉は深まり、落葉が風に舞い、朝夕は氷点下に迫る日もあります。オタワの街もゆるりと冬支度を始めています。

 そして、街には様々な音楽が溢れています。都会の要素と自然が溶け合うオタワは、実はジャズが似合う街です。

 歴史を紐解けば、ジャズ黎明期で未だジャズという言葉が定着する以前から、オタワ出身のブラウン・ブラザーズはボードヴィル・バンドで人気を博しました。ボートヴィルはコメディー・寸劇とダンスと音楽が合体した娯楽でした。その音楽はジャズ的な要素を持ったものでした。ボードヴィルとジャズには切っても切れない絆があると言えます。ブラウン・ブラザーズは、オタワではかつてダウンタウンに在ったベネット劇場を拠点に活動しつつ、カナダ各地で公演し、米国に進出しています。

 考えてみれば、カナダは鍵盤の帝王の異名を持つオスカー・ピーターソンを生み出しました。「クールの誕生」や「スケッチ・オブ・スペイン」等ジャズの歴史に刻まれるマイルス・デイビスの代表作を編曲し実質的に共同制作したギル・エバンスもカナダ出身です。実は、デューク・エリントン楽団は、200回を超えるカナダ公演を行っていました。エリントン御大は、カナダにおけるジャズは、米国の亜流ではなく、確固としたオリジナリティーを持って発展している旨述べています。

 という訳で、今回の「音楽の楽園」は、カナダにおける「ジャズ事始め」です。

ジャズの誕生

 ジャズという音楽の原型は、19世紀末、米国ルイジアナ州ニューオリンズにて生まれたというのが定説です。西アフリカの大地の音楽、欧州の教会音楽、奴隷の労働歌、黒人霊歌、ブルースが混じり合って徐々に出来上がったのです。ジャズの誕生には、特にクリオールと称される白人と黒人の混血の人々が大きな役割を果たしました。若干の解説をすれば、ニューオリンズは当時の米国で最もヨーロッパ的な街で、綿花の積み出し港として栄えていました。ヨーロッパ系白人男性が多く居住し、地元の黒人女性との間で生まれた混血児クリオールの中には高等教育を受ける者もいました。中には、正規の音楽教育を受け、ピアノや管楽器を見事に弾ける者もいました。彼らは、黒人的なリズムや旋律を取り入れて独自の音楽を発展させて行きます。因みに、1894年のルイジアナ州法でクリオールも黒人に分類されたことも、ジャズの発展にインパクトをもったと言われています。

 そんなジャズ創世記の1914年、ニューオリンズでザ・オリジナル・クリオール・オーケストラ(以下、クリオール・バンド)という6人編成の楽団が誕生します。全員が黒人のミュージシャンです。リーダーは、最年長42歳のベース奏者ビル・ジョンソンです。彼こそ、コントラバスを弓ではなく指で弾くピチカート奏法で弾いたパイオニアです。リズムと和音の結節点としてのベースの最重要の役割は彼に由来するのです。クリオール・バンドのフロント陣は、25歳のコルネット奏者、フレディ・ケッパード。当時のニューオリンズで、コルネットの王者の1人と目されていました。かのルイ・アームストロングは13歳で少年院から出所したばかりで、ようやくコルネットを正式に習い始めたばかりで未だ全くの無名の頃です。名うてのミュージシャンが集うこの楽団は地元で評判となり、やがて、エンタテインメントの都ロサンゼルスへ出ます。そこで、アレクサンダー・パンテージスという興行主と出会い、クリオール・バンドは、歌手、ダンサー、コメディアンを加えて、鉄道に乗り北米大陸各地を巡業することになります。そして、故郷ニューオリンズから3,300キロも離れた大平原を訪れるのです。

カナダ史上初のジャズ・コンサート

 ビル・ジョンソン率いるクリオール・バンドは、1914年9月21日の月曜日、午後2時半過ぎ、マニトバ州の州都ウィニペグのダウンタウン、マーケット・ストリートとメイン・ストリートの角にあるパンテージス劇場の舞台に立ちます。これこそ、記録に残るカナダ史上初のジャズ・コンサートです。

 何故、ウィニペグだったのでしょうか?それは、地理的な要衝の地で、北米の鉄道網における米国中西部とカナダの平原州の結節点だったからです。人、モノ、カネ、そして情報が集まる街です。自ずと、エンタテインメントも発展します。因みに、この伝統は今にも繋がります。ゲス・フーやニール・ヤングはこの街から巣立ったのですから。

 翌9月22日付のウィニペグ・トリビューン紙は、このコンサートについて「奇妙な楽器を素晴らしい方法で演奏した」と報じています。何が奇妙な楽器だったのかは判然としませんが、クリオール・バンドは、米国南部のプランテーションで働く黒人の作業服姿で演奏しました。ボードヴィル・スタイルの公演でした。今とは違って、当時はSNSはおろかテレビもラジオも未だありません。漸く、エジソンの蓄音機が普及し始めた頃です。それまでには存在していなかった全く新しい音楽であるジャズの響きを初めて生で聴いたカナダの聴衆の反応はどんなものだったのでしょうか?

 クリオール・バンドの巡業は、ウィニペグで5回の公演をした後は、エドモントン、カルガリーと続きます。当時のカナダにとって最大の関心は第1次世界大戦です。未だ大英帝国の自治領でしたから、英国の参戦で自動的に参戦となりました。ドイツ軍の状況、フランス戦線、先陣を切るカナダ兵の英国での訓練などが詳しく報道されます。そんな中、新しく珍妙な音楽についての賛否論評も垣間見ることができます。

 1914年9月29日のエドモントン・ブレテン紙は「この日最大のヒットはクリオール・バンドだ。トロンボーン、コルネット、クラリネット、ヴァイオリン、マンドリン、そしてベースを演奏。“ケンタッキーの我が家”などの美しい旋律は見事だった。観客の心からの拍手がいつまでも続いた」と報じています。一方、同日のエドモントン・ジャーナル紙は酷く批判的で、「クリオール・バンドは、大きな喝采を浴びたが、要するに、雑音を奏でただけだった」と記しています。両紙の記事から、エドモントンの聴衆がクリオール・バンドの演奏を大いに喜んだことは間違いないようです。その斬新な音楽を如何に評するかは、ある意味、極めて主観的なものかもしれません。ですが、いつの世も頭の硬い保守派にとっては新しい音楽は雑音に聴こえるようです。映画「アマデウス」のモーツァルトと皇帝のやり取りを持ち出すまでもなく、時代の先を行く優れた音楽はいずれは広く受け入れられます。

 このオリジナル・クリオール・バンドは、その後も巡業を続けます。シアトルに引き続き、BC州バンクーバーとヴィクトリアでも公演し、更にサンフランシスコやロサンゼルスを巡り、ソルトレイク・シティーで千秋楽を迎えたのは1915年1月だったといいます。

カナダで録音された最初のジャズ・レコード

 20世紀初頭、モントリオールにはカナダの文化の真髄がありました。と言うのも、ケベック州の中心にして、フランス系住民が多数を占めているもののイギリス系住民も少なくなく、文化的にはフランスとイギリスの影響が融合し、独自の個性を発揮していました。また、経済・金融の中心であり、早くから製造業も発展していました。このような背景で、勃興間もないレコード制作産業の拠点となりました。

 国際的には、米国のコロンビア社やブランズウイック社、フランスのパテ社がレコード市場を席巻していました。しかし、カナダ人エミーユ・ベルリナーが興したベルリナー・グラモフォン社とその長男ハーバートが起業したコンポ社は、モントリオールで、地元の音楽家を起用してレコード制作を行っていました。1910年頃、カナダ初のレコーディング・スタジオがピール・ストリートに建設されました。

 ここに、ニューヨークの興行主ハリー・ヤークスという男が登場します。1920年、彼は、ブルーバード・オーケストラというジャズ楽団をモントリオールで編成します。ニューヨークから連れて来た音楽家も地元で雇った演奏家もいたようです。人気を博し、同年5月、べリュリー通りにブルーバード・カフェという店までオープンします。耳新しい音楽がモントリオールっ子を魅了したのです。

 そして、ブルーバード・オーケストラは、「Dance-O-Mania」という曲をベルリナー・グラモフォン社のスタジオで録音し、SP盤をリリースします。いわゆるディキシー・ランド風の明るいジャズです。コルネットやサックスに加え、バンジョーやヴァイオリンや鉄琴も入ってリズムと旋律とハーモニーが弾けます。YouTubeでも聴けます。これこそ、カナダで録音された初のジャズ・レコードです。

 モントリオールは、ジャズ創世記の熱量を今に伝えます。モントリオール・ジャズ祭は、世界最大のジャズ・フェスです(本コラム第12回参照)。

職業的ジャズ・ミュージシャンとなった最初のカナダ人

 時に、天は二物を与えることがあります。溢れる才能は、多彩に輝くのです。カナダ人初の職業ジャズ音楽家となったジョージ・パリスもそんな魅力的な人物です。

ジョージ・パリス
ジョージ・パリス

 不明な部分も少なくないのですが、ジョージは、自治領カナダ誕生の翌年である1868年、ノバスコシア州の田舎町トルーローに黒人の両親の下に生まれます。一家はその後はモントリオールに出て、そこで育ちます。ジョージは14歳で両親の下を去り、サーカス団に入り、北米各地を巡業して周ったといいます。

 ジョージ・パリスは、素晴らしい運動神経の持ち主で、スポーツ万能でした。100メートル走10秒25のパシフィック・ノースウエスト地区記録を持つ陸上選手にして、ラクロスでも活躍、ヘビー級のボクサーでもありました。その関係で、パリスは、サンフランシスコでは、1878年生まれのジャック・ジョンソンという若い選手のトレーナーを務めました。後に1908年、カナダ人の世界王者トミー・バーンズを破り、史上初の黒人の世界ヘビー級チャンピオンとなり、1915年まで防衛した伝説のボクシング選手です。

 トリビアですが、このジャック・ジョンソンは、人種差別に屈することなく己の才能を開花させた黒人の偉大な先達です。かのマイルス・デイビスは、彼の生涯を描いたドキュメンタリー映画のための音楽をつくり、彼に敬意を寄せて「A Tribute to Jack Johnson(邦題:ジャック・ジョンソン)」という音盤を1970年に録音しています。伝統的なジャズを電化し、ロックの要素を大胆に導入した名盤です。

 そんなジョージ・パリスは、バンクーバーに落ち着きます。RCMPの体育教官の職を得ています。が、サーカス出身で、芸能にも関心があるのです。1909年、世界王者となったジャック・ジョンソンが試合でバンクーバーにやって来ました。二人の再会です。そして、二人はボクシング試合と芸能を組み合わせた興行を各地で行います。ちょうどジャズ音楽が人々を惹きつけ始めた頃でした。ジョージは、人々がこの新しい音楽に熱狂する様を見ます。そこで、パリスは、若い頃サーカス団で伝授されたドラムの腕を改めて磨き直し、ドラム奏者となります。ボクシングで両手両脚を自在に駆使する運動能力が複数の太鼓やシンバル等を制御するドラムに共通したとの説もあります。

パトリシア・ホテル
パトリシア・ホテル

 そして、1917年10月、バンクーバーに、パトリシア・ホテルが開業します。そこには、キャバレーが設けられ、街の芸能の拠点になりましたが、そのインハウス楽団を率いたのが齢49歳のジョージ・パリスだったのです。パトリシア・ホテルは、勃興期のジャズの中心だったといいます。記録によれば、パリスは、アメリカ音楽家協会の第145支部に1919年から32年まで13 年間にわたってライセンス登録をしていました。一方、バンクーバー市年鑑には、パリスが職業を音楽家としていたのは1920年から22年までです。音楽以外のマルチな活動もしていた訳です。

 それでも、ジョージ・パリスは、カナダにおいて、ジャズで生計を立てた職業的音楽家の先駆けです。記録の残っているカナダで最初のプロのジャズ・ミュージシャンです。

結語

 何事にも始まりがあります。天地創造の物語には、古の出来事を想像する喜びに満ちています。若い国カナダで新しい音楽ジャズが根付いていく様子は、非常に興味深いものがあります。今般、執筆に当たっては、Mark Miller著「Such Melodious Racket」を参考にしました。

(了)

山野内勘二・在カナダ日本国大使館特命全権大使が届ける、カナダ音楽の連載コラム「音楽の楽園~もう一つのカナダ」は、第1回から以下よりご覧いただけます。

音楽の楽園~もう一つのカナダ

山野内勘二(やまのうち・かんじ)
2022年5月より第31代在カナダ日本国大使館特命全権大使
1984年外務省入省、総理大臣秘書官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、外務省経済局長、在ニューヨーク日本国総領事館総領事・大使などを歴任。1958年4月8日生まれ、長崎県出身

人生の一瞬一瞬の輝きを描くラブストーリー「We Live in Time」 (ジョン・クローリー監督)

Courtesy of TIFF
Courtesy of TIFF

 あっと言う間に秋がやって来ましたね!街で見かける木々の色づきは、夏とは違った美しさで見ているだけで心が癒される気がします。忙しい毎日にふと「きれいだなぁー」と心から思える瞬間を持てるのはこの季節ならではの幸せ。雨で葉っぱが散ってしまうまでの期間限定ですが出来るだけ足を止めて楽しもうと思っています。

 今回ご紹介するのはフローレンス・ピューとアンドリュー・ガーフィールドが共演するラブストーリー「We Live in Time」(ジョン・クローリー監督)。トロント国際映画祭(TIFF)でプレミア上映され、いよいよ劇場公開です。

あらすじ:思いがけない出来事がきっかけで知り合った、シェフのアルマット(フローレンス・ピュー)とシリアル会社に勤めるトバイアス(アンドリュー・ガーフィールド)。すぐに惹かれあった二人は共に時を過ごしながら、少しずつお互いの愛を育んでゆく。結婚し娘が生まれ仕事も充実していた二人だが、アルマットの病からある大きな決意をする。

TIFF上映の際に登場したアンドリュー・ガーフィールドとフローレンス・ピュー
TIFF上映の際に登場したアンドリュー・ガーフィールドとフローレンス・ピュー

 感想は一言、最高でした!ラブストーリーで主人公のアルマットが病を抱えるという筋書きは予告から知っていました。なのでよくある最後に泣かせる系の映画かなと観はじめたのですが、良い意味で期待を裏切り笑えるシーンもたくさんあり最後に温かい笑顔になれる映画でした(でも泣いたけど)。映像は別れで失うことの悲しさよりも、共に過ごす日々で得られることの美しさに焦点をあてています。そして人生の一瞬一瞬がいかに大切で輝いているのかに気づかせてくれもます。もちろん笑顔の日々ばかりではないけれど、いかに生きるかが大切なんだと。

 二人の演技とケミストリーがもう最高で感情移入もとても自然にできました。時間軸で追うのではなく過去の物語を何度も挟みながら進む構成も、二人のアルバムを見返していて、一枚一枚の写真のエピソードを話してもらっているような感じでとても効果的だったし。

 強く優しく自分の人生と家族にまっすぐ向き合うアルマットの眼、全ての感情を静かに表すトバイアスの眼差し(お前いい奴すぎ・・・泣)あぁ・・・もう笑えるところも泣けるところもたくさんの大満足な映画でした。

 バンクーバーではCineplex系で上映です。

Lalaのシネマワールド
映画に魅せられて

バンクーバー在住の映画・ドラマ好きライターLalaさんによる映画に関するコラム。
旬の映画や話題のドラマだけでなく、さまざまな作品を紹介します。第1回からはこちら

Lala(らら)
バンクーバー在住の映画・ドラマ好きライター
大好きな映画を観るためには広いカナダの西から東まで出かけます
良いストーリーには世界を豊にるす力があると信じてます
みなさん一緒に映画観ませんか!?

ホワイトキャップス、シーズン最終戦で7位以上を目指す

ホーム最終戦後のインタビューで。2024年10月13日、BCプレース。撮影 日加トゥデイ
ホーム最終戦後のインタビューで。2024年10月13日、BCプレース。撮影 日加トゥデイ

 バンクーバー・ホワイトキャップスは10月13日、ホームで今季のレギュラーシーズン最終戦を迎えた。BCプレースには3万人を超すファンが詰めかけ、大声援を送った。

10月13日(BCプレース:30,303)
バンクーバー・ホワイトキャップス 1-2 LAFC

開始早々に1点を先取されたホワイトキャップスだったが、前半はこれ以降LAFCの攻撃をシャットアウトして0-1で折り返した。後半に入ると反撃に転じる。63分にはBlackmon(DF)が合わせてゴールしたが、記録は相手のオウンゴールで同点に追いついた。その後も猛攻が続いたが追加点を奪えず、アディショナルタイムにゴールを許し、ホームで3連敗となった。

キャップスが負ける試合ではなかった

 Sartini監督は勝てなかったストレスを試合後の会見で隠そうとはしなかった。「フラストレーションがたまる試合だった」と振り返った。試合終了間際で与えた得点、何度も作った好機で決めきれなかったシュート、試合早々の失点、どれも納得がいかない様子だった。ただ、そのストレスは選手に対してというよりは自身へ向けたもののようだった。「今日はすごくいい試合だった。選手たちはよくやった。我々が負ける試合ではなかった」と語った。

 最初の失点は試合開始わずか1分。LAFCのBoguszが目の前にいたキャップスのUtvik(DF)をかわすように蹴り上げたボールはGK高丘の頭上を越え、ゆっくりとした弧を描いてネットのギリギリに吸い込まれた。高丘は「重要になる試合で、早い時間帯に失点してしまって、(1点目の)ところの判断は僕自身ももっとはっきりしないといけなかった」と振り返った。しかしその後の前半は何度も好セーブを見せ、最少失点に抑えた。

 後半はキャップスが怒涛の攻めを見せた。White(FW)は絶好のポジションから2度ヘッドで合わせたシュートを見せたがわずかに外れ、94分にはポールに当たった。監督はこの日の負けを「不運だった」とつぶやいたが、6人が国際試合出場のために抜けた中で高丘は「代わりに出た選手は非常にポジティブにプレーしていましたし、1点取られた後のチームのリアクションはすばらしかったですし、チャンスもいっぱいあったと思います」と前向きに捉えた。ただ、「決めて勝ち切っていく力をもうちょっと付けないといけないかなと思います」とも語った。

プレーオフではホームで勝利を

 この日は前試合から1週間あったが、それまで2週間で5試合というハードスケジュールをこなしてきた。その影響については、「多少はありますけど、シーズン中盤になってきたらそれはどのチームも同じなので、僕自身は今までも経験してきていることなのでうまく対応できているかなと思います」と疲れた様子は見せなかった。

 レギュラーシーズンは残り1試合。アウェイでレアル・ソルトレイクと対戦する。勝てば条件次第では7位以上に浮上する。今季はアウェイで勝ち越している。「なるべく上の順位で終わるってことが大事になってくるので、アウェイですけど勝ち点3を取れるように1週間良い準備をしたいと思います」

 この日は3万人のファンが詰めかけたホーム最終戦。「ファンはほんとにすばらしかったですし、特に後半の僕らが攻めている時の後押しというのは力になりました」。ただ、そんな中で勝てなかったのは残念だったが「プレーオフでまたホームでやれると思うので、ここに帰ってきて勝利をあげたいと思います」と語った。

MLSカップ・プレーオフ

 MLSカップを争うプレーオフは東西カンファレンスの上位9チーム、計18チームで行われる。各カンファレンス7位以上は2勝先取のラウンド1に自動的に進み、残り1チームは8位と9位のチームが対戦するワイルドカードの勝者となる。

 MLSレギュラーシーズン最終戦は10月19日。現在8位のホワイトキャップスはソルトレイクでレアル・ソルトレイクと対戦する。勝って、7位のミネソタ・ユナイテッドFCが負ければ7位以上が確定、負けるか引き分けならワイルドカードとなる。

(取材 三島直美)

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第17回 おひとりさまが終活をしないと、どうなる?! Pさんのケース 最終回~Let’s 海外終活~

終活は新しい大人のマナー

叶多範子

秋の気配が漂い始めたと思ったら、急に冬の気配もしてきました。特にバンクーバーの季節の移り変わりは少々気まぐれで、かなり肌寒い日もあり、気温の変化に戸惑う日々が続いています。

我が家の庭の家庭菜園も、そろそろ秋の収穫期の終わりを迎えようとしています。来年に向けて畑を休ませるための準備を始める時期となりました。夏の喧騒が徐々に落ち着き、屋内で過ごす時間が少しずつ増えてくるこれからの季節。ふと、こんな時期だからこそ、人生や将来について深く考える良い機会なのではないかと思いました。

さて、4回に渡りお届けしてきたこのPさんのお話も今回で最後となります。

QさんがPさんの死後、日本にいるPさんのご遺族のために尽力されたことは、細かい事柄まで書き出したら、キリがないためかなり省略してお伝えしてきましたが、結局、Qさんが相続やPさんに関連する全ての事柄を終えるのに、約2年半かかったそうです。

Qさん自身が仕事や子育てなどで忙しくなければ、もう少し早く終わったかもしれなませんが、大役をこなしたPさんは遺産の約5%を謝礼として受け取ったそうです。

Qさん自身の沢山の時間と労力を使ったので、謝礼があったのは喜ばしいことですが、「また同じことがあったら、引き受けますか?」という質問には、「おそらく無言で首を振られることでしょう。

このPさんの話で、多くの方に教訓になると思われることが2つあります:

1. 遺言などの法的書類の必要性
いざというときのための書類がないと、後を任される人が困難を極めます。

2. エンディングノートの必要性
使っているメールアドレス、利用しているサービス、葬儀やお墓などの希望がわからないと、コンパスなしで航海に出るようなもので、あちこち探したり推測しながら進めるしかないため、非常に難しい状況に陥ります。

これらの教訓を踏まえ、私たちは自分自身の「終活」について真剣に考える必要があります。突然の不幸は避けられないかもしれませんが、準備をすることで、残された人々の負担を軽減することができます。

もっと具体的には、以下の行動をお勧めします:

1. 遺言書や委任状の作成:法的に有効な遺言書を作成し、定期的に更新する。

2. エンディングノートの準備:重要な情報や希望をまとめたノートを作成し、信頼できる人に場所を知らせておく。

3. デジタル遺産の整理:オンラインアカウントやデジタル資産の管理方法を決めておく。

4. 保険や資産・負債の確認:生命保険や資産の状況を定期的に確認し、必要に応じて見直す。

5. 家族や友人との対話:自分の希望や考えを大切な人たちと共有しておく。

これらの準備は、決して楽で楽しいばかりの作業ではありませんが、自分自身と愛する人たちのために必要不可欠なことだと考えています。Qさんの経験から学び、私たち一人一人が責任を持って行動することで、残された人々の負担を軽減し、自分の人生を締めくくる準備をすることは、間違いなく価値あることだと言えるでしょう。

終活は、単なる人生の終わりへの準備ではなく、自分の人生を振り返り、大切な人たちへの最後の贈り物を用意する機会でもあります。もしもまだ始めていない方がいらっしゃれば、今日から少しずつでも取り組んでみることをお勧めします。

*このコラムは終活に関する一般的な知識や情報提供を目的とするものです。内容の正確さには努めておりますが、必要に応じてご自身で確認、または専門家へご相談ください。このコラムを元にして起きた不利益は免責とさせていただきます。

「Let’s海外終活~終活は新しい大人のマナー」の第1回からのコラムはこちらから。

叶多範子(かなだ・のりこ)

海外終活アドバイザー・弁護士アシスタント
「終活をせずに亡くなった!認知症になって困った!途方に暮れた!!」を、「終活しておいて良かった!」「終活してくれていて、ありがとう!」に変えたい!そんな思いから2020年に終活アドバイザー資格を取得。海外在住の日本人向けの「海外終活」についての講座や説明会、ご相談はブログやFacebookなどのSNSをご覧ください。家族はカナダ人の夫+息子2人+猫1匹、バンクーバー在住。

ブログ: https://globalmesen.com/
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著書「海外在住日本人のための50代からの終活」:​​https://a.co/d/ad4OeLw

「いい旅 バンクーバー島 3」~投稿千景~

エドサトウ

 コモックスのフェリー乗り場に8時過ぎに到着。ここから対岸の本土であるパウエルリバーの街に渡る予定である。このルートは初めてなので少々エキサイティングな旅である。フェリーは対岸から車を乗せて9時15分くらいに来た。思っていたより大きな船で、中には昨日と同じような大きさのカフェテリアがあり、また、同じような朝食を食べた。1時間ぐらいの船旅であるが、船の中で食事をするのは、ゆったりとして好きである。風は冷たいが、天気も良く、船から見る風景ものんびりとゆっくりと流れていく。

 このルートは、カナダに農業実習の研修を受けて一緒にカナダに来た僕らの副リーダーの年配のSさんが仕事をリタイヤした時のこの旅の印象が良かったか、彼は「佐藤君、機会があったら是非一度サンシャインコーストを回ってみるといいよ。」と勧められていた旅でもあった。

 その彼も、晩年は動物の絵を描くのを趣味とされていて、個展をされるほどの腕前であった。その彼が勧めてくれた旅の風景を見ながら、フェリーは島の間をゆるゆると静かに進んでゆく。

 パウエルリバーの港町は、かつては多くの日系人の漁師が、春になれば、ギルネットという二人乗りの小型船でアラスカ近くの海まで船団を組み、スティーブストンから鮭の漁業にやってくるのである。その北の町がパウエルリバーである。スティーブストンから、小船で20ノット(時速37㎞)でここパウエルリバーまでは、6~7時間ぐらい、ここで一息いれてさらに走りつづける。ギルネットは船のへさきのデッキの下には、バンクベッドがありキャビンから中に入れば、二人くらいが寝ることができる。交代で寝ずに北の漁場を目指すのであろう。そして、夏の終わりまで鮭とりが続くのである。海が時化(しけ)た時に白人の漁船が遭難、日本人があれる海で彼を救助したことがあったが、戦争中で日本人が表彰されることはなかったという話もある。

 パウエルリバーに一泊。6時に起きると、息子が荷物を入り口付近に、すでにまとめて出発の準備をしている。外は、やや激しい雨降り、コーヒーも飲まず急ぎ出発して、朝一番のフェリーでサンシャインコーストに渡り、さらに南の端でホウシューベイへ渡るフェリーに乗らねばならぬ。

 朝から激しい雨の中、小さめのフェリーはサンシャインコーストの北の港に到着。ここからは海の風景はおだやかで、ゆったりとした風景が、かつての印象であったが、今日は雨も強く止む気配もないので、僕たちは寄り道もすることなく、海岸線の国道を一気に走り抜けてゆくラリー競技の全輪駆動車のようである。僕の郷里愛知県にKさんというトヨタのラリードライバーがいて、世界中のラリー選手権にトヨタの車で走っている。一年前、帰国した折にも、地元と主宰の新しいラリーコースを走っていた。車好きの弟も「写真を撮りに行く。」と言っていた。

 バンクーバーでも、サンシャインコーストのラリー競技を企画してみるのも面白そうである。息子は、雨の中、カーブの多い山道のフリーウェイを走りぬけてゆく。僕はラリーのサイドドライバーのように雨の中「次はカーブだよ。スピードを落として!」と大きな声で注意するような口調で、恐怖に震えるがごとくわめくのである。まだ、朝で雨ではあったが、対向車はほとんどなく、快調に走り続ける。サンシャインコーストの南端のギブソンからホウシューベイに渡る最後のフェリーに乗る。かつては30台ぐらいしか乗れない小さな渡し船であったけれど、今は大きなフェリーが接岸できる大きな新しいフェリー乗り場に変わっていた。

 フェリーの待ち時間が1時間ぐらいあったが、自宅には12時過ぎに到着。雨の中、約6時間一気に駆け抜けての帰宅であったが、それはそれでラリーの感じがして面白かった。

 もう20年にもなるホンダシビック、故障もなく良く頑張った。ご苦労様!

 同じころ、日本の富士レースウェイでは、ホンダシビックが個人とチーム初優勝という快挙のニュースが飛び込んできた。こちらもおめでとう!

投稿千景
視点を変えると見え方が変わる。エドサトウさん独特の視点で世界を切り取る連載コラム「投稿千景」。
これまでの当サイトでの「投稿千景」はこちらからご覧いただけます。
https://www.japancanadatoday.ca/category/column/post-ed-sato/

BC州選挙、3大党首のテレビ討論会が行われる

The Legislative Assembly of British Columbia, Victoria, Canada.
ブリティッシュ・コロンビア州の州都ビクトリアにある州議事堂。

 州議会議員選挙を控えたブリティッシュ・コロンビア(BC)州では10月8日、3大政党の党首によるテレビ討論会が行われた。

 BC新民主党(NDP)のデイビッド・イービー党首は冒頭、いま州民に必要なのはサービス削減ではなく支援だとし、中間所得層の減税や手頃な料金のチャイルドケア、車両保険減額などをあげた。一方で、BC保守党ジョン・ラスタッド党首を、ワクチンや気候変動の反対派であり、現実的でない公約を掲げていると非難した。

 これに対しラスタッド党首は、7年続いたNDP政権がホームレスによるテント・シティ問題や犯罪の増加、住宅やヘルスケア問題を招いたうえ、プラスティック製ストローを使うことすらできない状況に陥らせたと攻撃した。

 BCグリーン党ソニア・ファーステノー党首は、両党ともに長期的なビジョンが欠けているとし、グリーン党だけが人々に希望を示していると主張した。

 鍵となる住宅問題については、イービー党首は投資・空き家税や短期住宅レンタルの規制といったこれまでの政策を強調し、より手頃な賃貸住宅の増加に繋がっているとした。これに対しラスタッド党首は、NDP政権は外国人や投資家などに責任を押し付けているだけで問題は政府自体にあると指摘。時間のかかる住宅建設の手続きにメスを入れるとしている。ファーステノー党首は、両党とも家賃の抑制や非営利の賃貸住宅増加といった政策に充分に注力していないと述べた。

(記事 編集部)

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「My Dog is Dead」松永監督、千田監督、主演大石さんがバンクーバー国際映画祭2024来加

左から、大石奈央さん、松永侑監督、千田丈博監督。バンクーバー市内インタビュー会場で。2024年10月1日。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
左から、大石奈央さん、松永侑監督、千田丈博監督。バンクーバー市内インタビュー会場で。2024年10月1日。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 第43回バンクーバー国際映画祭(VIFF)が10月6日に幕を閉じた。毎年VIFFでは日本映画が多く上映され、今年は長短編合わせて9作品がバンクーバーの観客に披露された。

 カナダプレミアとなった作品も多く、9月29日と30日には「VIFF Short Forum」正式出品の「My Dog is Dead」がワールドプレミアとして上映された。

 上映に合わせて、松永侑さんと千田丈博さんの両監督と主演の大石奈央さんが来加、上映後のQ&Aセッションにも参加した。10月1日にはバンクーバー市内で日加トゥデイのインタビューに応じ、映画制作への思いを語った。

愛犬を失った喪失感と共感のずれ

短編映画「My Dog is Dead」より。Photo courtesy of VIFF
短編映画「My Dog is Dead」より。Photo courtesy of VIFF

 「My Dog is Dead」は9分間の短編映画。愛犬を亡くしたリコと、犬を飼ったことがない彼氏ヨシキの感情のずれを描いた物語。

 映像ディレクターとして活躍する松永さんと、企業VPディレクターとして活動する千田さんの共同監督作品で、主人公リコを演じたのは俳優の大石さん、リコの恋人ヨシキ役にはSANOKAN PRODUCEを主宰する佐野寛大さんがキャスティングされている。

 映画では、リコとヨシキの感情のすれ違いがパーキングエリアでの会話や車内の無言のシーンを通じて表現される。犬を亡くし喪失感を覚えるリコと、その悲しみを理解できないヨシキの距離感が、日常の中に潜む「共感の難しさ」を表しながらも、ユーモアを交えて描かれている。

 上映後のQ&Aセッションでは、司会者や観客から映画のテーマについて質問が投げかけられた。

上映会後のQ&Aセッションの様子。バンクーバー市VIFF上映会場で。2024年9月30日。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
上映会後のQ&Aセッションの様子。バンクーバー市VIFF上映会場で。2024年9月30日。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 松永監督は「まず見て欲しいのが、犬の葬式なのに正装をしているリコと、その後ろにカジュアルな服装を着ている人たちで、主人公と家族のギャップを描こうと思いました」と語った。リコが犬の死を悲しむ様子と普段着でその場にいる家族やヨシキとの対比は、リコと周囲との感情の違いを象徴的に示している。

 映画制作に至った経緯について千田監督は「僕たちは(同志社)大学の映画サークル出身で約8年前から映画を一緒に作ってきました。大学を卒業して社会人になった後、もう一度(映画を)作ろうという話になって勢い任せに作った映画なので、それがこのようにバンクーバーで上映されてうれしいです」と語る。制作当初は、国際映画祭での上映が実現するとは思っていなかったという。

 観客からは、母親らと食卓を囲むシーンについても質問があった。唐揚げをうれしそうに頬張るヨシキの横で、リコが箸で唐揚げを机の下に忍ばせるシーンがある。この行動は子どもの頃に愛犬コッペに食べ物をあげていた記憶を思い起こさせるシーンだ。そこで、不思議なことが起きるのだが、「机の下に何かがあるのかもしれない」と想像してもらいたかったと話しながらも、実際の撮影時にはアシスタントディレクターが机の下で箸を折るという演出があったという裏話に会場からは笑いが起こった。

 撮影には、千田監督の家から持ち込まれた食器や実際に飼われていた犬の小屋などが使われ、細かな演出には日常のリアルが詰め込まれているという。観客からも「日本の食卓の様子や畳などから日本らしさを感じた」という声があがった。

松永監督、千田監督、大石さんインタビュー

Strange funnyな映画だ」

 3人ともカナダを訪れるのは初めてという。バンクーバー国際映画祭への正式出品作品に選ばれたときの驚きを「バンクーバーで上映されるなんて信じられなかった」と笑いながら語った。

 現地での評価について、関係者の間で「一つ変な映画がある」という声があがり、「次のシーンで起きるはずのないことが起きる“Strange funny”な映画だ」と注目されたという。

 「私たちにとっては当たり前のことが、現地の観客には文化的に新鮮で興味深いものだったと気付かされました」と大石さん。監督も「日本では響かなかった部分に評価をいただけてうれしい」と笑顔を見せた。

自然と生まれた絶妙なギャップとすれ違い

 この作品は松永・千田両監督それぞれの経験から生まれた。松永監督は新型コロナウイルス禍で祖父と愛犬を立て続けに亡くしたという。長らく会えないまま迎えた別れとその後の弔いへの葛藤がリコの物語に投影されている。「この気持ちをどう処理すればいいのだろう」というモヤモヤした感情が、映画制作の動機となった。

 偶然にも千田監督のパートナーも同じ時期に犬を亡くしていたが、千田監督自身は犬を飼った経験がないという。犬の死を通じてお互いの感情に興味が生まれ、映画制作へと進むことになったと話した。

 犬を飼ったことがない人は犬を亡くしたことへの悲しみは理解できるけれど、それがどれほどのものかは分からない。「共感しきれない感情や、人と人との関係性に興味が生まれて映画にしたいと思いました」と千田監督。

 短期間かつ少人数での制作だったため、撮影当日が出演者の顔合わせだったという裏話も明かした。

「楽しかった」という撮影現場の様子が分かる、(左から)大石さん、松永監督、千田監督のインタビュー。バンクーバー市内インタビュー会場で。2024年10月1日。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
「楽しかった」という撮影現場の様子が分かる、(左から)大石さん、松永監督、千田監督のインタビュー。バンクーバー市内インタビュー会場で。2024年10月1日。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 大石さんは松永・千田両監督も所属した同志社大学の自主制作映画サークルF.B.I.出身。撮影当日まで一度も顔を合わせていなかったにも関わらず、「監督たちへの強い信頼があったから自然と演じることができました」と振り返る。現場での即興演技やアドリブのシーンが多かったものの、自然な初対面の空気が作品のリアルな雰囲気に生かされた。

 また、リコとヨシキが話す言葉にもこだわりがある。リコと母親は関西弁を話すのに対し、ヨシキは標準語を使う。言葉の違いも二人の感情のズレを象徴的に見せる要素として描かれ、松永監督は「犬を飼ったことがある・ないというだけでなく、使っている言葉の違いなど小さな部分からも二人のギャップを表現できたのでは」と語る。

 大石さんは実際には犬を飼った経験がなく、リコを演じる上でその感情の理解や表現に苦労したという。しかし、松永監督と同じ時期に新型コロナ禍で祖母を亡くし、脚本を手に取った時に作品のテーマに共感を抱いた。「やっていて楽しさがあった」と振り返る様子からは、撮影当日のわくわくした空気が想像される。同志社大学時代からの信頼関係が、日常に溶け込む独特の世界観を生んだのだろう。

巡り合わせと偶然が生んだ作品

 他にもこだわりはあった。映画中の「音の変化」だ。

 実は制作前から他の国際映画祭の短編作品出品に向けて制作することが頭の片隅にあり、海外の映画祭は音が非常に重要なため、短期間の制作の中でも音の使い方は意識したという。

 「初めの雑踏のシーンで『ザワザワ』とした音から、映画の終わりにかけては徐々に静かになっていくんです」と話す。エンディングでは「映画が終わったというきっかけを預ける仕掛けがしたかった」という意図から、車が停車し、信号が変わるとともに発進するエンジン音で幕が閉じる。

 エンディングではリコとヨシキにセリフはなく、どこか不調和な雰囲気があるこのエンディングからは、「この後にもしかしたら何かが起きるかもしれない」という期待感やリコとヨシキのすれ違いとチグハグ感が、観客の心に余韻を残す。

 この作品の独特な世界観は、監督たちの実体験と偶然の出会いによって生まれた。予測できない展開とユーモアが交差しながらも、同時に心の奥にモヤモヤとした見えない感情を感じさせる。9分という短い中に詰め込まれたリアルな感情のズレと共感の難しさが、国境を超えカナダでも観客に強い印象を与えた。

同時期に同志社大学の自主制作映画サークルに在籍していたことがあるという(左から)大石さん、松永監督、千田監督。バンクーバー市内インタビュー会場で。2024年10月1日。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
同時期に同志社大学の自主制作映画サークルに在籍していたことがあるという(左から)大石さん、松永監督、千田監督。バンクーバー市内インタビュー会場で。2024年10月1日。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

(記事 田上 麻里亜/写真 斉藤光一)

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カナダ違法漁業監視船が初の日本寄港、ビクトリア母港の「サー・ウィルフリッド・ローリエ」 バンクーバーと姉妹港の横浜港に

サー・ウィルフリッド・ローリエの乗組員と見学者ら(2024年10月2日、横浜市で大塚圭一郎撮影)
サー・ウィルフリッド・ローリエの乗組員と見学者ら(2024年10月2日、横浜市で大塚圭一郎撮影)

 カナダ西部ブリティッシュ・コロンビア(BC)州ビクトリア港を母港とするカナダ沿岸警備隊の監視船「サー・ウィルフリッド・ローリエ」が横浜港に寄港し、10月2日に報道陣らに公開された。カナダの監視船が日本に入港したのは初めてとなり、横浜港はカナダの主要港となっているBC州バンクーバー港と姉妹港だという縁もある。北太平洋でサケやサンマ、サバなどの違法・無報告・無規制(IUU)漁業が問題化している中で、日本やアメリカなどと連携した水産資源と生態系の保護に向けた監視活動の一環として派遣された。カナダは、インド太平洋地域への関与を強化している。

フカヒレ目当ての密漁を確認

 乗組員が約50人のサー・ウィルフリッド・ローリエは2024年9月4日にビクトリア港を出発し、約7500キロ離れた横浜港に9月30日に入った。10月3日には横浜を出発し、ビクトリアへの帰路に向かった。

 カナダ漁業海洋省によると、北太平洋では1千隻を超える登録済みの漁船が操業している中で、登録していない船舶による料理用のフカヒレを目当てにしたサメの密漁などを確認した。関係国の当局者は「太平洋で確認されているIUU漁業は、中国の漁船による密漁が目立つ」と明らかにした。

横浜港に寄港したサー・ウィルフリッド・ローリエ(2024年10月2日、横浜市で大塚圭一郎撮影)
横浜港に寄港したサー・ウィルフリッド・ローリエ(2024年10月2日、横浜市で大塚圭一郎撮影)

 カナダの国旗をイメージさせる白色と赤色で船体を彩り、砕氷船でもあるサー・ウィルフリッド・ローリエは8代目首相から命名された。1986年に建造された船体は全長83メートル、全幅16・2メートルで、最高時速は15・5ノット(1ノット=1・852キロに相当)だ。

サー・ウィルフリッド・ローリエのリチャード・マリオット船長(2024年10月2日、横浜市で大塚圭一郎撮影)
サー・ウィルフリッド・ローリエのリチャード・マリオット船長(2024年10月2日、横浜市で大塚圭一郎撮影)

 船内を案内してくれたリチャード・マリオット船長は「もともとは旧型ディーゼル機関車と同じエンジンだったのを最近取り換え、代わりにバイオ燃料や再生可能燃料を混合した燃料を使える動力になった」と説明した。

 カナダで多く採れる菜種「キャノーラ」の油などを燃料に活用しており、カナダが2050年までに温室効果ガス排出量を正味ゼロにする「ネットゼロ」を目指す中で「沿岸警備隊で屈指のクリーンな船舶となった」と胸を張った。

船長が実感する「温暖化の影響」とは

 動力の更新に合わせ、乗組員が操船を指揮する高さ約14メートルの「船橋(せんきょう、ブリッジ)」のシステムも自動化された。このため船橋で見張りをする乗組員は2~3人にとどまり、触れるだけで操作できるタッチスクリーン画面をチェックしながら船の状況を確認する。

サー・ウィルフリッド・ローリエの船橋(せんきょう)。(2024年10月2日、横浜市で大塚圭一郎撮影)
サー・ウィルフリッド・ローリエの船橋(せんきょう)。(2024年10月2日、横浜市で大塚圭一郎撮影)

 ただ、マリオット船長は「砕氷をしながら進む場面では、私が船橋の先頭に立って指揮を執っている」と説明した。サー・ウィルフリッド・ローリエは北極圏の自然環境の変化などを調べる任務にも使われており、日本人研究者らも乗り込んできたという。

 マリオット船長は2000年から北極圏への航海に携わっており、「地球温暖化の影響を実感している」と打ち明ける。最北部のエルズミア島(ヌナブト準州)と行き来している中で「氷がどんどん溶け出しており、かつては流れ着いていなかった北極圏西部でも氷河が見られるようになった」と警鐘を鳴らした。

 船の後部にある甲板には、ベル・ヘリコプター(アメリカ)のヘリ「ベル429」も駐機できる構造だ。

サー・ウィルフリッド・ローリエの船尾には、船名とともに登録地の「オタワ」と記されている(2024年10月2日、横浜市で大塚圭一郎撮影)
サー・ウィルフリッド・ローリエの船尾には、船名とともに登録地の「オタワ」と記されている(2024年10月2日、横浜市で大塚圭一郎撮影)

 海を航行する監視船にもかかわらず、船尾には船名とともに、海に面していないカナダの首都名「オタワ」が記されていた。マリオット船長は理由を「カナダでは船舶の登録地を船尾に書いており、カナダ政府がオタワで登録したので『オタワ』の表記になっている」と教えてくれた。

「カナダと日本の緊密な連携が重要」と駐日大使

 IUU漁業を監視するためにカナダは今年夏、高性能カメラを備えた航空機を札幌(新千歳)空港拠点で運航して北太平洋での漁船操業の様子を監視した。この活動には日本と韓国も協力しており、空と海の両方からの監視体制を強化している。

カナダのイアン・マッケイ駐日大使(2024年10月2日、横浜市で大塚圭一郎撮影)
カナダのイアン・マッケイ駐日大使(2024年10月2日、横浜市で大塚圭一郎撮影)

 イアン・マッケイ駐日大使は横浜市で報道陣に対して「法の支配に基づく国際秩序がますます脅かされている今、カナダと日本が緊密に連携して自由で開かれたインド太平洋地域を守っていくことが重要だ」と訴えた。

 また、カナダ漁業海洋省のアネット・ギボンズ事務次官は「IUU漁業は世界の生態系に大きな脅威をもたらしている」とした上で、「日本とカナダはサケやサンマなどの両国民にとって極めて重要な水産資源が減少していることを強く懸念している」と指摘。

カナダ漁業海洋省のアネット・ギボンズ事務次官(2024年10月2日、横浜市で大塚圭一郎撮影)
カナダ漁業海洋省のアネット・ギボンズ事務次官(2024年10月2日、横浜市で大塚圭一郎撮影)

 水産資源の保護強化に向けたサー・ウィルフリッド・ローリエの日本寄港は「画期的な出来事だ」と強調し、「日本の外務省と水産庁、海上保安庁による支援と協力にお礼を申し上げるとともに、アメリカと韓国の沿岸警備当局の北太平洋での監視活動にも感謝を表明する」と述べた。

船長が明かした乗組員の士気向上策とは

 日本とカナダの両国にとって非常に大切な北太平洋の水産資源の保全のため、今後も監視活動での活躍が期待されるサー・ウィルフリッド・ローリエ。

船橋で乗組員と話すマリオット船長(後列一番左)。(2024年10月2日、横浜市で大塚圭一郎撮影)
船橋で乗組員と話すマリオット船長(後列一番左)。(2024年10月2日、横浜市で大塚圭一郎撮影)

 マリオット船長は運航する上で「世界で船員不足が起きており、私たちにとっても乗組員の採用と、働き続けてもらうことが最大の課題となっている」と打ち明けた。背景には「若年層の価値観が変わってきており、同じ職種を続けるよりも、多様な職種を経験したがる傾向がある」という。

 そんな中で「横浜を訪れることができたことで、乗組員の士気が大きく高まったよ。私たちの誰もが日本を訪れたがっているからね!」と笑みを浮かべながら語った。

(文・写真:共同通信社経済部次長〈前ワシントン支局次長、元ニューヨーク支局特派員〉・日加トゥデイ連載コラム「カナダ“乗り鉄”の旅」執筆者 大塚 圭一郎)

BC新民主党公約は中間所得層を中心に多岐にわたる

 ブリティッシュ・コロンビア(BC)州議会選挙まで約2週間と迫った10月3日、BC新民主党(NDP)が選挙公約を発表した。64ページに渡る冊子には、住宅問題、家計問題、ヘルスケア、治安など多くの取り組みが記されている。すでに発表された項目も含め、主な点は以下の通り。

・公約では「グロサリー・リベート」と呼ばれている中間所得層への約1,000ドルの減税

・インフレ率に合わせた最低賃金

・住宅への投機課税の強化

・シニアのオフ・ピーク時間における公共交通機関利用の無料化

・2050年までに発電量を倍増

・BCビルド・プログラムの倍増とプレハブ建設の迅速化

・希望する全ての州民へのファミリードクター提供への努力

・住宅市場における投資家の取り締まりにより、中間所得層に30万戸の住宅を提供

・ヘルスケアワーカーの大幅な増加。次世代の医師の育成のために州で2校目となるメディカルスクールの設置

・12歳までの子どもを対象に授業前と放課後に手頃な料金で保育を提供

・ウエストコースト・エクスプレスをチリワック市まで延伸

・複数の依存症や精神疾患、脳損傷を持つ人へのインボランタリー・ケア(非自発的な治療)施設の開設

 このほか、イービー党首は、今年度、来年度と赤字予算が続く中で、均衡予算を目指すとしている。しかし、具体的な時期については述べていない。

(記事 編集部)

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日系コミュニティと歩んだ2年間 丸山浩平総領事インタビュー

バンクーバー総領事就任時から続けてきた「書」。書いている最中は「正直寂しかった」という「感謝」と丸山総領事。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
バンクーバー総領事就任時から続けてきた「書」。書いている最中は「正直寂しかった」という「感謝」と丸山総領事。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ

 在バンクーバー日本国総領事館・丸山浩平総領事は、10月下旬にオタワの在カナダ日本大使館へ異動することが決まった。総領事としての2年間を通して、自身の気持ちを「書」とコラムで表現し、領事館HPに「CGのShow(書)Room」を掲載してきた丸山総領事は、最後の「書」として「感謝」の2文字を選んだ。書いている最中は「正直寂しかった」と語る丸山総領事に、バンクーバーでの2年間を振り返ってもらった。

—この2年間の率直な感想をお願いします

 今まで赴任してきた都市に比べて、バンクーバーのように日系コミュニティが非常に大きい都市というのは初めてでしたし、もう一つは、ダイバーシティですよね。多文化、多人種、本当にいろんな国、いろんな背景の方たちが共存しているという点が最も印象的でした。

—日系コミュニティとの思い出を教えてください

 この2年間で、バーナビーの日系文化センター・博物館やスティーブストンをはじめ、ビクトリア、ナナイモ、ユーコン(準州)など、さまざまな歴史を持つ日系コミュニティそれぞれでお話をうかがったことは全て印象深い思い出です。

 カナダとアメリカでは事情が違いますが、私自身、アメリカのロサンゼルスに日系人の親戚がいまして、実際に日系カナダ人の方たちから苦しかった歴史も含めていろんなお話を聞いた上で、今年その親戚と久しぶりに再会をしたときに、自身のルーツについての理解も深まりました。

「バンクーバーのように日系コミュニティが非常に大きい都市というのは初めてでした」と振り返る在バンクーバー日本国総領事館・丸山浩平総領事。2024年10月1日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
「バンクーバーのように日系コミュニティが非常に大きい都市というのは初めてでした」と振り返る在バンクーバー日本国総領事館・丸山浩平総領事。2024年10月1日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ

 また、バンクーバー日本語学校などを訪問した際は、日本語の勉強をがんばっている若い世代を見て、半分親のような気持ちで、心から応援したいという気持ちになりました。

—カナダは多文化・多言語の国ですが、色々な国に赴任されている丸山総領事にとっての「言語」とは? 

 言語に関していえば、外交官にとって、外国語は日常的であり、ある意味死活的な重要な要素です。私自身、必ずしも外国語が得意ではないため、苦しい部分もありますが、外国語の重要性は言うまでもなく、積極的に学び続ける必要があります。

 一方で、私が韓国語と日本語の通訳の仕事を長年経験して感じたのは、母語の大切さです。母語は私たちの思考の基盤であり、私たちの中心的な部分を構成していると思います。日本語の中には、外国語に訳しにくい表現もありますが、その難しさがおもしろさでもありますので、そうした部分を楽しみながらお互いの文化の理解を深める努力が必要だと感じています。

—任期中に成果はありましたか?

「バンクーバーのように日系コミュニティが非常に大きい都市というのは初めてでした」と振り返る在バンクーバー日本国総領事館・丸山浩平総領事。2024年10月1日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
「バンクーバーのように日系コミュニティが非常に大きい都市というのは初めてでした」と振り返る在バンクーバー日本国総領事館・丸山浩平総領事。2024年10月1日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ

 成果とまでは言えませんが、BC(ブリティッシュ・コロンビア)州と日本の姉妹都市は30以上ある中、バンクーバーと横浜、バーナビーと釧路、ビクトリアと盛岡など、多くの姉妹都市関係が周年を迎えつつあるタイミングで、関係都市の関係強化のために、交流を深めるための基盤作りには力を入れました。また、日本と他のコミュニティ、例えば、韓国系コミュニティとの交流を促進するための種まきのところまでは何とか行いましたが、まだまだ道半ばです。

—以前の赴任地である韓国と比べて国家間の関係にはどのような違いを感じますか?

 日韓関係は地理的にも近く、歴史的に複雑な側面もありながらも、交流や友好の歴史も豊富です。それに対して、日加関係は地理的な距離があるため、関心の密度や知識の深さには自ずと違いはあります。しかし、近年、日加間のお互いの関心の高まりを非常に感じています。

 特に世界情勢が不安な現在、日本にとって、カナダはエネルギーや食料の供給地として非常に重要な存在です。また、昨年にはBC州やユーコン準州の州首相が最初の公式訪問先として日本を訪問し、現在州が抱えている住宅供給問題解決のヒントを日本の成功例に求めるなど、お互いの協力関係が構築されてきています。

—次の赴任地であるオタワで期待していることは何ですか?

 来年のG7サミットがカナダで開催されることもあり、我々のやるべきことは遺漏なきを期すということかと思います。カナダ政府との関係をより強固にし、日加関係の重要性がさらに高まることを期待しています。

 個人的に楽しみにしていることは、私は寒いのは嫌いではないので、寒いのが楽しみというと変かもしれませんが、バンクーバーとは違う気候、東側の雰囲気、文化など、新たなものを発見してカナダをより深く理解できたらいいなと思います。

—最後に、バンクーバーの方々にメッセージをお願いします

 私がバンクーバーの総領事在任中には、日系カナダ人、在留邦人のコミュニティの方たちをはじめ、たくさんの方たちとの出会いがあり、私が全く知らなかったことに目を向ける機会を多くいただくことができました。そうした全てのことに対して、心から感謝しております。またお目にかかれる機会があるのではないかと楽しみにしております。本当に2年間ありがとうございました。

丸山総領事のバンクーバーでの最後の「書」。2024年10月1日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
丸山総領事のバンクーバーでの最後の「書」。2024年10月1日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ

(記事 佐々岡沙樹/写真 斉藤光一)

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ホワイトキャップス惜敗で8位に

随所に好セーブを見せたGK高丘。2024年10月5日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
随所に好セーブを見せたGK高丘。2024年10月5日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
GK高丘に止められ頭を抱えるミネソタの選手。2024年10月5日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
GK高丘に止められ頭を抱えるミネソタの選手。2024年10月5日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 すでにMLSプレーオフ進出を決めているバンクーバー・ホワイトキャップス。しかし勝ち点によって順位が変わるため、勝ってなるべく上位を狙いところ。試合前の時点で3位とはわずか6ポイント差だ。

 残り3試合を3連勝すれば4位以上も十分狙える位置で10月5日、迎えたのは8位のミネソタ・ユナイテッドFC。勝てば条件次第では7位以内が確定、負ければ8位となる一戦だった。

10月5日(BCプレース:21,349)

バンクーバー・ホワイトキャップス 0-1 ミネソタ・ユナイテッドFC

ホワイトキャップスはPKを取られ、24分に先制点を許す。35分には相手オウンゴールで同点に追いついたかに見えたが、ビデオ判定の結果、直前のプレーでホワイトキャップス選手の反則を取られ、ノーゴールとなった。後半は両チームとも無得点で試合はPKの1点で決まった。

2試合連続無得点が響く

 GK高丘は随所に好セーブを見せ、チームの危機を救った。PK以外は堅い守りで失点を最小限に抑えた。しかし、得点できない。チャンスはあったもののゴールに結び付かなった。高丘は「それが今のこのチームの実力だと思います」と厳しい見方をした。「このままではプレーオフを勝ち抜けないと思いますし、全体的に足りないという印象です」と言う。

 この日は7位以上を確定できるチャンスだった。「今日の試合は勝たなくてはいけなかったのですが、それを落としてしまい非常に悔しいです」。

 残りは2試合。次は13日、レギュラーシーズンのホーム最終戦、19日にはレギュラーシーズン最終戦となる。2連勝すれば、まだ5位を狙えるチャンスはある。

 高丘は「レギュラーシーズンの試合はまだ2試合あるので、そこはしっかり勝って、トップ4はもしかしたら難しいかもしれませんが、なるべく高い順位で(シーズンを)終われるようにしないといけないと思います」と次の試合へ、前を向く。

 ホームのファンには、「スタジアムでも日本語で声をかけてくれたり、多く声援をいただいているので、良い結果で返せるようにしていきたいです」と語った。

レギュラーシーズンのホームゲームhttps://www.whitecapsfc.com/

10月13日(日)4:30pm LAFC戦

随所に好セーブを見せたGK高丘。2024年10月5日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
随所に好セーブを見せたGK高丘。2024年10月5日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

(記事 編集部/写真 斉藤光一)

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